6.ケース「里を失った少女 ルッカ」
#1
――――― アマイア暦1328年
<コルト樹海>
大粒の雨が空から降り注ぐ。
広葉樹の若緑色の葉を雨が叩くが、まだ厚みを持たぬ若葉はそれを弾き返すことができず、森の中に水滴を招き入れる。
耳の尖った小柄な少女は、上から落ちてくる水滴から身を守るようにローブに身を
雨に濡れそぼった彼女は唇をきゅっと引き結び、「こんなの全然へっちゃらだもん」と呟いた。
そう、昨晩、同胞たちを襲った悲劇に比べれば―――。
彼女の里は昨晩、黒いフードをかぶった仮面の集団から襲撃を受けた。
狩りに出かけていた間に起こったことだ。里に火の手が上がったことに気づいた彼女が、慌てて里に戻ると、親友が炎に呑まれていた。
彼女の父親は家屋の下敷きになり、生きたまま炎に焼かれ、彼女の目の前で死んだ。
彼女の母親は身動きの取れない父の目の前で身体中を剣で突き刺され死んでいた。
「『ヒール』」
耳の尖った少女は持っていた杖―――クオーツロッドを掲げ、自分の身体を聖なる光で照らす。
女神アマイアの力の一部である聖なる光は照らした者の身体を癒やしていく。
魔法のおかげで、身体の奥がじんわりと暖かくなり、不安な心が少し
皮のブーツの中は慣れない遠出のせいでできた足のマメが潰れて血まみれになっていたが、それも「ヒール」が癒やしてくれた。
「早く…早く助けを呼ばないと…」
少女は自分のために身体を張って仮面の手段から守ってくれた姉を思い浮かべる。
いくら冒険者の姉でもあの人数相手にするのはあまりにも
妹思いの姉は、美人で、優しくて、狩りや料理が上手で、彼女の自慢の姉だった。昔からよく一緒に遊んでくれたり、色々なことを教えてくれたりした。
数年前、姉は冒険者になるために里を出た。他種族との交流を好まない保守的な同胞たちは里を出ることを反対したが、姉は反対を押し切って里を出た。
冒険者の仕事は忙しいらしく、滅多に里に戻ることはなかったため、少し寂しかったが、それでも少女は姉を応援した。
そして、昨日、久しぶりに故郷に帰省した姉をもてなすためにウサギを狩りに行ったのに…なぜこんなことになったのか…。
「…」
大粒の雨に顔を叩かれながら空を睨みつける。
恐らくこの豪雨によって里の炎は鎮火するだろう。里の中にまだ生存者がいれば、これで助かる者もいるかもしれない。
姉によれば、彼らは「魔神教」という名の集団らしい。なんの恨みがあって里を襲ったのかはわからないが、必ず見つけ出して
離れ離れになった姉も必ず探し出す。
そのためには一刻も早く街に着いて、助けを求めなければ…。
「…待っててね、お姉ちゃん」
――――― アマイア暦1328年
<レイル共和国 大都市ネゴル>
「やっと…着いた」
足に力が入らず、フラフラしながら耳の尖った少女は呟く。街道の先にようやく都市が見えてきた。
今まで一度も里から出たことがなかった少女は、旅というものを甘く見ていた。
里から最寄りの街がどれだけ離れているかを全く知らなかったし、街へ
そんな状態で「レイル共和国最大の樹海」と言われるコルト樹海に挑んだのだ。
そもそも、冒険馴れしたベテランの冒険者でもコルト樹海の探索は嫌がる。
コルト樹海ではコンパスは磁場の影響で役に立たないし、コルト樹海にはエルフの里が点在しており、他種族に友好的でない里に近づいてしまった場合には命の危険もあるからだ。
人があまり寄り付かないので、魔物や魔獣の住処も多く、コルト樹海に住むエルフのガイドなしでは
彼女も人間離れした記憶力を持っていなければ、間違いなく樹海で迷って死んでいただろう。
通った道がたまたま魔物や魔獣の住処とぶつからなかったのは幸運という他ない。
しかし、それはあくまでも結果だ。
魔物や魔獣に
また、食料の問題もあった。何の準備もできぬまま里から飛び出したため、日々の食事は現地調達が必要だった。狩りはいつでもうまくいくわけではない。早く街に辿り着くためには狩りに時間をかけることもできない。水場を探す時間もない。そのため、雨水を飲み、木の実や野草を食べて食いつなぐしなかった。
3日前の昼食後からろくな食べ物を食べていない彼女は精神的にも肉体的にも疲れ果てた状態でようやく大都市ネゴルと街道をつなぐ門の前にたどり着く。
「おい、大丈夫か?」
「…助けてください。里が……」
少女は荒い息をしながら地面に座り込み、第一声、助けを求める。
「里?」
門番は首を傾げ、少女の姿をじっと見て、近くにいた相方と目を合わせる。
「…どこの里だ?なにがあった?」
「…ええ?ええっと…ええっと…」
少女は里の名前を聞かれるが、外界と滅多に交流しない里には名前がないことに気づき、なんと伝えるべきか慌てる。
「とりあえず、こっちで座って休ませてやったらどうだろう?」
相方が初めに少女に声をかけた門番に提案し、「そ、そうだな」と門番も頷く。
そして、少女を自分たちの詰め所へと招き入れた。
「…ありがとうございます」
毛布で身を
流石に2人とも門から離れるわけにはいかないので、最初に声をかけた門番だけが詰め所で少女の世話をしてくれた。
「君、名前は」
「ルッカ」
少女は門番に自分の名を名乗る。
「ルッカ…と。…で、なにがあった?」
門番は調書にルッカの名前を記入し、先程と同じ質問をする。
少女は自分の身に降り掛かった出来事を門番に伝えた。初めて状況を言葉にすると色々な気持ちが
「そうか…大変だったな」
「はい…」
門番の一言にぽろぽろと涙をこぼしながら少女は頷く。
「コルト樹海からか…。そんな軽装でよくここまでたどり着けたな」
「あの…嘘じゃ…」
「ああ、もちろん信じるとも。嘘を言ってるような感じではないからな」
不安そうに門番の顔を見つめる少女に対し、門番は優しく頷きかける。そして調書になにかを書き付けた。
「だが、困ったな。エルフの里には名前がないのか」
「名前のある里もあるかもしれませんが、私の里には…」
「そうなるとこちらで報告するのは難しいな。街に『ギルド』というところがあるからそこで報告してもらう必要がある。だが…」
門番はチラリと少女を見る。
彼女が初めて里から出てきたことはその様子から門番にもひと目でわかったようだ。
「街の中に入るのには身分を証明するものが必要だ。なにかあるか?」
「…」
少女は困った顔をして首を横に振る。
「そうか、そうだよなぁ…」
門番は頭をボリボリとかいて申し訳無さそうな顔をする。
「一応、こちらも仕事でな。…身分証がない場合には1000Gを支払ってもらう必要がある。支払い能力がない場合、街で
「お金…」
少女は困った顔を浮かべた。彼女の里では貨幣は使わず、物々交換をするからだ。
「…お金は持ってないか?」
こくりと頷くと、門番は「そうか、困ったな」と呟き、腕を組んで少女の身なりを確認した。
彼女の身にまとうローブやブーツはボロボロだったが、耳飾りやネックレスなどの装飾品を身に着けている。その中で少女の人差し指に輝く指輪に目を止めた。
門番は「うーん…」と
「これですか?」
「ああ」
「…」
少女は人差し指に輝くブラックオパールの指輪を見つめる。
これはエルフ年齢で10歳になった誕生日プレゼントに母親から貰ったものだった。
母親が彼女を喜ばせようと時間をかけて作ってくれた宝物だ。
今となっては母親の形見になってしまったが、この街に入るにはこれを手放す必要があるらしい。
しかし、脳裏には燃え盛る炎の中、仮面の集団と対峙する姉の姿が浮かんでいた。
―――お姉ちゃんを早く助けないと…。
「…わかりました」
少し葛藤した後、少女は指輪を外し、門番の手の平の上に置く。
「すまないな」
門番はそう呟いた後、手の平の上にある指輪をポケットにしまうと、調書に素早くなにかを書き込む。
「………通行料支払い済み、…っと。…よし!じゃあ手続きはこれで完了だ!」
「本当ですか!良かった」
疲れ切っていた少女はその言葉に希望を見出し、花のように笑った。
「これが街の中で使える仮の身分証だ。失くすと大変だから気をつけろよ。出る時にまた門番に返却してくれ」
門番は少女に数字の刻まれた金属のプレートがついた細い鎖を渡し、それを首からかけるように、と伝える。
少女は最初に会った人が親切な人で良かった、と心から女神アマイアの導きに感謝し、それを首から下げた。
それを見届けると門番は「じゃあ、ついてきなさい」と立ち上がって詰め所を出る。少女はそれに大人しく従った。
門番は門の前で見張っていた相方に合図を送ると、相方は頷いて門を開く。
「うわぁ…」
少女の目に飛び込んできたのは見たこともない光景。
ヒューマンにドワーフ、トントゥに獣人…今まで知識として知っていたエルフではない種族が大勢いる。
見たことのない食べ物や建物、服…全てが新鮮で、少女は一瞬、街に来た目的を忘れそうになるが、門番の言葉が彼女を現実に引き戻す。
「ギルドは門から一直線に進んだ先にある大きな建物だ。…あの建物、見えるか?」
少女の視線にまで腰を
「あれが…ギルド…」
大きな門に白い壁の立派な建物だ。門番の話ではあそこに行けば姉についてなにかわかることがあるかもしれないという。
やっと助けが呼べると分かり、元気が出てきた少女は「親切にしてくれてありがとうございます」と門番の2人に深々と頭を下げる。
「なに、困った時はお互い様さ」
門番は「気にするなよ」とウィンクをする。
「さ、早くお姉さんのことをギルドに報告してくるといい」
「はい!!!」
少女は元気よく頷き、ギルドに向かって駆けていく。詰め所で少し休ませてもらい、水と食べ物にもありつけ、親切な人達に良くしてもらったので足が驚くほど軽かった。
少女の姿が見えなくなった後、相方が門番に「………で?どうだった?」と尋ねる。
門番は笑みを浮かべて、ポケットから見事なブラックオパールの埋まった
指輪の台座に収められているのは、ブラックオパールで、光に反射して虹色に輝いていた。それだけでなく、オパールにのみ存在する遊色効果によって、角度を変えるとまるで中の石の色が動いているかのように見える。
それ単体でもかなり値の張るであろう美しい宝石だ。
その台座の周りには意匠を凝らした金細工の花が咲き乱れていた。
これ程、見事な作品は街の宝飾店でもなかなかお目にかかれない。
「わぉ…マジかよ」
相方は興奮した声をあげ、指をつまみ上げる。
素人でもこの作品が10000G以上の価値があるだろうということはわかる。
エルフの
「他にも色々お宝は身につけていたけど、これが一番値が張りそうだった」
「だろうな。これはすげぇ。…どうやってあの子から取り上げたんだ?」
相方は目を輝かせて門番に尋ねる。
「…なに、簡単さ。『通行料は1000G。金がないならその指輪でいい』って伝えただけだ」
門番は意地悪い笑みを浮かべた。
「ははは!!!!!…ひっっっでぇ!通行料は300Gなのに。…確かにあの子、田舎者っぽかったが…良い社会勉強になったな」
相方は門番の話に大笑いする。後になって真実を知った彼女がどんな顔をするのか想像するだけでも笑えてくる。
「なんでも住んでたエルフの里が襲撃にあったんだと。大変だよなぁ」
「マジかよ、可哀想になぁ。…いや、待てよ………ってことはまだエルフの難民がこっちに来る可能性も?」
相方がはっ、と気づいた顔をして門番に両人差し指を向ける。
「…あるかもな」
門番は相方と顔を見合わせてニヤリと笑った。
「…門番なんて命の危険があるわりに安い給料だし、こんなことでもないとやってられねぇよな」
「全くだ。さ、仕事が終わったらさっさとそれ売っ
「その後は『オネーチャン』だな?」
「…違いねぇ」
仮に彼女が誰かにこのことを報告したとしても、この街ではそんなことは日常茶飯事だ。騙された方が悪い。
自分の身は自分で守れ。人を簡単に信じてはいけない。
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