#14
――――― アマイア暦1328年桜の月2日 午後 ―――――
<大都市ネゴル ギルド 相談室>
「それにしてもぉ~、ホント、怖かったですねぇ」
シュゼットは紅茶の入ったティーカップをソーサーに置いてしみじみと呟いた。
事件があってから約1週間、バタバタと色々なことがあったため、こうして相談室を開室できるのも久しぶりだ。
午前中はしばらく空いてしまっていた何人かのクライエントのカウンセリングを行っていた。ようやく昼休憩をしようとしていたところに、彼女がいつものように差し入れを持って現れたのだ。
ちなみに今日の差し入れは紅茶とスコーンだ。
初心者講習に出る前までは毎日のように昼休憩を一緒に過ごしていたが、なんだかこのピンク色の髪をした赤いフレームの眼鏡のエルフと向き合って話すのはとても久しぶりな感じだ。
「そうだね。シュゼット、巻き込んでしまってすまなかった」
高野はあの時、何度も心の中で後悔していた想いを口に出す。
袋に詰められ、目と耳の自由を奪われていた彼女は高野以上に怖い思いをしていたに違いない。
あの時、「帰っていいですか?」と言われた時、ちゃんと帰してやれば彼女はあんな目に合わなくて済んだ筈だった。
「あー…!!!いえいえ、そういうことではなくてぇ」とシュゼットが慌てて首を振る。
「大変だったですよね、って気持ちを共有したかっただけです。ほら、アタシもあの事件の一応被害者ってことになっているので、まだ他の職員には気を遣われちゃうんですよ。オーバンとかカリネ先生とかにも。ぶっちゃけ居心地悪いんですよぅ」
シュゼットは顔をしかめる。
確かにあれほどの事件に巻き込まれた直後の相手に、どう声をかけたら良いのかわからず、気を遣うというのは実際にあるだろう。
高野はシスカとのやり取りを思い出していた。
シスカはこの世界で高野が初めて受け持ったケースだ。元々は見目麗しいエルフの冒険者だったが、ソシアという魔物に捕まり、婚約者も仲間も目の前で殺され、彼らの寝床で
ソシアの巣から救出された直後はまるで人形のように無反応な状態だった彼女に対し、どう声をかけるべきかとても葛藤したのを思い出す。
シュゼットは彼女のような直接の被害者ではないにせよ、あの事件はレイル共和国を
あの日、リュウが失踪した後、
一晩経っても高野とシュゼットが戻ってこないため、状況を確認するために派遣されたという。
派遣されたのは
「結局、A~Sランクの冒険者を期待しても全然間に合いませんでしたよねぇ。先生がなんとかしてくれなければ、リュウさんたち以外は全滅でしたでしょうねぇ」
「いや、本当に綱渡りだったよ」
「先生が嘘のスキルを平然と語り始めた時はびっくりしましたよ。でもあの加護を見た時、本当に『カウンセラー』って
シュゼットは高野の身体が輝き出した時のことを思い出して呟く。
「あれ、『女神の加護』じゃないですよね?なんです?」
「『獣神の加護』」
「へ?先生、獣人なんですかぁ?」
シュゼットは長い耳をピクリ、と動かして高野の顔を見る。
「ヒューマンだと思ってたんですけど…ちょっとお尻触らせていただいても?」
「ダメだよ」
高野がシュゼットにお尻を触らせることを拒否したので、彼女はどこかに尻尾が隠れているのではないかとジロジロと探そうとし始める。
高野はそれを見て笑い、「いや…あー…うん。なんか異世界人って、厳密にはヒューマンではないらしいんだよね」と説明を始める。
「それで、アマイア様が不在?ってことで、
「なんですかそれ…滅茶苦茶ですねぇ」
シュゼットがびっくりしたような声を上げる。
「まあそのおかげで今回はハッタリの材料にできたわけなんだけど」
高野は笑って紅茶に口をつけた。
「…ティルさんの処分、どうなるんでしょう?」
シュゼットはカップに映る自分の顔を見つめながらポツリと呟く。
「多分、死刑だろうね」
「ですよねぇ…」
「「…………」」
2人は黙って紅茶に口をつける。
ティルはギルドに引き渡された後、ギルドが管理する凶悪犯罪者用の
ギルドが牢獄を持っているのを高野はこの時初めて知ったが、一応、街の治安維持機構としての役割も
とはいえ、彼女のように
彼女は投獄される際、抵抗する様子は一切見せず、ブツブツと独り言を
恐らくリュウに関することだろう。
「リュウさんのその後の情報って知ってしますぅ?」
高野の考えを読んだかのようなタイミングでシュゼットがリュウのことを尋ねる。
「いや…見つかったのか?」
高野はその後のリュウの消息を知らなかった。シュゼットは首を振り、彼女が知る限りの情報を教えてくれた。
あの事件からギルドも各街のギルドと連携してしばらく捜索を行ったが、全く情報は掴めなかったという。
一応、事件の責任の一旦は彼にあるとして、ギルドでは彼を見つけ次第、なんらかの
だが、彼のことだ。そのうち
「リュウさんに出会わなければ、なにか変わっていたんでしょうかぁ?」
シュゼットは暗い顔をして小さな声で言った。
「でもそれだと彼女はずっと前に屋敷の檻の中で死んでいたんだろうな」
彼女の話では、奴隷商に売られ、どこかの屋敷の「人間倉庫」という物騒な名前の屋敷に長年監禁されていたという。
しかし、リュウがそこに突入した時にはもうその屋敷を管理していた者はおらず、もう少し遅ければ彼女は
「彼女も―――可哀想っていうのは変なのかもしれないですけど…なんていうかぁ…」
「…そうだね」
シュゼットの言いたいことはわかる。
彼女がやったことは許されないことだが、彼女も完全な悪とは言い難い。
彼女がリュウと会わなければ、彼女が奴隷商に捕まらなければ、彼女がエルフの里を出なければ、彼女がエルフの里でうまくやっていれば…未来は変わっていたのだろうか?
「…あとこれ、こっそり他の職員から聞いた話なんですけど、ティルさん、どうやら妊娠していなかったみたいなんですぅ」
「…………は?」
―――ということは、全て彼女の妄想だったということなのか?
高野はサーッと顔から血の気が引いていくのを感じた。
彼女は妊娠が発覚して「半年くらい」と言っていたが、妊娠6ヶ月だとお腹が出てきていてもおかしくはない。ただ、個人差もあるから高野はそれほど不思議には思わなかったわけだが…。
―――それでリュウさんはティルさんのお腹に耳を当てた時、なんとも言えない顔をしていたのか…。
高野はあの時の違和感の正体を今、ようやく理解した。
あの時は彼女との子どもができたこと、父親としての心の準備ができていないことからの反応だと思っていたが、それにしても妙なリアクションだと思った。
「彼女、リュウさんとの関係を繋ぎ止めるためにあんな嘘をついたんですかねぇ」
「どうだろうね。子どもがいることを確信しているように思えたけど…」
「ケンちゃん」とお腹の子に名前をつけて、愛おしそうに腹部を撫でていた彼女の様子を思い出す。
「ちなみに実は妊娠してないこと、ティルさんは知ってるの?」
「ええ…。それを知ってから彼女、なにも食べ物を口にしなくなったそうですぅ」
「…」
彼女の中に残されていた唯一の生きる意味すら失くなったというわけだ。
きっと今の彼女ならば、死刑も抵抗せずに受け入れることだろう。
「捕まってた女の人たちは?カリネ先生が最近忙しそうにしているのは知ってるけど、状況を聞けていないんだ」
「幸い命に別状はありませんでしたぁ。今、ギルドの入院病床で治療中ですけど、皆、心に深刻な傷を負っていますからねぇ。落ち着いたら高野先生にもカウンセリングをお願いするかもしれません」
「そっか…」
彼女たちのこれからのことを考えると気が重くなる。義手や義眼の技術は地球よりも優れているのでそこが救いではあるものの…心に負った傷は相当なものだろう。
彼女たちはこれから前を向いて生きていくことができるのだろうか。
「「……………」」
2人の間に再び沈黙が流れる。
「そ、そういえば、初心者講習、途中で抜けちゃいましたけど、どうなったんですか?」
シュゼットがその沈黙に耐えきれず、別の話題を高野へ振った。
「ああ」と高野は頷き、首にかけていた
本人識別のために
高野の
「おお!」
「教官ど…っと…レーリー教官に言われた通り、この前、補講を受けにいってさ。今回の件の反省を踏まえて『狩人』としての戦い方のアドバイスとかもしてもらってきた。それで一応、合格ってことで、彼に勧められて冒険者登録も」
高野は癖になってしまった「教官殿」呼びから「レーリー教官」に言い直して、事情を説明する。
Eランク冒険者になるのには、初心者講習は必須ではない。紹介状等、素性の証明ができれば誰でも問題なくなれてしまう。
ギルド職員である高野も申請すれば取れてしまうが、高野の場合は、自分の護身のために参加していたので、冒険者の資格が目的ではない。だが、それでも「一応、ここまでやったんだ。記念にでも取っとけ。持っておいても損はしない」とレーリーに勧められたから取ったに過ぎない。
初心者講習と今回の事件で、アイテムやスキルの使い方は工夫次第で色々な可能性を秘めていることがわかった。こんな事件に巻き込まれるのは2度とごめんだが、この世界で生きていく以上、こうした事件にまた巻き込まれることがあるかもしれない。
今回の一件で、高野はこの世界で自分の命を守るためには自分でなんとかしなければならないということを改めて痛感した。
この世界には政府も法律もない。
一応、衛兵はいるが、冒険者の方が稼ぎは遥かに良いので引退した冒険者や冒険に出る実力のない者がほとんどだ。
ギルドの強制
今後のことを考えて対策は練って置く必要があるな、と高野はスコーンを
「なるほど。じゃあ先生が
「んー…まあないとは言えない…かな?」
「じゃあ、アタシもしておこうかなぁ、冒険者登録」
シュゼットがぼそり、と呟く。
「へ?なんで?」
「だって先生、パーティ組む相手いないじゃないですかぁ。友達少なそうだしぃ」
シュゼットはクスクスと笑う。
「失礼な!まだこっちの世界に来て間もないから知り合いがいないだけだよ」
高野はムッとしてシュゼットに反論する。
「それにぃ、『狩人』1人で冒険なんてしたら絶対死にますよぉ。アタシが『神官』としてサポートしてあげますぅ」
シュゼットが笑って言った。
「え?俺、そんなに頼りない?」
「そもそも言葉が通じない魔物にはハッタリなんて効きませんからねぇ」
「う…まあ確かに」
今回は高野の冒険者としての実力ではなく、ティルを言葉で丸め込んだだけに過ぎない。
「あ、先生ぇ。…アタシ、ずっと気になってたことがあったんですけどぉ」
シュゼットが唐突に話題を切り替える。声の感じからすると、これが本題なのかもしれない。
「なに?」
シュゼットは
「なんであの時、『爆発させてみたら』なんて言ったんですかぁ?」
「ん?ああ…」
ティルが仕掛けたトラップを「
「あの日、ティルさんは先生がスキルを発動させたことを疑っていました。彼女、リュウさんの気持ちが自分の方に向かないなら心中してもおかしくなかったんじゃないですか?」
シュゼットは高野があの時、全員の命をかけるような危険な賭けに出たことが不思議だったようだ。
「それは絶対ないと確信してたんだよ」
高野は首を振る。
「?」
「だって、そんなことをしたら愛する彼も、彼の子どもも死んでしまうじゃないですか」
ティルはリュウが生きる全てだった。その彼女がリュウやリュウとの子どもを巻き込んで自殺することはあり得ない。
もちろん、相手が自分を受け入れないなら相手と一緒に心中するというパターンだって考えられる。
しかし…
「彼女はどんな時でもリュウさんだけは傷つけることをしなかった。…物理的には、ですけど。彼女としては精神的に傷つけている自覚もなかった筈だ。なぜならそれが彼女の中にある唯一絶対のルールだから」
「…」
「彼女は俺たちにとっては理解し難い行動を取っているけど、ちゃんと一貫したルールがあったんだよ。だから『皆を爆薬でふっ飛ばす』ってことを交渉のカードにした時点で彼女の負けなんだ」
「なるほどぉ?」
シュゼットが眉間に
「…まあ、さっきのティルさんが妊娠してなかったって話、彼女の演技だったら成立しない駆け引きだったわけだけど」
だから高野は先程シュゼットから後日談を聞いて真っ青になったのだ。
「でもでもぉ~、もし、ジェラルディさんたちに爆薬を仕掛けたっていったら?それなら彼女はノーリスクじゃないですかぁ」
「それなら『
高野は実際にそのシチュエーションを想定していた。その場合に言うつもりだった嘘をスラスラと延べる。
「…」
シュゼットは目を細めて高野をじ~っと睨む。
「なんです?」
「…カウンセラーって…いや、
「言ったでしょう?全員が生き残るためなら
高野はニヤリと笑って紅茶を
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