第13話 羽衣

 武田の兵を甦らせる。

 そう彼女は言った。嘘っと言いかけたが、その嘘のような存在をわたしは目の当たりにしている。

『僕はこの眼で見たよ、信じられないものを、死闘を』と先生も言っていた。

 信憑性は実感できない。

 しかしあの蠢く舌のような器官を持つ痘痕は、わたしの、ブンの肩甲骨の下にある。そしてそれは他人に感染していくようだ。恐らく接触感染か粘膜感染に違いない。女伝手で足軽を集めていたと女鏡鬼は言っていた。そのために援交をできる女子を集めていたのだろう。


 援交って、苦い想い出がある。

 校則の厳しい女子高で、反動が行動に出てしまった。

 髪の毛の長さやソックスの丈ですらメジャーで測る校則。

 監視の目に辟易へきえきし未知への好奇心もあって、軽い冒険の延長でデートクラブに加入した。そこではキャストと呼ばれ、プロダクション在籍風のIDを貰い芸能人の気分になった。だが実際の活動は、移動式風俗業と言っていい。

 特に制服のままで見知らぬドアを叩くと、ギャラが多く貰えた。

 休日は市街のマンションで、それぞれのキャストはメイクしたり雑誌を読んだりして待機していた。指名で入ると、取り分の%が上がる。ランクが上がれば%が上がる。その数値の序列で待機場所での扱いが段違いに変わる。

 配送されて仕事をするのをロケといい、現場ともいった。客にタイプとは思われず、チェンジされるのをtake2とか3とか。そうした業界っぽい用語が、現場に送迎される生臭いワゴンの中に満ちていて。それでも当時は高校生特有の無敵感があったので、指名のランクアップに熱を上げていた。

 それから足を洗えたのは、好きな男性ができたからだ。

 懐古的な趣味に目覚めたのは多分、彼の影響が大きい。

 加えて彼のアドレスを、顧客リストの中に見たからだ。

 それから怖くなった。

 自分の履歴を知られる可能性を。

 履歴が後ろ暗い闇にあることを。

 わたしは大学受験を機に、昔の自分を捨て去ることにした。己が殻を脱ぎ捨てて、信州で新しい一歩を選んだ。


 はっと覚醒する。

 ジムニーの後部座席に鳴神六花と同席して、しかも肩を抱かれている。

 路面は滑らかではあったが、かなりアクセルを煽っているらしく、ボディが激しく揺れている。

「ここは・・」と言いかけて、口に粘いものがこみ上げてくる。戻された、ということだ。しかもあの局面で。

「助けて!ブンが危ない!」

「できる限りのことをするわ。場所も早くに解ったの」と冷静に立花がいう。

 やはり彼女の髪の毛を、右手の人差し指に巻いていたおかげかも知れない。

 理由はよく分からないけど、毛髪で彼女の義妹の眼にはわたしの見る光景が視えるらしい。ただそれが分身に同期しても、義妹の能力が繋がるのかは未知数だから、ミカにiPhoneのIDを書き換えさせるbackupも必要だった。

 最近の迷惑メール防止に、推しの武将の没年月日だけど、次のパスコードを用意していた。昨日までの記憶を共有しているブンならそれを選ぶ。5月連休頃の記憶しか持たないミカには知るよしもない。

「あれから、あれからどのくらいの時間が経ってるの」

 わたしが同期したのは午後の3時半、身体を洗っていたのは4時過ぎだと覚えている。しかし今の車窓の向こうは、夜の帷が降りている。ブンの肉体への饗宴が始まっているのは想像に難くない。

「今は6時過ぎというところね」

「場所は、白骨峡谷の手前、梓湖を望める瑞鳳ホテルよ。そこにわたしの分身の女と、伸一の分身がいる」

「それもわかっている。わたしも色葉に同期できるようになったの」

「おい」

 甘利先生が「いいのか」と肩越しに言った。

「色葉ちゃんの能力はもう広げたくないのだろう?」

「命さえ、というか魂の器を狙われてなきゃね。敵を排除するまでは何だってやるわ」と言って、次はわたしに斬り込んだ。

「覚悟して聞いて。貴女の本体は、石女尼うまづめにという魍魎が取り憑いている。その元彼というのも、恐らくは面妖鬼が憑依している」

「わたしの・・本体」

「そう。残念ながら貴女のは、その革コートの女よ。貴女が分身なの。私は本体を潰すわ。そうして初めて貴女は受肉して人間に戻れるのよ」


 あの手鏡の能力は、作用と反作用がある。

 分身の錬成という利便さだけではない。

 本体の魂を切り分けして分身に与える。分身を多数つくると、魂が人間としての絶対必要量に達することはできない。このために魂の不足分を動物霊や生き霊、鬼で埋めてしまう。

 羽衣を得たあの分身のように、噛みつくような悪意に満ちることもある。

 わたしを刈り取ってあげると言ったミカは、不足分への餓えがあるのだ。

「貴女はね。僭越だけど、里帰りをするような、真っ当な人格だから引き受けたの。分身を統合していって、やっと人としての必要な濃度を満たせた。そうでないと彼女を、ブンという娘を生み出せないわ」 

 わたしは過去の自分を脱ぎ捨てたつもりが、脱皮した殻だけの虚な存在だったのかもしれない。

「それで積年の憎悪と怨嗟を抱いた魂が、貴女の本体に憑依しているの。何か覚えがあるのかしら?」

 わたし自身に魍魎は孕んでいたのか。

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