勇者という人



Side ハルト


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勇者としてこの世界を救って、最愛の彼女と婚約してから一年が経とうとしていた。


公爵としての仕事もやりがいがあったし、ミリアとの仲も順調で、まさかこんな自分にこれ程幸せな日々が訪れるなんて夢にも思わなかった。



…これが夢だとしても、僕はきっと幸せだ。



どうか覚めない夢の中でこの生涯を終えたいとすら思っていた。




そんな順風満帆な毎日に終止符を打ったのは、僕と同じ世界からやって来た僕のよく知る彼女だった。



アカリは、僕の幼馴染だ。



彼女を王宮で見た瞬間自分の背筋に冷たいものが走るのがわかった。



「…アカリ?」



思わず口から洩れた言葉に、嫌でも彼女がこの世界にやって来たという現実を理解する。



アカリは僕の声に気づくと、驚いた様に目を丸くして口を開いた。



「え、ハルちゃん!?」



そうだ、自分は彼女からそんな馬鹿みたいな呼び方をされていたっけ?



幼さを残したその顔は二年前と何も変わっておらず、心底ゾッとした。



しかし、そんな心とは裏腹に、幼い頃から染み付いてきた彼女への対応はしっかり自分の中に健在だったようで、



「アカリ、久しぶり」



僕は心とは裏腹に優しい笑顔を浮かべながら彼女に再開の挨拶を告げるのだった。



すぐ様駆け寄り、抱きついてきた彼女に思わず身震いしてしまったが彼女はそんは僕に気づかずうっとりとした笑みを浮かべ涙を流していた。



「会いたかったよぉぉおハルちゃぁぁあんっひっく、ハルちゃんっ、本物のハルちゃんだあっ」



「ははっアカリは相変わらず泣き虫だね」



何も変わらない子供じみた泣き声は、彼女が今まで慈しみ愛されてきた証拠だった。




彼女を拒否せず、抱きしめられ続ける僕をミリアはどう思っているのだろうか。


怖くて顔を見ることができなかった。




我が物顔で僕に触れる体を押し返したい。


押し返さなければならない。



だけど、情けないことに…僕はこの少女に心底怯えていたのだ。




動揺を悟られないように懐かしむような笑顔を浮かべて誤魔化す。


情けない自分をミリアに悟られたくなかった。




アカリを幼馴染だと紹介して、話しているうちにこの世界と元いた世界では時間軸に差があり、僕がこの世界に来てまだ二ヶ月しか経っていないことがわかった。



それは僕にとって残酷な現実だった。



彼女はまだ僕を諦めていない。


召喚魔法が偶然作用した様に説明されたが、僕には彼女の執念がこの事態を招いた様にしか思えなかった。




不安を抱きながら彼女の今後について陛下に尋ねると、どうやらひと月程で元の世界に戻れるようだった。


一先ずホッとする。



ひと月経てばまた元通りミリアと幸せに過ごせるのだ。




帰れるとわかって安心したのは本人も同じだったようで、もう何も心配する必要はないと息をついた時、



「これでやっと、またハルちゃんと一緒にいられるんだねっ」


アカリは、そんなわけのわからない言葉を口にした。



もしかして、彼女は僕も一緒に元の世界に帰ると思っているのだろうか。



そんなわけない。


この世界は元の世界に比べてすごく居心地がいいし、それに…ミリアがいる。



僕がミリアのそばを離れるなんて未来永劫有り得ないことだ。




僕の意志に反してミリアは瞳を揺らめかせてこちらを見つめていた。




目の前の彼女が心底愛おしい。


僕がいなくなると思って不安なんだね。



安心させるように微笑んで僕の袖を掴む手をそっと撫でた。




可愛いミリアに少しだけ自信を取り戻すことができ、アカリにきっぱりと帰らない旨を告げる。



彼女は涙を浮かべて僕に縋り着いたが、頑なな態度を貫いていると、陛下が気を利かせて話を纏めてくれた。



最悪なのはこの後だった。



アカリは初め王宮にお世話になるはずだったが、彼女はそれを拒否しあろうことか僕の屋敷に滞在したいと駄々を捏ね始めたのだ。



初めのうちはミリアが頬を膨らませて可愛く反対してくれていた。



しかし、アカリが涙を流し始めた途端事態は悪い方に急変したのだった。



僕の胸で子供のように泣き喚いていたのとは違う、心底辛そうなそんな泣き顔に、自分の頭から血の気が引いていくのがわかる。


アカリがこうなったら、後はもう彼女の独壇場である。



ミリアは泣き続ける彼女に罪悪感を抱いたのか、彼女が僕の屋敷に留まることを了承してしまった。



「ミリア?君が嫌なら僕は別に構わないんだよ?」


アカリの涙に完全に気圧されてしまっていた僕は、情けないことに最後の選択を最愛の彼女に託してしまった。


僕を信頼していると言った彼女が無理をしていることなんて一目瞭然だったのに。



ああ、元の世界でもこの泣き顔に随分と困らされていたな、なんてことをぼんやりと思った。


そして僕は、どこにいたって、勇者だなんだと呼ばれたって…あの頃とまるで変わらない弱くてちっぽけな愚か者だった。







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高校三年生、大学受験真っ只中。



僕、#大津__おおつ__##春都__はると__#は、精神的にも身体的にも追い込まれる日々を送っていた。



国内でも最難関と言われるとある医科大学への合格、ひいては有能な医者になることが、自身に課された唯一の使命だった。


平日も夜遅くまで勉強、早起きしてまた勉強。



もちろん休日だって例外ではなく、学校がない分より一層の努力が求められた。



まともな睡眠時間もとれず疲弊しきった僕には優しい言葉をかけたり、努力を労ってくれる人間など一人もいなかった。


両親は実の息子には全く興味を示さず、僕を自分達の望みを叶える道具程度にしか認識していない。



そんな僕に唯一執着している者は、隣の家に住む幼馴染の#名村__なむら__#あかりだった。




「はーるーちゃんっ」



ノックもせずに堂々と自室に入ってくる幼馴染に不満はあるが、僕は何も言えず今日も彼女を笑顔で迎える。



「どうしたの?」


「へへっハルちゃんの顔が見たくなっちゃって」



彼女は僕が受験生であることをわかっているのだろうか。



ただでさえ難しい大学を受験することに焦っているというのに、こんなことに時間をとられることにゲンナリしてしまう。




そもそも僕が自分の意志など無関係にその大学を受けさせられるのは彼女にも原因があるというのに。



彼女の父親はこの辺では一番大きく歴史のある病院の院長だった。


医療品メーカーである僕の家が、もう何年も前にここに引っ越して来たのは偶然だろうけど、両親は千載一遇のチャンスにすごく喜んだことだと思う。



彼らが目をつけたのは僕より一つ下のあかりの存在だった。



僕と彼女をくっつけることで、彼女を溺愛している両親がうちの会社に医療品を受注することを目論んでいたのだ。


その作戦はことのほかうまく行き、あかりに気に入られた僕を彼女の両親も息子のように可愛がってくれて…ついでに僕の家の医療品まで気に入ってくれるなんて正直ちょろ過ぎて笑えてしまう。



それをきっかけに僕の両親の暴走が始まった。


息子なんて半ばネグレクト同然だったくせに、この時から僕に、医者となりあかりの将来の夫として名村の病院の後継となることを望むようになった。



そう直接言葉にされた時、愚かにも僕は確かな喜びを感じていた。



全く構ってくれることのなかった両親が、僕に大きな願いを託したことが嬉しかったのだ。


ただ利用されているだけだったのに。




気づいた時には常にあかりのご機嫌をとり、彼女を何よりも優先する自分ができていた。


限界まで追い込んだ体も心もぼろぼろでまともな判断力さえ失っていたのだと思う。




幼い頃はまだよかった。


自分の限界なんてたかが知れていたし、無理ができる程体も育っていなかった。



そして、彼女だってまだまともだった。



あかりに対して恐怖を覚え始めたのは、僕が中学生の頃だった。



その頃には僕は自慢するわけではないが、人より少しだけ優れた容姿をしていたため、女の子に好意を抱かれることも少なくなかった。




ある日、クラスメイトに告白された。



あかりのこともあったしその子とはそれ程親しくもなかったのではっきり断り、彼女も振られたことに納得してくれた。



それからしばらくして、彼女はどうしてか学校に来なくなったのだった。



その時は特になんとも思わなかったが、それをきっかけに僕の周りでは次々と不可解なことが起こるようになった。



彼女と同じように僕に告白してきた子はことごとく不登校となり、僕と一緒に学級委員になった子は僕と目も合わせてくれない。


その他にも僕と関わりを持った女の子は例外なく僕の前から消えるか僕と一切関わらなくっしまったのだ。



それら全てに対して、彼女が裏で手を回していたことを知ったのは、中学の卒業式のことだった。




「お前もこれまでいろんな困難を乗り越えて来た彼女と離れ離れになって寂しくなるなぁ」


クラスメイトの言葉がよくわからなくて首を傾げる。



「困難?彼女…?」


「名村さんだよ!二年の。大津に横恋慕する女達が彼女を虐めて逆に彼女を慕う人間に返り討ちにされてたって話は結構有名だぞ?」



「どういうことだよ…」



不穏な内容の話に自分の眉間にしわが寄るのがわかった。


あかりが虐められていた…?


それに、返り討ちって…わけがわからない。



そもそもあかりは虐められるようなタマじゃないし、虐められているのなら真っ先に僕に告げ口をしてくるタイプだ。


この二年間あかりの様子に変化はなかった。



根も葉もない噂だろう。



だけど、返り討ちにされたという人達が気になる。



まさかとは思うが…



「それって、二年の頃不登校になった沖さんや図書委員の川崎さん、一つ上の鐘ヶ江先輩とか?」


「ああ、確かそうだったかも」



「…っ、嘘だろ」


横恋慕して返り討ちにあったという彼女達は全て僕に告白してきたり、少し親しくしたりしていた女性達だった。



確かに慕われてはいたと自覚しているが、それをあかり…ましてや彼女を慕う人間にとやかく言われる筋合いはない。



彼女のためにひどくは不登校になるまで誰かを追い詰める人間が理解できなかった。


そしてそれを止められないあかりも。



…止めようと思えばいくらでも止められるはずだ。


そもそも僕とあかりが恋人同士であるという事実さえ存在しないのに。



こんな噂を流してメリットがある人間は彼女しかいない。


彼女の歪んだ好意が恐ろしかった。



僕はこうやって誰かと親しくする度、彼女に搾取されていくしかないのだろうか。


それも自分の手を汚さず、誰かを使って望みを叶えるなんて卑怯な方法で。



両親が望むまま、彼女と結婚することになるのなら…もういっそ彼女の望み通りにあかり以外の人間とは関わらない方が良いのかもしれない。


…そうしたら誰も傷つかない。



あかりを下手に刺激しなければ、彼女が汚い手を使って誰かを貶めることもないのではないか。



そんな思いで、それからの生活は全て彼女の機嫌をとり、自分の意思を殺して、彼女の夫となり大病院を継ぐためひたすら努力を続けた。



幸いにも愛娘を溺愛する彼女の両親は彼女が気に入る僕を跡取りとして歓迎していたから、あとは僕が大学に入り医者になるだけだ。



全て上手くいっている。


そんな風に無理やり自分を納得させて生きていたのだった。




人形のようだった僕に転機が訪れたのは、僕が高校三年生になった夏の事_____







その日は休日で、いつも通り朝早くから勉強机に向かっていた。


英単語の書かれた単語帳を見ながら無理やり流し込んだゼリー飲料は酷く味気ない。



頭がクラクラする。


エアコンはしっかりつけているし部屋の環境は良いはずなのに…夏バテかな?



ゼリー飲料で水分はとれてるから大丈夫だと思うが、一応あとで普通の飲み物も持ってきておこう。




頻出用語を粗方記憶し終えた頃だった。




「っ!?」


いきなり部屋中が金色の光に包まれる。



経験したことのない現象にいよいよ自分は勉強のし過ぎで頭がおかしくなってしまったのではないかと真剣に考えた。



そして、眩しさに閉じていた目を開けると、そこはもう見慣れた自分の部屋ではなかった。




「…どこだ、ここ」



だだっ広いホールのような、先程の光と少し似ている金色の壁に囲まれた建物。



…どうしよう、頭が回る。



現状への混乱も相まって元々感じていた目眩が酷くなってきているようだ。



もう、ダメだ…



「勇者様っ!?」



視界の隅で誰かが慌てた様に僕に駆け寄ってくるのが見えた気がした。





■□




パチリと目を覚ますと、どうしてかいつもより頭がスッキリしている気がする。


随分とよく寝たような…



え、今は、一体何時?




「勉強しなきゃ…!」


ガバッと起き上がると、部屋の景色が自室とは違うことに気づく。



…ここはどこだろうか。



少しずつ気を失う前の記憶が蘇ってくる。




確か部屋で勉強をしていると突然光に包まれて、気がついた時には知らない場所にいたんだっけ?


僕はいよいよ頭がおかしくなって、それで…



もうわけがわからない。




「勉強もよろしいですが、ご自分の体にも気を使うべきですよ!」



そばで聞こえた女性の声に視線を横にやる。



そこには見たことも無い程美しい少女が僕の眠るベッドに寄り添う様に座っていた。


キラキラと輝く様な金色の髪に、淡い瑠璃色の瞳が幻想的な美少女。



少しムッとして膨らんだ頬が可愛らしい。




「だいたい倒れるまで疲弊するなんて、あなたは元の世界でどんな過酷な暮らしを送っていたのですか!」


「…えっと、僕はただの学生ですが」



「どんなシビアな学生生活です!」



ぷんぷん怒る彼女は僕のために怒ってくれているのだろうか。


僕を心配しているんだったら少し嬉しい。




「あの、僕はいったい…」


「…申し訳ございません、取り乱しました。説明がまだでしたわ」



先程まで怒っていた彼女は、ハッとした表情を浮かべ恥ずかしそうに謝罪の言葉を口にする。




「初めに自己紹介致しますわ。私はこの国の第二王女のミリア・グランディアです。あなたは?」


「僕は、ハルト。ファーストネームがハルトで、ファミリーネームはオーツだよ」



「それではハルト様、これからよろしくお願い致します」


「…よろしく?」



にっこり微笑む彼女に状況がわからず少し首を傾げて返事を返した。




「早速ですが、ここはあなたの元いた世界とは別の世界です。この世界は只今世界滅亡の危機に瀕していまして、占い師に解決策を尋ねたところ異世界から勇者を召喚する必要があると申されたのです。そして、召喚してみたらあなたが現れました」



すごくわかりやすい説明だが、わかりやすいからといって納得しやすいという話ではなかった。



…どうやら僕は、随分と自分を過信した夢を見ているらしい。


こんな僕が勇者として異世界に召喚されるなんて、どんな創作物だ。




「判断はあなたに委ねます。危険な道のりになることでしょう。それを踏まえてお願いします…この世界を救ってくれませんか?」



ああ、夢ならば覚めないで。


この世界には、あかりも両親も、僕が今まで憂えていたものなんてどこにもない。



僕はこの世界で生きていきたい。



それが弱い僕の現実逃避であるということはわかっていたが、夢の世界くらい自分の好きなように生きてもいいのではないか。




「…僕、やります」


「本当ですか!?」



返事をした途端彼女は興奮したように立ち上がり、僕の手をとりぎゅっと両手で包み込んだ。


彼女の温もりが伝わって気恥ずかしい。



今まで感じたことの無い甘い気持ちが胸に溢れてくるのがわかる。




「あの、ミリアさん…少し近いです」


「ミリアでかまいません!私も精一杯協力致します。これからよろしくお願いします、ハルト様!」



こんな可愛い人を僕なんかが呼び捨てにしてもいいのだろうか。


いいと言われたのだからいいのだろう。



「よろしく、ミリア」


「はいっ」



彼女は優しく微笑んでくれた。




聞く話では、千年に一度復活するとされる魔王が今年復活の兆しを見せているようで、それに伴いたくさんの魔物が街に押し寄せて民を苦しめているらしかった。


大元である魔王を倒すべく僕は召喚されたのだ。



召喚されてすぐに魔王を倒すための教育が始まった。


魔法や剣の特訓は、机に齧り付いて勉強していた日々よりもずっと楽しくて、こんなに充実した毎日は初めての経験だった。



モチベーションと比例するように、僕の剣の腕や魔法の技術はメキメキと上達していく。




そして僕は周囲が驚くほどの実力を身につけ、一年後いとも簡単に魔王を打ち倒してしまうのだった。




「ハルト様のおかげでこの世界は救われました…」


ミリアが嬉しそうに、けれどどこか寂しげにそんな労いの言葉をかけてくれる。



「世界のためと言うか、僕は君のために世界を救ったんだけどね」


「っ、ハルト様」



この頃には僕はすっかりミリアと両思いになっていて、元の世界に帰る気なんてさらさらなかった。



だから褒美として相応の爵位とミリアを賜った時は死ぬほど嬉しかったのだ。


絶対に彼女を手放さないと誓った。




それなのに、




幼馴染のあかりがやってきて、




あろうことかこの世界に残るなんて言い始めて、




必死にそんなことをさせまいと彼女の機嫌をとって、彼女の願い通りにことを運んだというのに、




どうして僕は、一番大切な人に…




「ハルト様との婚約を解消したく存じます」




最も言われたくない残酷な言葉を告げられているのだろうか。




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