#10


「…そりゃ戸惑とまどうだろ」


高野をにらみつけるティルにポツリと呟いたのはリュウだった。


「お前との子ども…予想外だけど…………う、嬉しいよ。…もちろん」


リュウはティルにぎこちなく笑いかける。


「本当に?」


ティルはリュウを真剣な顔でじっと見つめる。


「ほ、ほんとに」


リュウは引きつった笑みでティルに応えた。


「そう…」


ティルはすっと目を伏せる。




―――終わったー…………リュウさん、表情が…表情が全く嬉しそうじゃない…。誕生日プレゼントに親からドヤ顔で参考書を渡された時の子どもの顔みたいな顔をしている…。




高野は目をつぶって「最早、ここまで…」と死を覚悟した。


しかし、リュウのリアクションに対し、ティルは予想外の反応を見せた。


「そうですよね!」


ぱっと表情を明るくする。一瞬で部屋全体をおおっていたてつくような空気が霧散むさんし、まるでお花畑のど真ん中にでも突然放り込まれたかのような甘ったるい雰囲気に変化する。


「今まで隠してたんだからリュウくんだってびっくりしますよねっ」


「あ、あはは、そうそう」


リュウはうんうん、と首を激しく縦に振る。


…なんなのだろうか、この大根役者は。打ち合わせてもいないオーバーなリアクションを勝手に取るし、セリフは棒読みだし、表情は素直だし…やる気あるのか?と胸ぐらを掴んでやりたい気持ちに駆られながら、一応高野も笑顔で頷いておく。


―――胃が痛い。


「もう…私ったら…リュウくんが喜んでくれないのかと思って悲しい気持ちになるところでした。伝えるのだって…勇気がいるんですよ…」


「あはは…不安にさせて…ごめん、な?」


「リュウくん…」


ティルは涙ぐむ。


「私…嬉しいです…」


グスッグスッ、と涙を流しながらティルは顔を抑えて震え、椅子に縛り付けられたまま座っているリュウの膝に崩れ落ちる。


「やっとこれでリュウくんと正式な夫婦になれる…ようやく…ようやく伝えられた…」


ティルはリュウの膝に頬を乗せて彼をつややかな目で見上げる。


「お、おう」


リュウはティルの高ぶる感情に圧倒されながらも、なんとなく醸成じょうせいされたその場の「いい雰囲気」を壊さないよう曖昧あいまいに頷く。


ここで彼女の機嫌を損ねてはならないと本能的に察したのだろう。


「本当は結婚するまでにそういうこと・・・・・・をしてはいけないから、私と、その…した・・時点で私たちは夫婦なんです。あれ・・は結婚の儀式ですから」


「うん?」


ティルとリュウには肉体関係があるので、自分とリュウは夫婦であると主張するティル。彼女の理屈でいくと、彼は大勢の配偶者を持っていることになる。…そもそも彼女が一番最初の相手かどうかも怪しい。


しかし、高野はそれをこの場で指摘する勇気はなかった。リュウも恐らく同様のことを考えたのだろうが、この場では語尾を上げるだけに留める。


「それに本当なら他の人たちと関係を持ったならそれは浮気だし、本来なら妻である私はこれ・・を取る権利だってあるんです」


ティルはリュウの服の上から股間につつ、と人差し指をわせ、そしてリュウを見つめる。


「…!!」


リュウはティルの発言の意味と万が一、彼女が去勢きょせいしようとした場合、回避不能である状況を理解し、さっと青ざめる。ようはち○こをちょん切るぞ、と脅しているのだ。


「しかも、ですよ。私との赤ちゃんができてますし、他の女が悪さをしないようにリュウくんが他の赤ちゃんを作れない身体にしてもいいと思うんです」


「ええええええ…」


リュウは真っ青になりながら声を上げた。


今回の問題はそもそも彼の股ぐらから始まっているので、彼のブツを撤去することについては高野も異論はない。しかし、それで解決する問題でもないので高野は余計なことは言わずに黙っている。


しばらく狂気的な笑みを浮かべたティルと青ざめたリュウは無言で見つめ合った。


「…なーんて…う・そ♡」


可愛い声を上げながらティルはリュウの腰に抱きつく。リュウの顔は緊張で凍りついていた。


「だってリュウくんは悪くないですもん。洗脳されてたんですから」


「…お、おうよ」


実際には全て「自主的」に4股を遂行したリュウは冷や汗をダラダラ流しながら「洗脳」のせいにして頷く。


「でもこれでわかってくれたでしょう?私と貴方の間には赤ちゃんがいるんです。だからこれからは私の…妻のことだけを見てくれますよね?」


「う…む…」


「あら?もしかして本当に取られちゃうと思いました?ここ・・


ティルはふにふに、とリュウの股間を人差し指で押す。


「も~、するわけないじゃないですか。だって私…まだまだリュウくんとは…いっぱいいっぱい赤ちゃんが欲しいですからっ…きゃっ、恥ずかしい」


ティルは小さい声で恥じらいながらリュウに気持ちを伝えると、顔を赤らめて、後ろに飛び退く。


「…なにを見せられてるんですかねぇ、私たちぃ」とシュゼットがボソッと冷めた声で呟く。


「…だ・か・ら今回のことはあれ・・で許してあげます」


あれ・・?」


首を傾げるリュウにふふふ、とティルは微笑み、形の良い唇に人差し指で手を当てて「まだ秘密です。ね、先生?」と高野にウィンクする。


「え…ええ」


高野は部屋の向こうにあるものをまるでサプライズのプレゼントのように言うティルへ恐怖しながら曖昧あいまいに頷いた。


「先生は凄いですね」


「はい?」


唐突に話を振られて緊張する高野に対して、ティルは「だって」と付け加える。


「万能草を何百枚・・・食べてもらっても解除できなかった洗脳を先生はほんの少しの間で解いてしまったんですよ?」


ティルは嬉しそうに高野に笑いかける。


万能草は大半の病や状態異常を治すことから、かなり高価な値がつくというが、それを何百枚も集めたことと、それを全て食べさせて力ずくでありもしない「洗脳」を解除しようとしたティルの執念に、高野はぞわっと怖気立おぞけだつ。


リュウも万能草を何百枚も口に押し込まれた記憶を思い出したのか、あからさまに嫌そうな顔をしていた。


そのリュウの表情を見て、なにを勘違いしたのかティルは「リュウくん、長い間座らせていてごめんなさいね」と謝り、椅子に縛り付けていた部分の縄をナイフで切った。


椅子との融合を解かれたリュウは両手を後ろに回し、両足を揃えたまま椅子から立ち上がる。


リュウはカチカチに固まった身体をほぐすようにその場で大きく伸びをした。


「…あっれぇ、なあ、ティル、この両腕両足の拘束は?」


リュウが両腕と両足を未だに制約するいましめを解いてもらおうと、とぼけて主張するが、「それはまだです」とあっさりティルに却下される。


「なんで?もう『洗脳』にかかってないってわかっただろう?苦しいよ、ティル、解いてくれよぅ」


リュウが甘えた声で再度、ティルに懇願こんがんするが「ふふふ、ダメです♡」と笑顔で首を振って断られた。


そしてティルは高野に向き直る。


「先生、気を悪くされたらごめんなさいね。決して先生を疑っているわけではないんですよ」


申し訳無さそうな顔をしてティルは高野に謝る。


「でも、私、この幸せが嘘みたいで…。あれ・・を見せてからじゃないとまだ信じられないみたいなんです」


「縄を早く切ってくれよ!!」と心の中で叫びながら高野は「わかります」と重々しく訳知わけしり顔で頷いた。


「長時間身体縛られて限界なんだよう。ティルぅ~」


「もうちょっとだけ、我慢してくださいね。…それよりもリュウくん」


「?」


手足を縛られたままくねくね動いていたリュウにティルが笑顔を向け、自分の腹を指差す。


「お腹」


「へ?」と聞き返すリュウにティルは頬を膨らませて可愛くむくれて見せる。


「お腹!お腹に耳を当ててください。パパなんですから」


「…」


「早く!」


リュウは言われるまま、その場に膝をつき、ティルの腹にもたれかかって耳を押し当てる。


ティルはそのリュウの頭を愛おしそうにでながら子どもの胎動たいどうが聞こえるように優しく抱きしめる。


「…聞こえますか?私たちの赤ちゃんの音が」


ティルは目をつぶって耳をましながら優しくリュウに問いかけた。


「…?」


「ね、聞こえるでしょう?」


ティルは嬉しそうに微笑む。リュウに胎動たいどうを共有したくてたまらないという顔だ。


「あ、ああ…」


リュウは苦笑いしながら頷く。認めがたい事実を突きつけられたような顔をしている。


「わかりますか~、パパですよ~。あなたのこと、ようやくパパに話せる日がきました」


ティルは愛おしそうに腹をでながら自分の子どもに語りかける。


ティルの腹は一見大きくなっていないが、胎動たいどうがわかるということは4ヶ月くらいは経過しているのだろうか。


「ちなみに妊娠がわかってからどのくらいなんですか?」


高野が問うとティルは機嫌良く「半年くらいです♡」と応える。


「あ、ほら今、パパを蹴ったのわかりますか」


「う、うん」


リュウは頷く。


「ねぇ、名前。なんて名前にしましょうか」


「え?」


リュウが困ったような顔をしてティルを見上げる。


「『え?』じゃないですよ。この子の名前です。…パパなんですから。ね、先生」


ティルはリュウに苦笑し、そして高野の顔を見る。高野は「とりあえずつけてあげてください」とばかりにリュウにウィンクした。


「そ、そうだなぁ…」


「なんて名前をつけてくれるんでちゅかねぇ~」


ティルはご機嫌な声で胎児たいじに声をかける。


「『ケン』とかどう?」


「『ケン』…ケンちゃん。ケンくん…。…。…?」


ティルは黙り込み、お腹をぜる。




しばらく部屋に沈黙が流れる。


なんとなく重苦しい空気が流れ、シュゼットがこっそりと高野の服のすそを再び摘む。


「…あ、あれ、やっぱりダメだった?」


リュウがティルの反応に失敗したかというように尋ねると、ティルは首をふるふると横に振る。


「…ううん。嬉しいんです」とティルがぽろぽろと涙を流した。


「私たちの子ども…ケンちゃん。大事に愛情を込めて2人で育てましょうね」


リュウはこくこく、と表情を固くしたまま頷く。


「貴方の子だからきっと強くて勇敢な子になると思います。男の子か女の子かわからないけど…女の子だったらきっと可愛い子に育つ筈です」


「…ぁ、や、やっぱケンちゃんはやめよう…」


安易に男の名前をつけようとしたリュウは、女の子の可能性もあることに気づき、慌てて子どもの名前を変えようと提案するが、


「ケンちゃんでいいじゃないですか!!」


ティルが思いの他気に入ったのか、大きな声を上げて叫ぶ。


「あー…はい、いいです。はい」とリュウはティルの剣幕に押し切られ、頷いた。




「ケンちゃん、私の大事なケンちゃん…」


ティルはその名前を腹の中の子どもにきざみつけるように繰り返した後、リュウを立ち上がらせる。


「?」


「さ、そろそろ行きましょうか」


「行くってどこに?」


唐突なティルの誘いにリュウが首を傾げると、「どこって…」とティルはドアノブに手をかけて笑う。


「隣の部屋に、ですよ。さっき言っていた浮気の対価を見せてあげます。パパになったリュウくんならきっとわかってくれる筈です」


そしてティルはゆっくりとドアノブを回し、隣に続くドアを開く。


たちまち、むわっとする血の匂いが一気に強まり…自分たちの鼻がおかしくなっていたことを再認識する。あの部屋だ。




拷問と血と血と血と血と血の…


凄惨せいさんな赤い部屋…。






「…さあ、彼女たちとご対面です」


ティルはぞっとするような笑顔をリュウに向けた。

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