#7



― アマイア暦1328年桜の月4月21日 午後 ―

     <コルト樹海 エルフの里跡地>



コルト樹海入り口から約2日、高野たちは密林を歩き続けた。


気温は暑くもなく、寒くもなく丁度いい。恐らく、22~23℃くらいだろうか。長時間の有酸素運動で背中や足元、脇などに汗をいていた。


荷物を背負って歩くので疲れはするが、空気が美味しく、爽快感そうかいかんすらある。


シスカやルッカの話ではこの辺りの木々は樹齢1000年を超えるらしい。


背の高く、幹の太い高齢の木々が鬱蒼うっそうしげる目の前の光景は、とても神秘的で、マイナスイオンがドバドバと出ていそうなイメージだ。


TVでみた屋久島の縄文杉が生えている森を想起させる風景に、エルフやらドワーフやら異世界人たちが見事にマッチしている。


きっとスマートフォンで写真を取れば、さぞSNS映えするだろう。そのスマホはもう電池を充電する術がないが―――。


―――確かにこれは脳に良さそうだ。五反田では絶対に見られない風景だな…。


など、と高野は木々を眺めてふと自分の相談室のことを思い出す。先日のティルの一件では

危うく命を落とすところだった。


これまで車に自転車で衝突したり、椅子で後ろからひっくり返って瞬間的に意識する程度の死だったが、あの日は本当に自分が死ぬことを意識した。


そして同時にここで高野が死ねば、永遠に元の世界には戻れないのだということをはっきりと感じた。


異世界転移してから激動の毎日を送っていて忘れていたが、帰る方法もなんとかして探さねばならない。いずれは元の世界に帰りたい。


あの日からそんなことを考え始めるようになり、またあのトラウマ的な光景を思い出すこともあって、たまに悪夢を見て早く目覚めてしまったりする。


先日の道具屋で結局買った眠り薬を試すには絶好の症状なので、ここ数日は自分で試しに希釈きしゃくして服用している。そのおかげか、野営にも関わらず、朝までぐっすり眠れていた。


最初は薬の服用量が多すぎたのか、日中も頭がぼーっとしていたが、調整を重ねて、今では丁度良い感じだ。毒や依存性については一応、状態異常を打ち消す効果がある応急草を合わせて服用しているので問題はない…筈。


野営といえば、初心者講習会の知識は随分役に立った。火を起こしたり、寝床を作ったり、狩った獲物をさばいたり…ベテラン冒険者たちに比べれば、ぎこちないものの迷惑をかけない程度には動けている。


これも鬼教官にたっぷりとしごかれたおかげだろう。講習会の最中は辛さが勝っていたが、振り返ってみれば、本当にあの講習会は参加して良かった。冒険者になろうと迷っている人がいれば勧めても良いかも知れない。


そんなとりとめもないことを考えているうちにシスカが突然立ち止まり、ルッカを振り向く。


「この辺の木々…配置的に間違いない。前回の調査できたのはこの辺りだ。…ルッカ、どうだ?」


「…………」


木々を見て間違いなくこの辺だとシスカは主張する。それに対し、ルッカは黙って木々を一本一本見て回る。


高野や他のエルフではない種族の冒険者たちからすれば、これまで通ってきた風景となにも変わらないように見える。


それもその筈、目の前に広がるのは、ただの森だからだ。区切りがあるわけでも、更地さらちがあるわけでもない。


当たり前だが、人が住んでいた形跡は全く見当たらない。


ルッカの後ろをついて歩きながら高野はシュゼットにふと湧いた疑問を投げかける。


「ねぇ、エルフの里って、木の上に住んでたり、地面を掘って暮らしてたりするの?」


「や、木の上に住んでいることはありますけど、地下に住んでいるのは聞いたことないですねぇ。普通に森を切りひらいて家を建てたりすることもあるそうですぅ」


「『あるそうですぅ』って…シュゼットは?」


「…私は木の上だったんですけどぉ、それはあんまり言いたくないっていうかぁ…」


シュゼットが声のトーンを下げ、珍しく歯切れ悪くモゴモゴ、と喋る。


「…木の上?…もしかしてシュゼットはハイエルフなのか?!」


しかし、シスカがそれを聞きつけ、小声でシュゼットに問う。木の上で生活するエルフはどうやら特殊なようだ。


「ほらぁ~…先生のせいですよぉ~。あー…はいはい、一応ハイエルフですぅ。実家からは勘当かんどうされてますけど」


シュゼットは露骨に嫌そうな顔をして投げやりに返事をする。


「勘当?」


高野が首をかしげる。


「色々事情があるんですよぉ~」


「いや、しかし、それなら君が…いや、貴女が方向音痴ほうこうおんちというのも納得がいく。シュゼット様、これまでの非礼、お詫び申し上げる。許していただけるだろうか?」


シスカがかしこまってシュゼットに頭を下げるが、シュゼットは慌てて首を振る。


「やめてくださいぃぃぃぃ。もうただの「シュゼット」なのでぇ」


「だが…」


「ハイエルフって知られても良いことないのでぇ。はい、もうこの話、お終いぃ」


シュゼットはパン、と手を叩いて話を終わりにする。


ハイエルフという名前とシスカの反応から察するに、エルフの上位種族のようなものだろうか。意外と言ったら失礼かもしれないが、彼女は良いところのお嬢様だったようだ。


本当は詳しく聞きたいところだが、よっぽどこの話題は嫌なのだろう。シュゼットはさっと集団の後方へと移っていく。


それをみてシスカは苦々しい顔をする。


「…申し訳ないことをした。彼女は気を悪くされたのだろうか…」


「いや、そもそも僕の質問がいけなかったですね。彼女も今まで通りの接し方を望んでいるようですので、シスカさんも今のは聞かなかったことにしましょう」


「…ああ、そうだな」


肩を落としていたシスカは高野の言葉に頷くと、依頼クエストの方に意識を切り替える。


その時、「…おかしい」とルッカがぽつりと呟いた。


「おかしいおかしいおかしいおかしい…え、おかしいよ!なんで?なんであの木もあの木もあの木もあの木も全部あるのに、里がないの?」


ルッカは「ここから!」と木を指差して、杖で線を引いて歩いていく。それは公立の小学校が運動場込みで2校分くらいすっぽりと入るくらいの敷地だった。


「…………ここまで!こんな木見たことない!ここにあったんです。私の里がっ!!!」


「「「「「……………」」」」」


ルッカがその線を越えて、しげる枝や草を押し分けていく。


「ここに!シイナの家があって、ここがツルボおばあちゃんの家…ここがヤドックさんの家で」


必死に同行者たちに里の中の説明をするが、里を見たことのない高野たちからすれば、寝ぼけた少女が夢の世界のことを必死になって説明しているようにしか見えない。


だが、以前の里のことを知るシスカだけは、彼女のそれが妄想ではないとばかりに頷く。


「それで…ここが………ここがぁ…………ここが………私の……家」


ルッカは樹齢1000年以上の木が立ち並ぶ、歴史ある森の真ん中で膝から崩れ落ち、涙を流す。


「なんで…なんでなにもないの…?」


「…場所が間違っているってことはありませんか?できるかどうかはわからないですが、ルッカさんの里の木をごっそりと別の場所に移動させた、とか。あるいは場所は合っているけどそこに新たに木を植えたとか…?」


高野が考え得る可能性をあげる。だが、シスカはそれに対し、ゆっくり首を振った。


「残念ながら…。木を移動させたら土が掘り起こされる。こけも、だ。そこに住み着いていた動物たちも離れてしまうだろう。そもそも…」


シスカはブーツで木の生えている地面を蹴って軽く掘り起こす。


「見てくれ。根がしっかりと張られている。こんなにしっかりと植物が根を張るまでにどれくらい時間がかかると思う?少なくとも植林して1~2ヶ月では不可能だ」


「…………」


里があったことを知っていたシスカも、そこに住んでいた筈のルッカでさえも、これは認めざるを得ない。目の前の木々が「はるか昔からここにはエルフの里など存在しなかった」と証明しているということを―――。


「奇妙なことだが、かなり前から…いや、樹齢を信じるならば元々・・、ここには里が存在しなかったことになる」


「…ッ!!」


シスカが暗い声で事実を述べ、それを聞いたルッカが唇を強く噛む。


「…一応、なんらかの薬や植物のせいで集団幻覚が起きている可能性も考えて、応急草も食べてみたけど、反応なしです。…どちらか『キュア』はできますか?」


「鉄壁」アイアンウォールのカタリナが自分と同じ神官職であるルッカとシュゼットに尋ねるが2人とも首を振る。


「『キュア』なら前回、私の同行者が試したが反応はなかった」


シスカが手を上げ、カタリナへ結果を報告すると、「そうですか」とカタリナは頷く。


「まあ、応急草でも効果は一緒だからねぇ。あとは万能草レベルかそれ以上の呪いの可能性も考えて、より高位の神官さんに『キュア(2)』でも試してもらうしかないけど、そんな魔法が使える神官さんって言ったら…」


「知恵者」ワイズマンのアンドレイが腕を組んでうなる。


「ネゴルならBランクの『聖歌』アンジュエラか、Aランク『光の巫女』ナーシャか。もしくはボロドム大神殿から引っ張ってくるしかねぇな」


バイソンの獣人ケステンが「あいつらを引っ張ってくるとしたらいくら金があっても足りねぇぞ。万能草を買った方が安いかもしれん」と肩をすくめる。


高野とシュゼットはナーシャとの面識はあるものの、彼女はティルのせいで顔と四肢ししの指に大怪我をしており、仮にお金があったとしても、現在到底とうていここまで連れてこられる状態ではないのを知っている。


「だが、そんだけ金を積んだところで、これが幻覚である可能性なんてほんの数%ってところだ」


「…………ッ!!!それでも」


「夜の街で生きたいっていうならアタシも止めないけどね。その時は、一晩くらいは買ってアゲル」


「………ッ!!」


肩に手を置いてドワーフの美女ハレーンがペロリと舌を出した。


「ハレーン…」


ヒューマンの男戦士ベルツがハレーンの名を呼び、彼女の冗談をとがめる。


「なによ~、もしそうなったら、ってこと」


「ムキにならないでよね」とハレーンがベルツのすね当てをガン、と蹴ってそっぽを向いた。


ルッカは白い手が真っ赤になるくらい拳を硬く握り、口を横に結んで黙り込む。


そのタイミングで突然、アンドレイがパンパン、と手を叩いて全員の注目を集めた。


「………さ、そろそろ夕方だ。森の夜は早い。早めに野営の準備をしよう。野営のポイントはそうだな…少し前に視界の開けた場所があっただろ?あそこにするとしよう。…シスカちゃん、案内頼めるかな?」


「承知した。こっちだ」


アンドレイが悪くなった空気を吹き飛ばすように明るい声を上げ、シスカに道案内を頼む。シスカも意図を理解し、先頭を歩き始める。


「ほら、ルッカさん、行きますよぉ~」


シュゼットがルッカの肩を抱いて集団の後ろをついていく。高野もそれに続こうとした時、「先生、ちょっといいですか?」とカタリナに声をかけられた。


「…?」


「眠り薬を持っていましたよね?少しだけ分けていただいていいですか?」


「いい…ですけど…………や、ちょっと待って。…なにに使うんです?」


高野の肩をアンドレイがポン、と叩き、耳打ちする。


「ちょっと確かめたいことがあるんだ」


「?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る