第7話 ガトー・ショコラ

 ☆☆☆



 そして、ついに放課後になった。


「ハルちゃん、行こう」


 緋奈子が私に手招きをしている。私は席を立って、緋奈子と連れ立って教室を出た。廊下に出るなり、彼女は私の手を引いて歩き出す。どうやら目的地は決まっているようだ。


 緋奈子が向かった先は屋上だった。普段は鍵が閉まっているのだが、今はなぜか開いている。普段使われていない場所だから、私たち以外に誰もいないようだ。


「それで、ヒナちゃんが話したいことっていうのは……?」


「うん、実はね……」


 緋奈子が真剣な表情で口を開いた。


「あの後、マンゴープリンちゃんについて調べてみたんだけど……」


「……」


 背中を嫌な汗が流れ落ちていくのを感じた。……やっぱり、バレたのかもしれない。


「マンゴープリンなんて名前の魔法少女は魔法少女協会に登録されてなかったんだよね」


「えっ!?」


「魔法少女はね、協会が名簿を作って管理してるの。どんなに弱い魔法少女でも、戦闘経験がなくても、魔法少女になった時点で協会に登録する義務があって、それで初めて戦闘行為が許可される」


「……つまり?」


 緋奈子はふぅぅとため息をつくと、私の目をしっかりと見据えてこう言った。


「マンゴープリンちゃんはほんとうに魔法少女なの?」


「えっ?」


「私は彼女についてよく知らない。でもあの時私を助けてくれたし、ハルちゃんの幼馴染って言うから信用してた。……でも」


「でも?」


「協会に登録せずに戦闘行為をすると、最悪【ヴィラン】扱いされちゃうんだよ」


「……!!」


「私はハルちゃんを信じたい。でももし彼女が本当に【ヴィラン】だとしたら、このまま放っておくわけにはいかない」


 私は言葉を失った。まさか緋奈子が木乃葉を疑っているなんて……。


「ねぇハルちゃん。正直に答えて? あなたにとって、マンゴープリンちゃんは何者?」


 私は木乃葉の事を思い浮かべていた。

 彼女は何が目的で戦っていて、どうして魔法少女になったのか。そもそもなぜ普段はぐうたらな彼女があの時私たちを助けてくれたのか。

 どうせしょうもない理由かもしれないし、木乃葉について知りたいことはたくさんあるけれど、木乃葉がヴィランだったらということは考えたくない。


「ごめんヒナちゃん、私にも分からないよ……」


「そっか。じゃあ私からもお願いがあるんだけどいいかな?」


「うん、なんでも言ってみて」


 緋奈子はしばらく黙り込んでいたが、やがて決心したように顔を上げて、私を見つめてきた。


「マンゴープリンちゃんと縁を切って? あの子は危険かもしれないの」


「……」


「私はハルちゃんのことを心配して言ってるんだよ? あの時、デストルドーがハルちゃんに私のこと好きでしょって聞いた時、ハルちゃんは否定しなかったよね? 私もハルちゃんが好き! だから、誰にも取られたくないの!」


「……っ!?」


 思わぬ告白だった。本当にさっきから驚きっぱなしだ。心臓がバクバクいっててどうにかなりそう。でも、応えないと。緋奈子の気持ちに。


 頭の中に木乃葉の顔が浮かぶ。ムカつく、あの人をバカにしたような笑顔。だけど、木乃葉は私の妹だ。それは変えようのない事実だ。彼女が道を踏み外そうとしているのなら、正してあげるのが姉である私の役目だ。


「……分からないよ」


「え?」


「マンゴープリンちゃんの目的も、緋奈子が言っていることも。私、魔法少女じゃないしさ。あの子はあの子、緋奈子は緋奈子だよ。──だから、ごめん。そのお願いはきけないかな」


「そっか……」


 緋奈子は弱々しく笑った。


「私はハルちゃんを尊重する。でも、協会に登録してない魔法少女が許されないのも事実なの。私は助けてもらった恩もあるから彼女のこと見逃すけど、他の魔法少女がどうかは分からないよ?」


「それって……?」


「他の魔法少女たちがマンゴープリンちゃんをヴィランと認識して襲ってくるかもってこと」


「そんな!」


「私はハルちゃんの味方でいたいし、できれば魔法少女同士で争わないでほしいと思ってる。でもそれが叶わないなら、早めに手を打った方がいいと思う」


「……分かった。ありがとう、教えてくれて」


「ううん、こちらこそ。……ハルちゃん、大好き」


 緋奈子は最後に私の耳元で囁くと、屋上から出て行った。私は、緋奈子が大好きと行ってくれたことよりも、木乃葉のことが心配で心配で仕方なかった。



 ☆☆☆



 家に帰るなり、私は木乃葉の部屋をノックしたが返事はなかった。寝ているのだろうかと思いながらドアを開けると、木乃葉がベッドの上で漫画を読んでいるところだった。


「おかえりお姉。どうしたの?」


「ただいま。……ちょっと話したいことがあるんだけど」


「ふーん、まぁ座りなよ。どした? 恋バナ? それとも生理が来なくて悩んでるとか?」


 木乃葉が指差したのは床だった。この部屋には机がないのだ。

 くだらない冗談に付き合ってられる気分ではないので、私は黙って木乃葉の向かい側に腰を下ろす。木乃葉もそんな私の気持ちを察してか、少しだけ真面目な顔になった。


「で、何の話?」


「うん……実はね」


 私は魔法少女協会のことや、緋奈子が教えてくれた懸念について木乃葉に説明した。


「ふむふむ、なるほど。大体把握した」


 木乃葉は興味なさげに言うと、読みかけの漫画を手に取ってパラパラめくっていた。


「木乃葉、お姉ちゃんに全部話してくれる? 私、木乃葉のことぜんっぜん分からないのよ」


「それは、お姉がウチのこと避けてるからじゃん」


 木乃葉の視線はいつになく冷たいものだった。


「そ、それは、木乃葉のこと信じたいし、それに……」


「それに?」


 私は言葉に詰まる。


「……なんでもない。それより、私が聞きたいのは、木乃葉は何のために戦ってるかっていうこと。そして、なんで魔法少女協会に登録してないかってこと」


「はぁ〜。ほんとお姉は昔から変わんないねぇ。答えにくい質問ばっかりしてくる」


 木乃葉は呆れたように言った。


「……別にいいじゃん。どうせお姉のことだし、『魔法少女のことは魔法少女にしかわからないんだ』とか思ってんだろうけど、ウチに無関心だったのは他でもないお姉だし」


「あぅ……」


 図星すぎて何も言えない。


「でも、やっぱり言いたくない。ウチだって色々あるんだよ」


「……そっか。でもさ、そういうわけにもいかないんだよ。木乃葉、命を狙われるかもしれないんだよ?」



「へぇ、だから?」


「だからって……」


 私は絶句した。


「お姉がウチのことを心配してくれてんのは分かる。でも、だからってなんでもかんでも話す必要はないと思うね」


「それはそうだけどさ! でもこのままじゃ、木乃葉が危ない目にあうかもしんないし!」


「お姉には関係ないじゃん」


 木乃葉は冷たく言い放った。


「関係、ないこと……なの?」


「うん、ない」


 その一言は私の心にぐさりと突き刺さった。確かに私と木乃葉は姉妹だ。でも、それだけの関係なのだと言われてしまった気がした。


「お姉は今までずっとウチのことが嫌いなんだと思ってた」


「え……?」


「いっつもウチのこと見下しててさ。勉強できないし、引きこもりだし、人付き合い苦手だし、おまけに性格も悪いし。そんな妹なんて邪魔なだけだよね」


「そ、そんなこと……」


 私は否定しようとしたが、その声は震えていた。


「だから、心配してくれてると思った時、ちょっと嬉しかったんだ。お姉もウチのこと、妹だって思ってくれてたんだって」


 木乃葉は寂しげに笑った。


「でも、それも違ったみたいだね」


 木乃葉の笑顔がどんどん歪んでいく。


「やっぱりお姉にとって、ウチなんかいてもいなくても変わらない存在なんでしょ? 普段は無関心なくせに、好奇心の湧いた時だけ色々聞いてきてさ」


「ち、違うよ! そんなことない!!」


 私は必死になって叫ぶ。だが、私の喉から出たのは情けない叫びだけだった。


「違わないよ!!」


 木乃葉も負けじと叫んだ。

 私は木乃葉のこんな大きな声を聞いたことがなかった。木乃葉は肩を震わせながら続ける。


「ウチがどんな思いしてきたか知らないくせに……。勝手に決めつけないでよ!! ウチがどんっ……な、に……」


 木乃葉の言葉はそこで途切れ、彼女の目からは大粒の涙が流れた。


「木乃葉……?」


「ごめん……ちょっと出かけてくる。今日は帰って来ないから」


 木乃葉は部屋を出て行った。

 私はただ呆然と立ち尽くしていた。

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