第2話(2) 完璧星人の恋

 ――数十分後。

 葵さんによって私達が連れて来られたのは、木目調の小洒落ごしゃれたたお店だった。白い壁に茶色い文字で、【felice】と何語かも分からない言葉が書かれている。おそらく店名だろう。


「ふぇりーす?」


 それを見た優子ちゃんが、私の隣で首を傾げる。


「フェリーチェ。イタリア語で幸せなって意味らしいぞ」


 茶色の扉に手を掛けた葵さんがこちらを振り向き、そう教えてくれた。


「あー。イタリアの……」


 そんな風につぶやく優子ちゃんを尻目しりめに、私も葵さんの後に続き店内に入る。


 もちろん私も読めなかったし、イタリア語とは思わなかった。英語ではないなとはなんとなく思っていたけど。


 黒い細身のパンツと白いシャツに、黒いエプロンを付けた女性店員に案内され、私達は奥の席へと通される。


 茶色く四角い机に、三人で着く。

 奥側に葵さんが一人で座り、テーブルを挟んでその前に私、隣に優子ちゃんという配置だ。


 人数分のお冷とお絞りを持って来た店員さんが、一度下がったタイミングを見計みはからって、私は口を開く。


「こんなお店、よく知ってましたね」

「私には似合わないってか」

「いえ……」


 そんな事は思って、ない事もないが……。


「冗談だよ。元々ここは皐月さつきのやつの行き着けで、私も最初はあいつに連れてきてもらったんだ。今じゃすっかり私の行き着けでもあるけどな」


 葵さんはそう言うと、にぃっと歯を見せて笑った。


 皐月さんは葵さんの幼なじみで、葵さん同様私の高校時代から付き合いのある学校の先輩だ。落ち着いた雰囲気のオトナ美人といった感じの人だが、怒ると怖く、葵さんの手綱たづなを完全に握る事が出来る数少ない人物である。


 その後私達はメニューに目を通し、それぞれ注文を済ます。


 私はカルボナーラ、葵さんはマルゲリータを、優子ちゃんはジェノベーゼを選択した。


 全員が別の物を頼んだのはあえてだ。三人が違う物を頼めば、一つの味に加え二つの味を味見する事が出来る。初めて訪れるお店なので、出来れば色々な味を試してみたい。


「結構リーズナブルなんですね」


 店の雰囲気に圧倒され少々高めの値段を想像していたのだが、メニューを見てみると思いの他お手軽だった。


「まぁこの店、客の大半は学生や主婦みたいだしな。これくらいの価格設定じゃないと、人

来ないんだろ」


 正直私もお金に余裕がある方ではないので、この値段は助かるしがたい。


「優子はともかくみどりはバイトをしてるんだから、そんなにケチケチしなくても大丈夫だろ」

「そういうわけにはいかないですよ。入れる時間も決まってますし」


 授業のある時間はもちろんダメだし、そうでない時間も全部が全部入れるわけではない。予習や宿題をやらないといけないし、当然プライベートの時間も欲しい。というわけで、現状バイトに入っている時間は週に十二時間程度。スマホ代や食事代、その他諸々の必要出費を差し引けば残るのは本当に微々びびたるものだ。


「バイトいいですよね。私もみどりさんの所で、一緒に働かせてもらおうかなー」

「うーん。特に募集はしてなさそうだけど、もし優子ちゃんが本気なら聞いてみようか?」

「本当ですか? じゃあ、真剣に考えてみますね」


 バイトは私を含めて三人しかおらず、それ以外の時間は百合さんが一人でお店を回している。募集はしていないが、いらないという事はないだろう。


「おいおい。なんでそこで私の家の話が出ねぇんだよ。ウチなら私が、色々融通ゆうずつかせてやんのによぉ」

「えーっと……料理まだですかね? パスタとピザだとどっちが早いんだろう?」


 葵さんの追及に、優子ちゃんが目を泳がせながら必死に話題をらす。


 気持ちは分からないでもない。


「……まぁ、いいけどさ。結局みどりも別の店、しかも同業者のとこ行きやがったし」

「あはは」


 話の矛先ほこさきがこちらに向いたため、私は苦笑を浮かべ逃げる。


 確かに、今のお店で働く時に葵さんに対して後ろめたさみたいなものはあった。しかしそれより、あのお店で、百合さんの元で働きたいという思いの方が強く、今のお店でバイトをする事を決めた。

 ……後、そもそも葵さんのお父さんがやっているお店は、ウチから通うには遠過ぎる。バイトをするために電車で何駅も移動していては、時間もお金も勿体もったいない。


「なんだよみんな。最近は静香しずかのやつも彼氏が出来て、構って――じゃなくて、からかう暇もすきもないし」

「静香ちゃんって、あの静香ちゃんですか?」


 思わぬ形で知り合いの名前が出たため、私は驚き、葵さんに確認を取る。


「そう。あの静香ちゃん。みんなのアイドル、生徒会長の姫城ひめしろ静香ちゃんの事だよ」


 おどけた感じで葵さんは、静香ちゃんの事をそんな風にひょうす。


 へー。あの子に彼氏が……。


「その、姫城さんって凄い子なんですか?」


 三人の中で唯一彼女の事を知らない優子ちゃんが、どちらにともなくそう尋ねてくる。


「容姿端麗たんれい、成績優秀、運動神経抜群。更に家柄も良く、その上性格もいいときてる。まさに完璧星からやってきた完璧星人だ」

「完璧星人って……」


 葵さんの言葉に、優子ちゃんが苦笑をらす。


 大げさと思ったのだろうか。しかし、こと彼女に関しては、その評価が全く大げさでない事を、静香ちゃんと付き合いのある私はよく知っていた。


「えーっと、漫画まんがのキャラの話ですか?」

「いや、実在する、私達の後輩の話だ」


 困惑する優子ちゃんに、葵さんが冷静な物言いでそう告げる。


「……そんな子の彼氏という事は、さぞかし彼の方も凄い方なんでしょうね」


 それは私も気になった。静香ちゃんの彼氏なんて、余程の人物でないと務まらないだろう。


「うーん。どうかな? 私が見る限り、結構普通の奴っぽいけどね」

「そう、なんですか?」


 驚く優子ちゃん。

 そして私も、声にこそ出さなかったが、優子ちゃんと同じ思いだった。


 静香ちゃんの彼氏が普通の人? 有り得ない、とまでは言わないが、とても想像が出来ない。


「お前達、そんなに静香と彼氏が気になるなら、ウチに来いよ。二人共よくウチに来るからさ」


 そう言って葵さんは、にやりと笑う。


 なんだか、まんまと葵さんの策略さくりゃくにはまってしまったような……。

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