第7話(3) 考え事

「――さん」


 名前を呼ばれ、意識が浮上する。


 ここは……。


 下にいていた交差した二つの腕から顔を上げる。


 目の前には木製の仕切り板。そして、ほのかに香る本のにおいと静寂に包まれた空気……。


 あぁ、ここは――


「おはようございます、みどりさん」


 声のした方を向くとそこには、笑顔を浮かべた優子ちゃんの姿があった。


「おはよう……あれ?」


 私、なんで……?


「珍しいですね、みどりさんが居眠りなんて」

「ん? あぁ、うん。そっか」


 葵さんと別れた後、私は読書を再開し、それで……。


「優子ちゃんはどうしてここに?」

「みどりさん構内にいるかなと思って連絡してみたんですけど、返事がなくて、その後、ダメ元で葵さんにラインで聞いてみたら図書館で会ったって」


 なるほど。というか、今何時だ?


 机の上に置いてあったスマホで、時刻を確認する。


 十三時十五分。すでに昼休みに突入していた。……そして、確かにラインが届いている。


 画面をタップして、それを開く。


 優子ちゃんの個別トーク画面に、未読のメッセージが二つ。


『みどりさん、今構内にいます?』『いたら、ご飯一緒に食べません?』


 遅ればせながら私は、そこに【いいよ】と言っているウサギのスタンプと謝罪しているウサギのスタンプを連続で送る。

 すぐに返事は来た。【許す】と言っている猫のスタンプだった。


 ラインによるやり取りを終えると、私と優子ちゃんは顔を見合わせ笑う。


「行こうか」

「はい」


 私は優子ちゃんと連れ立って、図書館を後にした。


 ちなみに、読んでいた本は一応借りた。途中で眠ってしまった事もあり、まだ全然読み切れていなかったから。


「もしかして、お疲れですか?」

「いや、そんな事は……」


 とはいえ、居眠りをしていたのは事実。自分でも知らない内に、疲れがまっていたのかもしれない。後は――


「少し考え事をしてて」

「考え事?」と優子ちゃんが小首を傾げる。

「でも結局、考えがまとまらなくて、いつの間にか寝ちゃった」


 そして、目を覚ますと優子ちゃんが隣に……。


「へー。みどりさんでもそういう事あるんですね。意外というかなんというか……」

「……」


 ここ数年で分かった事だが、高梨みどりという人間は周りから、冷静であまり動じない、落ち着いた人間と思われているらしい。確かに、私は人前であせった様子をほとんど見せないし、動揺も顔に出にくい性質たちだ。けどそれは、表に出ないというだけで、内心では他の人と同じように焦ったり慌てたりしている。

 ……いや、他の人と同じようにというのは、少し言い過ぎか。人が思っているよりは辺りが、妥当だとうな表現だろうか。


「なんか安心しました」

「へ?」


 優子ちゃんの口から発せられた思いも寄らぬ言葉に、思わず私の口からみょうな声がれ出る。


「というか、親近感? まぁなんにせよ、そういう事なら私にお任せください。考えがまとまらない事なんて、私には日常茶飯事にちじょうさはんじですから」

「それは……」


 果たして大丈夫なのだろうか。とりあえず、少なくとも胸を張って言う事ではない気がする。


「考えがまとまらない時はですね。一度思考をリセットするんです」

「リセット? 一から考え直すって事?」

「うーん。そうですね。一番近い感覚としては、今まで書いていた紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にぽいする感じ、でしょうか?」

「なるほど……」


 分かったような、分からないような……。


「考えがまとまらない時って、結局は今自分の中にある考えが出尽くした時なのかなって」

「うん」


 その意見には激しく同意する。


 これ以上出ないからこそ、前に進めない、先が見えてこないわけで……。


「だから、その出尽くした考えを一度これでもかと言うくらい丸めて、どこかに捨てるわけですよ。そうするとあら不思議、思考がクリアになって、今まで考え付かなかった事が思い付くと、そういうわけです」


 まぁ、要するに優子ちゃんが言いたいのは、切り替えが大事という事だろう。

 言いたい事は分かる。分かるが……。


「何はともあれ、まずは腹ごしらえです。腹が減ってはなんとやらとも言いますし」

「……だね」


 空腹状態ではまともな思考は望めない。


「とにかく、気分が晴れない時程、美味おいしい物を食べましょう。美味しい物には人を元気にする成分が含まれてるとかいないとか」

「何それ」


 優子ちゃんの物言いに、自然と笑みがこぼれてくる。


 どうやら、はげまそうとしてくれる友人にも、人を元気にする成分は含まれているらしかった。それも即効性の、よく効くやつが。

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