#11



血の匂い…



血!


血!


血!


血!


どこもかしこも血!!!




「…!?」


リュウは思わず息を飲んだ。


まず目に入ったのが部屋の左端だ。


顔が原型を留めない程、無残に切り刻まれたトントゥが天井に吊るされている。


「…な、ナーシャ…か?」


リュウは上擦うわずった声を上げ、両手両足を縛られたことを忘れ、彼女に近づこうとして地面に倒れる。


「大丈夫ですか!?」


ティルが心配そうにリュウに駆け寄り、抱き起こす。


「…おい、一体どうなってるんだ」


リュウがその言葉だけをなんとか絞り出す。


「…あ…………………あ…………」


「!?」


うめき声が聞こえ、リュウは赤い部屋の中に紛れて気付かなかった手前の赤黒い肉のかたまりに目を止める。


「……………は…ッ…………嘘だろ」


全身の毛を皮膚ごとむしられ、両耳を引きちぎられたうさぎの獣人だと理解する。


「…ジェラル…………ディ。……………なんでこんな………!?」






そして気付いた。


否。


最初から気付いていた。


気付いていたが、無意識に気付かぬフリをしていた。


気付いてしまったら現実だと認めてしまうことになる。


それほどに認めがたい現実………………。


リュウはギギギギ、とまるで油を差す機械のようにぎこちなく、部屋の中央にあるロッキングチェアに目を向ける。


「あ……………あああああああ………あああああああああ………………!!!!!!」


リュウはその場で膝を突き、慟哭どうこくする。


そこには四肢と両胸を切り取られた金髪のヒューマンの女性が虚空を見つめたまま乗せられていた。


「マリ………エル…………マリエル…………………………マリエルマリエルマリエルマリエルぅぅぅぅぅううううううう嘘だぁぁぁぁぁぁぁあああああ」


リュウは人目もはばからず涙を流す。


「…辛いですよね。リュウくん…」


どの口がそのセリフを言うのか…。


ティルはリュウを抱き起こし、頭をでる。


「よしよし…悲しいですね。私も辛かったです…」


「…は?」


リュウはなにを言っているかわからないとばかりにティルを見上げる。


「お前が…お前がやったんだろうが!!!」


リュウがティルに向かって怒鳴りつける。


それに対し、ティルはびくり、と肩を震わせ、心底驚いた顔をした。


「怒鳴らないでください…怖いです」


「…お前が…………お前が………マリエルたちに……こんな…………こんなことを…」


涙を流すリュウの頭をティルは自分の胸に乗せ、優しく抱きしめる。


「大丈夫です。私が…私がいます。私とケンちゃんが貴方の側にいます」


「…………」


ティルはリュウの怒りをまるで理解していない。あまりにもティルに言葉が通じなさすぎてリュウも言葉を失う。


「彼女たちはもう貴方をたぶらかすことはありません。―――そうでしょう?マリエル?」


ティルがロッキングチェアに乗るヒューマンに冷たい声を投げる。


「ヒッ!?」


虚空を見つめていたマリエルがティルの一声で正気に戻り、ガタガタ、と震え始める。


「どうなんですか?貴方はリュウくんのことがまだ好き?」


ティルが残虐な笑みをたたえて、四肢と乳房を失ったヒューマンに問う。


「ききききききき、嫌い。だいっっっっっきらい。そんなヤツ。ぜ、ぜぜぜぜ全然好きじゃない」


マリエルはリュウの目を見てヒステリックに叫ぶ。ほとんど反射に近い反応だ。


…恐らくティルはマリエルにこのセリフを言わせるために時間をかけて、全身に恐怖を刻みつけたのだろう。


「お願い………お願いだから………にににににに、二度と私の前に現れないでぇぇぇぇぇえええええええ!!!!!」


マリエルは涙を流しながらリュウを睨みつける。その瞳に宿るのは間違いなく憎悪ぞうおの色。


「あらあら…」とティルは嬉しそうにクスクスと笑い、リュウのほおに手を触れる。


「可哀想なリュウくん………酷い人ですね」


「ティル…お前…………こんな…………こんなこと…………」


リュウは怒りとショックと悲しみと………様々な感情が頭の中を駆け巡り、思考がまとまらないままティルへ訴える。


しかし、ティルにはその悲痛な訴えは届かない。


彼女はこれでマリエルはもうリュウと結ばれることはないと確信し、心の底から喜んでいた。


「はい、じゃあ次はジェラですね。…ジェラ?」


「…」


ティルがジェラルディに声をかけるが、彼女は反応することなく、ブツブツと呟く。


「お返事してください」


ティルはジェラルディの毛と皮膚が剥がれ落ちて、赤く濡れた肌に触る。


「~~~~~~!!!!」


ジェラルディは痛みでもだえ苦しみ、声にならない悲鳴を上げる。


あの強い意志を持った黒い瞳は恐怖に染まり、彼女は「あぅ………あぁ……」とティルから必死で逃れようと身体を丸める。


「…ダメですね。お話はできないみたい。ナーシャ?」


それをみてジェラルディに対する興味を失ったティルは天井に吊るされたトントゥの女性に声をかける。


「あぁ…もう切れた・・・んですね」


ティルは彼女の反応がない理由を察し、冒険者バッグからポーションを取り出す。そして彼女に飲ませた。


「…これで話せます?」


「…ペッ」


ナーシャはティルの顔面に唾を吐きかける。


「きゃッ…………ちょっと、リュウくんの前でなにするんですかッ!」


ティルが苛立いらだってナイフを取り出す。


「どうやら貴女だけはまだ自分の犯した罪を反省してないみたいですね」


ティルはナイフでナーシャの身体を傷つけようと振りかぶる。


「…ッ!!」


ナーシャは傷だらけの顔でもなお、ティルのナイフを睨みつけて歯を食いしばる。


その時、「やめろっ!!!」とリュウが叫んだ。


「リュウくん…」


ティルは振り上げたナイフを下ろし、リュウを振り返る。


「もう………もう、良いだろ。十分だ。もう十分だから…」


リュウはそれを絞り出すだけで精一杯だった。


「…ですって。リュウくんの優しさに感謝してくださいね」


ナーシャにボソリと耳打ちするとティルはナイフを冒険者バッグにしまう。


「…さて、リュウくんもこれで理解してくれたと思います」


「ああ…」






ピピピピピピピ…………!!!!!






その時、唐突にスマートフォンのアラームの音が鳴り響いた。


先程、リュウに会う前にどさくさに紛れて高野が30分後にセットしたアラームだ。


実際にはいつ鳴るかわからない時限爆弾のようなものだったが、なにかに使えると思って設定しておいたものだが…。


「先生!?」


ティルは固い表情でこちらを睨んだ。リュウもシュゼットもこちらを見る。


―――タイミングが良いのか悪いのかわからないけど、これを利用してハッタリをかますしかない。


高野はゆっくりと頷いた。


『上書き』リライトが完全に完了した音です。…ティルさんのおかげでリュウさんの『洗脳』は完全に解けました。…そうですよね?リュウさん」


高野は真剣な目で我を失いかけたリュウを見つめた。


「…ッ!!」


―――冷静になってください。リュウさん。貴方がここで「洗脳」が解けたフリをしなければ、逆転の目がなくなる!!


高野が必死で目で訴えかけるとリュウはギリッ…と歯を食いしばり、そして頷いた。


「…ああ。今ので完全に目が覚めた。ティル、俺が間違っていた。もう俺にはお前しかいない。…いや、初めからお前しかいなかったんだ」


「…………ッ!!!」


ティルがその言葉を待ち望んでいたかのように目を赤くして、コクコク、と頷く。


「ティルさん。もう拘束は不要です。彼を自由にしてあげてください」


高野はこれ以上ないタイミングを狙って再度リュウを解放するように促した。


「はい!!」


ティルは高野の言葉に今度は素直に応じる。そして先程のナイフを取り出すとリュウの縄を解いた。


「…」


両手と両足の拘束が解かれたリュウが手と足の動かし、動作を確認する。無言で手を開閉する姿は明らかに怒気をはらんでいるが、普段は怒りに敏感なティルも今、この瞬間ばかりはそれを見逃していた。


リュウの頭の中にはジェラルティやナーシャ、マリエルとの思い出が浮かんでいた。


彼の心の中でどす黒い感情が広がっていく。


「先生…本当に…本当にありがとうございます。私のリュウくんが戻ってきました」


そんなことに全く気付かないティルはリュウが正気に戻ったことを確信し、浮かれたように笑顔で高野に頭を下げる。


そして、ティルは窓から外が明るくなってきた様子を見て、手を合わせて「…あ、いけない」と呟く。


「そろそろここから出ないと…ギルドも流石にもうなにか手を打っている筈です。Sランク冒険者が来る前に移動しないと。…先生、私とリュウくんはここで失礼します」


ティルは「行きましょう」とリュウの手を引いて小屋の扉に手をかけた。


リュウはその時、ティルの冒険者バッグからナイフを奪い取る。


「!? リュウく…」


「あああああああああ!!!!!!!!!!『月爪』げっそう


戦闘スキルが発動し、ナイフが黄緑色の光を放つ。


「戦士」の職業ジョブの上位スキルだろうか。授業では習わなかったスキルだ。


リュウは黄緑色の輝きを放つナイフを躊躇ちゅうちょなく、ティルのこめかみに叩き込む。




しかし、それは彼女の身体に触れることなく空中で展開された障壁によって阻まれた。


「!?」


「魔法使い」であれば必須といってもいい防御スキル「魔法障壁マジックウォール」が自動で発動したのだ。






「………………………どういうことですか?」


ティルはリュウと高野を信じられない程冷たい目で見て、そう問うた。

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