第四章 過去現在そして未来

第10話(1) 姫城澄玲

「だーれだ?」


 背後からの声と共に、突然視界がやわらかい何かでふさがれる。


 この声は――


「えーっと……澄玲すみれさん?」

「正解」


 振り向くと、解放された視界に見知った女性の笑顔が映った。


 白い花柄のワンピースの上から、ショート丈のデニムジャケットを羽織はおったその女性は、私の高校時代からの先輩であり、私のよく知る人物のお姉さんでもあった。


 姫城ひめしろ澄玲。大学二年生。


 妹の静香しずかちゃんと容姿や体型は似ており、並んで立てば二人を知らない人間でも彼女達が姉妹である事は一目瞭然いちもくりょうぜん、だろう。

 まぁとはいえ、澄玲さんの方がお姉さんで年上なせいか、静香ちゃんより大人びており尚且なおかつ落ち着いて見える。……そういう意味で言えば、如月きさらぎさんと澄玲さんは少し雰囲気が似ているかもしれない。


「相席、いい?」

「あ、はい。どうぞ」


 一言断りを入れ、澄玲さんが私の向かい側の席に腰を下ろす。


 お昼時という事で、学食はそれなりに混んでいたが決して満席というわけではなく、澄玲さんがあえて私の前に座ったのは言うまでもなく用事があるからだろう。


 実のところ、私と澄玲さんは数年来の知り合いではあるが、その関係は本当に知り合い止まりで、実際二人きりで話した事も数える程しかなかった。なので、こうして同席されて、正直私は今動揺していた。


「みどりちゃんとこうして落ち着いて話すのは、もしかして初めてかしら」

「そう、ですね」


 思えば澄玲さんとは、高校時代も立ち話ばかりで、椅子いすに座って話した事は私の記憶する限り今まで一度もなかった。


「私、実はみどりちゃんと、腰を落ち着けてじっくり話してみたかったの?」

「え? 私とですか?」


 こう言ってはなんだか、澄玲さんにとって私は、あおいさんのオマケぐらいの認識でしかないとずっと思っていた。


「でも、高校時代は葵が目を光らせてて、なかなかそういう機会が作れなかったから」


 そう言って澄玲さんは、私に対して苦笑してみせた。


「……」


 二人の仲の悪さは当時、公然の事実として学校中に知れ渡っていた。


 まぁ二人の場合、仲が悪いというより、あのやり取りこそが二人のコミュニケーション手段であり、猫がじゃれ合っているのとあまり変わらないのではないかと私個人としては思っているのだが。


「そう言えば、いつも一緒にいる可愛かわいい子は今日いないのね」


 キョロキョロと辺りを見渡しながら、澄玲さんがふとそんな事を言う。


 どうやら澄玲さんにも、私と優子ゆうこちゃんはニコイチだと思われているらしい。


「優子ちゃんはちょっと体調を崩してしまって。と言っても、念のため帰っただけで、午前は普通に授業受けてましたけど」

「そう。明日は元気に来れるといいわね」

「……あの」

「ん?」

「ご飯食べなくていいんですか?」


 テーブルの上には元からあった私の食べているサンドイッチのセットが置いてあるだけで、他に食べ物は見当たらなかった。


「うん。もう済ませたから」

「へ? じゃあ、どうしてここに……?」


 食べも飲みもしないのに学食を訪れる意味って一体……。


「外を歩いてたら、ガラス越しにみどりちゃんの姿が見えたからそれで」

「はぁ……」


 私の周りにはこの手のタイプの年上がいないので、少し反応に困る。


 葵さんや百合ゆりさんとも違う、独特の雰囲気ふんいきが澄玲さんにはあった。行動や言動が読みづらいというか、トリッキーというか……。


「大学はどう? 楽しい?」

「そう、ですね。高校とはまた違った楽しさがあります」


 高校は学校側によって決められた授業を大抵一つの教室で同じメンバーと受けるものだが、大学はその全てが違う。講義は自分で選択、教室も授業毎に異なっており、一緒に受けるメンバーもその都度変わってくる。学ぶという意味では、後者の方がその色がより濃く出ている気がする。


「良かった。学校は学ぶ所だけど、それだけじゃ寂しいからね」


 そう言って澄玲さんは、優しく微笑ほほえむ。


「でも――」

「でも?」

「大学生になると誘惑も増えるから、気を付けないとダメよ」

「誘惑……。コンパとかですか?」


 私はまだ参加した事がないが、部活やサークル、後は有志ゆうしによるコンパがそこらかしこで行われているという噂を耳にした事がある。


「それ以外にも食事やみに誘われたり変なサークルに勧誘かんゆうされたり」

「もしかして実体験も入ってます?」

「全部断ってるけどね」

「へー」


 意外、でもないか。逆にイメージ通りかもしれない。なんとなく、その手のものには簡単に乗っからないイメージが澄玲さんにはあった。


「ところで、みどりちゃんって、恋人はいるの?」

「え? いませんけど……」


 どうして急に?


「実は最近、妹に恋人が出来て」

「あー」


 自分でも何が「あー」かは分からないが、自然とそんな言葉が口を突いて出た。


「その反応、みどりちゃんもこの事知ってた?」

「はい。葵さんに聞いて」

「そっか。葵のお店、生徒会メンバーのまり場になってるから」


 今もそこは変わっていないらしい。

 私の頃も、よくあのお店にはお世話になった。それが現在もまだ受け継がれているなんて、なんだか感慨深かんがいぶかいものがある。


「まぁ、静香の相手はいい子だからそこは心配してないんだけど、姉としては妹に先を越されたのがね、不満というか複雑というか」

「なるほど」


 私には兄弟姉妹がいないのでその辺りの心情はよく分からないが、幼なじみに先を越されたら多少は悔しいかもしれない。


 それはそれとして――


「澄玲さん、静香ちゃんの彼氏と会った事があるんですね」


 先程の言い方は、つまりそういう事なのだろう。


「えぇ。とても素敵な好青年だったわ。妹相手にいちゃうくらいに」

「え?」

「うふふ。冗談よ」

「冗談。なんだ……」


 真面目まじめな顔をして言うものだから、一瞬信じてしまった。そりゃ、そうか。澄玲さんが静香ちゃん相手に嫉妬しっとなんて……。

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