厄介を喰らうのは


【優麗ナル鳳凰】という名前が幼稚なことに、リーダーのミルガーは気づいていた。


 幼稚で当然だ。何しろ、自分が幼い頃に考えた一行パーティの名前だったのだから。


 裕福な商人の家の子供、生まれは恵まれていたが、頭の出来が良かった兄たちと比べて、彼はあまり勉強が得意でなかった。その事で兄弟たちはことあるごとにミルガーをコケにした。

 神殿の学習塾で知り合った友人達と共に、冒険者を目指すのは彼にとって逃避で、救いだった。

 偉大なる冒険者、伝説の黄金級、そうなれたらきっと、自分は自由だと。


 だから、ひた隠しにしていた冒険者になるための計画書が暴かれた時は、辛かった。


 兄達は、自分が大事にしていた計画書をズタズタに引き裂いて、そんなものを大事にしていたミルガーを思う存分に罵った。

 何を言われたかまでは覚えていない。

 ずっと隠して、大事にしてきたそれをゴミのように壊されたショックで頭が真っ赤になって、言葉にならない声をあげて兄達に突撃したことだけは覚えてるが、それまでだ。

 年上の彼らには勝てなくて、逆に殴られて、最後には父親に共々怒られておしまいだ。

 ミルガーの宝物は粉々になった。


——なんなんだ。

——いいじゃないか。これくらい。

——お前らは、出来がいいじゃないか。

——お父さんにも怒られないじゃないか。お母さんにはいつも褒められるじゃないか。

——なのに、たったこれだけの宝すら踏み躙るのか。


【優美ナル鳳凰】とタイトルのついたボロボロのノートを惨めに抱きしめながら、ミルガーの心に歪んだ炎が灯ったのはこの時だ。

 彼は決めた。この幼い名前で成り上がると。バカにしてきた兄達に見せつけるのだと。

 だからそのために努力した。下働きのような仕事をこなして金を貯めた。友人達と切磋琢磨した。兄達にバカにされても無視して、その憤怒をも力に変えて。


 だけど、そうしていると、別の怒りが湧いてくる。


 白亜の冒険者達、自堕落に酒を飲んでるバカども。あいつらを見ていると怒りが募った。彼らを見ていると、冒険者達をバカにした兄達が正しいような気がして。たまらなかった。

 だから怒って、訓練して、空回りしてると分かっていてもとめられなくて、不相応な武器を望んで鍛治師達にも一蹴されて、銀級冒険者にまで喧嘩を売って呆気なくのされて、さらに焦って——


 その時だ。中層行きの転移魔法陣、それに吸い寄せられるように飛び込んだのは。


 普段ならば彼らもそこまで愚かではない。

 だけどその時は何故か、自分達ならば、中層に飛び出して、結果を持ち帰るのではないか。銅すらも与えなかったあのギルドにも、実力を認めさせることができるのではないか。そんな誘惑に、強欲に、全員が乗せられた。

 その果てにきっと、あの兄達をも見返すと、確信してしまった。


 それこそが強欲の迷宮の罠と気付いたのは、取り返しが付かなくなった後だった。


 それまでの迷宮とは打って変わって、闇が支配する深窟領域。ここに足を踏み入れた瞬間、彼等は明らかにコレまで進んできた迷宮階層とは違うことに気付いた。

 道中の魔物も殆ど見かけなくて、するすると降りてしまえた。その事に違和感を覚えてはいたが、ここに至ってようやく彼は我に帰った。


「……なあ、ミルガー、一度、戻らないか?」

「何言ってんだ。まだ一体も魔物を倒してないんだぞ」

「で、でも……これはおかしい。おかしいって。全然魔物いねえしさあ……」


 仲間の一人が言った。

 まだなにも成果を得ていないのに、そう反論しようとしたが、声が出てこない。

 薄暗い地下の迷宮が、目を曇らせていた熱狂を拭い去った。


「あ、……あれ?」


 そして振り返ると、上層への階段は消えていた。

 そんなに、上層への階段から離れたわけではなかったのに、影も形もない。必死に魔灯で周囲を照らしても、跡形もない。迷宮の変動でも起こったのではと思えるほど、彼等は自分達の居場所を見失っていた。

 そして、現在

 

「っは……! くそ……どこだよ……ここ…!」


 彼等は遭難していた。

 引き返す道を見失い、出現した魔物に太刀打ちできずに逃げ回り、更に自分達の居場所が分からなくなって立ち往生する。典型的な迷宮遭難だ。彼等もこの状況が不味いことは分かったが、身動き一つとれない。

 持ち込んだ食料はまだある。だが、精神的な消耗が激しい。

 真っ暗闇のなかで、あちこちから何かが蠢く音が聞こえる。周囲の気配は更に増していく。その状況下で身体を休めるのは困難だった。魔物と遭遇することもなく、徐々に彼等は追い詰められていった。


「……もう、もう、帰りたいよ」

「静かにしろ……」

「ミルガーなんとかならねえのかあよ」

「五月蠅い……!」


 ミルガーは仲間達の泣き言を苛立ちながら封じていた。必死に周囲を見渡している。

 ――お前は結果だけを求めすぎる。そのままでは致命的な間違いを犯すぞ。

 仲の悪い父からの警句が頭を過る。

 五月蠅い、そんなことはない。自分はもどきどもとは違う。そんな風に何度も言い聞かせて首を振って、必死に周りを見渡すが、それでも闇しか見えない。


 彼等は気付かない。頭上からずるりと伸びてくる生々しい肉の鞭が、彼等の首を刈り取ろうとしているのを――


「伏せろ!!」


 その鋭い言葉が飛んで来たのは、やはり闇の中だ。魔物の蠢く音ではない、明らかな警句にミルガーは上を向く。そこでようやく、悍ましい大きさの蛙が壁に張り付いて、こちらを睨み付けていることに気がついた。


『g』

「ひい!?」


 伸びてきた舌を回避出来たのは、ただの偶然だ。あまりの恐ろしさに腰が抜けて、すっころび、その結果、蛙の舌が首を刈り取るのを寸前で回避できた。


『g、rrrrr!!』


 だが、二度目はない。巨大な蛙は攻撃が外れたことに苛立つように喉を鳴らしながら、獲物達の目の前に飛び降りる。そしてそのまま今度こそ、舌を振り回そうとした。


「ちぇぁあ!!」

『g!?』


 が、その前に、今度は蛙の懐に飛び込む影が現れた。自分よりも遙かな巨体に向かってた突撃したのは小人の男だ。彼はこちらに振り返って、叫んだ。


「無事か……!」

「き、騎士団!」


 小人の男と共に姿を現したのは、大罪都市国グリードの騎士団だった。彼等は一糸乱れぬ動きで、巨大蛙を瞬く間に巨大蛙を仕留めてしまった。

 彼等を率いてる小人の老騎士は素早くこちらの状況を確認した。怪我がなく、問題なく動けることを確認すると、頷いた。


「話は後だ! 逃げるぞ!!」

「に、逃げるって」

「気付いておらんのか!? 囲まれている!! 【光よ!】」


 老騎士が片手を掲げ、魔術を放つ。光で周囲を照らすその魔術が一瞬、周囲の光景を明瞭にした。ミルガー達の目にも、

 周囲がハッキリと見えた。先ほどまでなにも見えなかった闇の中は、先ほど騎士達が倒した黒岩蛙たちが群れのようになって、こちらを囲んでいた


「う、うわああ!?」

「慌てふためくな!! 一行パーティから離れればすぐに喰われるぞ!!」


 悲鳴を上げる彼等に、老騎士は鋭く声をかける。そして、ミルガー達を引っ張り上げて、すぐさま移動を開始した。

 ミルガー達には何がどういう状況になってるかも理解できなかった。だが、自分達を囲っている騎士達が、その大盾でもって周囲の攻撃から自分達を守ってくれていることだけはわかった。


「まったく、どんどん降りてしまいおって……! 追いかけるのに苦労したわ!!」

「ひ、…………うぐ……」

「泣くな! 足を動かせ!」


 そして先頭の老騎士は怯える仲間達に声をかけて、鼓舞してくれている。その様子を見ながら、ミルガーはうつむきながら、小さく呟いた。


「た、助けに、来てくれたのか……!」

「当たり前だ」


 老騎士は即答した。


「お前らの勝手で、山ほどの者が迷惑を被った! そのまま死ぬな! 生きて反省……む!?」


 彼がそう語った直後だった、小人の老騎士は俊敏に剣を引き抜く。次の瞬間、真っ暗な闇から何かがはじけ飛んできた。激しく金属がぶつかるような音して、小人の老騎士の小さな身体が一瞬で吹き飛んだ。


「ショウ隊長!!」

「無事だ!! 気を付けろ!! 例の“虹色”だ!!」


 その言葉と共に、その場で全員が陣形を組み、上を含めた全方位を警戒する。ミルガー達も慌てて同じように身構えた。

 だが、先ほど老騎士を吹き飛ばした存在の姿はどこにも見えない。

 魔灯、明かりの魔術、複数の手段で闇を照らしているにも拘わらず、どこにも見当たらない。先ほどの攻撃からして、間違いなく近くにいる筈なのに、姿を見つけられない。その状態で


「ぐ!? また……!?」


 騎士達の大盾に、衝撃が奔る。舌か、あるいは爪か牙か、その攻撃がなんなのかすらもみえない。本当に透明な何かが、こちらを付け狙っている。

 ミルガーは悲鳴をあげそうになるのを抑えるだけで精一杯だたった。

 こんなに必死に目をこらしても、どこから攻撃をしてきているのかもまったく分からない。自分の能力が何一つとして通じない無力感に、打ちのめされた。


「上だ!!」


 再び老騎士が叫ぶ。上を見ると、確かにほんの少しだけ、何か景色がブレたように見えた。だが、それだけだ。すぐに“ソレ”がどこにいったか、分からなくなる。

 そして攻撃がくる。咄嗟に屈む事しか出来なかったミルガー達の前に、彼等を護るように小柄な筈の老騎士が大盾を構えたのが見えた――――そして、


「無茶をするな。ショウ爺」


 不意に、騎士達とは別の女の声が響く。

 同時に、薄暗い闇を切り裂くような魔術の刃が、上空を飛んだ。先ほど景色がブレた空間を切り裂くと、“ナニカ”は奇妙な鳴き声のような音を鳴らしながら、その場から退いた。


 騎士達とミルガーの前に立ったのは、見覚えのある獣人の女だった。


「悪食!」

「断切りだ。ここは任せろ」


 断切りのカルメ、悪食のカルメ、ミルガー達が見下していた彼女は、堂々たる姿で不可視の脅威を前に構えていた。



               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 単独ソロでの救助、潜行は素早く済む。

 気遣う相手もいない。躊躇せず全力で駆け抜けることができる。魔物も殆ど無視できる。

 結果、カルメは瞬く間に、潜行していた騎士団の救助部隊へと追いつくことができた。


 追いついたのはよかった。だが、決して状況がよくないということは見てすぐにわかった。


「カルメ!! いけるのか!?」


 泥まみれになりながらショウ爺が叫ぶ。その声には焦りも混じっていた。理由も分かる。推定、賞金首級の魔物に、黒岩蛙含めた無数の魔物の気配。人が増えて、魔物達が引き寄せられている。

 状況は悪い。カルメ一人でどうこうなるようには思えないのだろう。

 カルメとて、この全てを一人で相手できるとは思っていない。


「大物はこちらが相手する。蛙の処理は任せる。あとは逃げろ。」

「アレをお前一人でか!?」


 ショウ爺は厳しい声をあげた。彼はベテラン故、理解しているのだろう。この場においては、数で攻める黒岩蛙よりも、不可視の虹色の方が脅威であると。


「お前も一緒に退くべきだ! 領域さえ抜ければ……!」

「そこまで温い相手じゃない」


 先ほどから、カルメは視線が突き刺さってくるかのような感覚をずっと感じている。

 周囲の蛙どもではない。まちがいなく、虹色蜥蜴はこちらに狙いを定めている。この中でも最大がカルメだと理解し、ターゲットとして定めたのだ。

 もしも、一緒に逃げ出せば、この大物は一緒に追ってくる。それは避けなければならない。


「他の救助部隊も後から来る。心配するな、そこの阿呆どもの引率より、こっちの方が楽なだけだ」

「……頼んだ! 死ぬんじゃあないぞ!」


 カルメの頑なさに、ショウ爺は短くそう言って、周囲を囲む蛙たちを処理しつつ撤退を開始した。

 この状況は、迷っている場合ではないのだと理解しているのだろう。だらだらと説得する必要が無くて大変ありがたい。そう思いながら、カルメは剣を握る柄に力を込める。


「【魔よ来たれ、刃に宿れ】」


 得手とする付与術を刃にかける。暗闇の中、輝く剣を構えてカルメは駆けた。

 撤退を開始したショウ爺を追おうとする黒岩蛙たちの背中に刃を叩き込み、その足を切り裂く。闇の中を光の刃が踊り、そのたびに血が噴き出し、不気味な巨体が自らの血の中に沈んでいく。

 全てを倒しきることはできない。だが、それでいい。幾らかは騎士団に相手してもらわねばならない。自分の本丸はあくまでも、不可視の蜥蜴だ。


 地面を駆け、壁を走る。そしてそのまま一気に、虹色蜥蜴が居たであろう場所に視線をやり、片手を掲げた。


「【魔よ来たれ、焰よ】」


 無数の火球を放つ。狙いは大雑把だ。当たるとは思っていない。だが、発生した炎の揺らめきの中で、不自然に視界が歪んでいる箇所をカルメは見定めた。


(やはり、魔術現象。)


 ただ、体色を変化させているのではなく、周辺の景観を歪めて、自分を隠している。

 半端な誤魔化しではない。


 ならばとカルメは決意し、【断切り】を景観の歪んだ場所へと直接叩き込んだ――が、


「……っ」


 やはり手応えがない。

 目測を誤り空振った――訳ではない。振り抜く直前、“歪み”が激しく動いた。風が巻き起こり、天井にへばりついた巨大なナニカが、後方の闇の中へと移動したのだ。

 避けられた。かなりの大きさだったはずだが、恐ろしい俊敏さだった。それが不可視の力を纏い、しかも環境を利用して潜み移動してくる。


「まるで転移術だな……」


 厄介だった。環境と能力が最悪のシナジーを産み出している。

 嫌な予感がする。冒険者として銀級に上り詰めた彼女の経験則が警鐘を鳴らし続けている。

 この敵は、まずい。


(どうする?)


 闇の奥から今も感じる視線に嫌な汗を流しながら、カルメは試行を巡らせる。


 選択肢は二つ。マトモにやり合うか、凌ぐに徹するかだ。


 戦うなら、当然リスクを背負う。厳しい戦いになるのは間違いない。今の彼女であれば絶対に忌避するような、命を賭す戦いとなるだろう。だが、ソレと引き換えにショウ爺達が逃げるまでの時間を稼げる可能性が高い。

 凌ぐのに徹するなら、カルメは生き延びられる。相手は強大だがその実力は彼女にはある。だが、虹色蜥蜴に対する圧力プレッシャーは本気でやり合うときよりも遙かに落ちる。場合によっては、敵の意識がショウ爺らに向けられる。

 不可視の状態で、密やかに狙いを変えられたら、ヘタするとこちらも気づかぬまま、ショウ爺らが致命的な不意をうたれる可能性が高い。


 自分の命を危険に晒すことで、確実に彼等の安全を得るか。

 自分の命の安全を確保することで、彼等にもリスクを背負わすか。その二択。

 それを自覚した瞬間、じりじりと焼けるような感覚が腹の底から湧き出てきた。

 命の危機、未知の脅威、己と他人への天秤、理性と感情が渦巻く。そしてそれを御するよりも速く、囁くような声が聞こえてくる。


 ――さあ、挑みましょう。


 己が魂を揺さぶる、強欲を誘う声。無謀をくすぐり、命を死地へ押し出す囁き声。

 

 ――己が命を燃やして、勝利をつかみ取りましょう。


 無視すべきだと理性が囁く。

 迷宮を駆ける理由はもう自分にはない。

 黄金になる気もない。あの紅蓮に誇りを掲げる意味もない。

 ここで命を賭けることに、何の意味もありはしない。何の得にもならないことに命を賭けて、そして死ぬだなんて、愚行極まると、理性が訴える。

 自分を護ろうとする鎖、足を止める言い訳が、彼女を押しとどめようとする――だが、


 ――成功の安寧には、刺激スパイスも必要よ?


 悪意と享楽に満ちた魔女の言葉が響く。


 ――これが自由で、満足なのか。


 幼き頃の自分、言い訳を探して身動き出来ない自分を苛む声が響く。

 それらを聞きながらカルメは一度目を瞑る。そして、


「――いいだろう」


 カルメは大きく深呼吸し、構えた。


「人生を愉しむには、丁度良い刺激スパイスだ。」


 本来ならば、はね除けるべき強欲を、受け入れる。

 禍々しい誘い、安全とは対極の危険リスクを、彼女は受け入れる。

 だが、それはあの老騎士の為ではない。勿論、あの白亜の連中のためでもない。


「この厄介、悪食が喰らってやる」


 飽くような日常を彩るために、悪食のカルメは跳んだ。


 ――素敵。


 凡庸なる日々を手放さぬまま、刺激を味わんとする強欲あくじきを、深淵からの声は賞賛した。




---



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