第10話 羽衣

 鋭い錐で、突き通されている。

 無遠慮な視線は刃物のようだ。

 対抗する冷たい目線はひとつ。

 男たちの獣の目は8人までは数えられた。

 電撃で撃たれたのか、全身に痺れがある。

 視界の歪みも、何か一枚ヴェールをかけているかのようだ。

 特に背後に回されている腕と背中には、激痛が走る。

 そこに中年太りの腹をした男が入ってきた。階下から上がってきたようだ。剃髪してしじみのように小さい丸い目をしていた。背は高い方ではない。わたしが高めのヒールを履けば、その刺青のある頭を見下ろせそうだ。

 ギョッとして何か口走ったが、中国語でわからない。

 しかしそれで男たちの情欲に溢れた視線に、畏怖の色が加わっている。彼への緊張感なのか、彼がわたしに向けた異質感を察したとも思えた。

 黄皓は相変わらずの黒レザーを着ていて、他の男たちも薄汚い作業服や、チームの特攻服などを思い思いに着ていた。年齢層はもまちまちで見たところ懐具合も同様だが、性欲だけは一律に溢れるほどありそうだ。

 この場所にミカがいるという保証はない。

 しかしブンをわたしと誤認して、狩りに来るはずだ。

 肉体という器を欲しているならくるはずだ。

 それまではこの肉体への性の饗宴が始まるのかもしれない。その責めに耐えなくてはならないかもしれない。けれどわたしだったら・・

 鳴神六花は助けに来ると言った。

 その言よりも、戸籍のない男たちを喰いに来ると言ってくれた方が、まだ信じられた。

 不意に肩に手を置かれた。

 細い掌。男のものではない。

 その瞬間から、砂糖が、塩が、水に触れて溶解していくように、肌に触れている繊維の感触が朧になった。繊維がぐずぐずに崩れて散らばっていく。わたしの乳が驚いてぶるんと震えている。手を後ろ手に縛られているので、身悶えするだけで隠しようもない。哀れな艶かしい抵抗をするだけで、細やかな糸屑の残骸がばさりと散った。

 男たちの「出た!」と下世話な歓声が沸騰した。

「でけえ、舐めてえ」

と多英の胸を揉みしだいていた年嵩の男が呟いた。

「おおっ、また勃起ってきたわ」

「下はそのままかよ」

 緩く開いた股間を覗こうと腰を落としながら、口笛やら罵声が浴びせかけられた。幸いなことにストッキングと靴だけは消えなかったので、少しほっとした。

 背後にふわりと降り立ったのは、ミカのようだ。そのためミカに紐付けされた衣服が消え失せた。

「ふふっ、まるで猿ね」という自分自身の冷たい声が、頭ごなしに届いた。降り注いだ辛辣な言葉を浴びた途端に、その沸騰は一気に氷点下に落ちた。

 彼女の掌は意外なほどに冷たく、望外なほどに優しかった。

 横目で見ると部屋着にしていたダウンが見えた。彼女は羽を背に畳まずに、わたしの裸を覆うように翼を前に回してくれた。その翼には骨格というものがなく、羽毛が重なり合って強靭なものになっているようだ。

「鏡とはいえ、自分の裸が連中に晒されているのは、気分が悪いわ」

「お、お前たちは一体何人いる?」と甲高い声で、黄皓が叫んだ。

 実に発音が巧みだった。商売を継続できるほど流暢だけど、彼の風態と容貌に警戒しない女子はいない。

「さあね」とミカははぐらかした。

 視姦を受け、羞恥に苛まれていない時間は久しぶりだ。

 ようやく心に余裕が生まれると、わたしの意識にブンの記憶が挿入されてきた。そして連中が拘束されている、哀れな女体になぜ手出しできないか、を思い出した。


 伸一を尾行してビストロ前の公園まで来た。 

 ランチタイムが始まれば、3時間は厨房から出ることはない。ブンは今日はここまでと踵を返して、大学に向かおうとした。近道は新道の区画整理で、無人となった住宅街の軒先を縫っていけばいい。そうすればチカから借りた自転車を停めてる場所に行き着く。

 そう考えた時、その路地で蓋をされた。

 妖しい。

 わたしは彼の背がビストロに入るのをこの眼で確認したはずだ。反対側に回れるはずがない。

「女子にお尻を追い回されるのは気分がいい」

 そう言って色黒の顔で微笑んでいる。見たことある笑顔だけど、肌には違和感のさざなみが立った。

 コツコツと路面を小突くヒールの音がする。

 背後から迫ってくる風に、柑橘系の芳香が浮いてくる。愛用していた香水の香り。ばっと背後を見ると、チカでもないわたしがいる。

 しかも買った覚えのないものを着ている。光沢のある漆黒の絹のパンツに、紅色のロングコートを着ている。鞣しがよく効いて柔らかそうな革が、威圧するような雰囲気を醸し出している。

「もうひとつの鏡はどうした」

「わたしの鏡で脅してやった」

「もう逃げ帰ったかな」

「そうね。あの鏡は臆病者だから、そうだな。きっと鳴神六花を頼ると思うけど」

「さあどうする?」

「そうね、連中と手打ちにはいいかもね」

 背後から胸を掴み潰してきた。鋭い痛みに身をすくめる。同性ならの、いや同一人物ならではの無遠慮な容赦ない指先だった。

「提供するのがコレってのが、わたしがヤラれるようで癇癪だけど。いいもん持ってるから、連中の玩具にして使い潰すのもアリじゃないの」


『史華って、2面性あるよね』と多英は笑った。

『ヨーカ堂にいったらシネマライツ座の前で彼氏と腕組んで歩いていたじゃん』とも言っていたことも、今になって思い出した。

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