魂の接触③ 彼女の旅
白いものは小さくてふよふよしていた。
正直見た目ではなんなのかよく分からない存在だった。元々魂の世界は曖昧で、時折主の意識次第で姿形を変える事は、それにしたってなんだかよく分からない存在だった。
だが、なんとなくそれが、物質の類いではない、と言うのだけは分かった。
「こんにちは」
「――――――」
ので、一応挨拶する。
返事は無かった、が、代わりになにかふよふよと動いたので、反応はあった。その事にひとまずウルは満足していると、白い塊はそのままふよふよと動き、ウルに背を向けて動き出した。
「……」
なんとなく、ついてこいと言っているように見えたので、ウルは一緒について行った。
間もなくして、再び白い扉が現れる。ウルは躊躇わず、その扉をくぐった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――事が始まれば、最早私たちは君に何もしてやれない。君は一人だ。
新谷からの警告を受けた雫は、彼の言葉に納得していた。
彼の警告は正しい。
方舟を滅ぼす使命を背負った自分にとって、そこに住まう全ての者達が自分の敵だ。それは疑いようもない事実だ。真実を知られれば、彼等は自分を恨むか、そうでなくとも自分たちが生き延びるために殺そうとしてくるだろう。これはそういう戦争なのだ。
味方はいない。全てが敵であり、自分は孤独だ。
覚悟するまでも無く、当然のこととして、それを雫は受け入れていた。
「まず俺が飛び出す。猪がこっちに向いてる間に一気に駆け抜けろ」
出会って初めての方舟現地人の彼が、何の躊躇も無くこちらの命を助けようとしてくれたその時、彼女の覚悟はいきなり躓いた。
「貴方は死にたいのですか?」
「んなわきゃねーだろはったおすぞ」
心の底から嫌そうに、自らが囮になることを宣言した彼の言葉を聞いたとき、雫の冷徹な思考は彼の協力者となる合理的な判断を下した。最初に遭遇した現地民であり、そしてあまりにも疑わしい自分という存在に対して警戒しながらも助けようとしてくれた。
きっと彼は善人だ。優しくて、此方を気遣っている。
愚かで醜く無価値の自分とは違う、本当の優しい人だ。
だから、彼を利用しよう。
方舟の侵入作戦で最も警戒すべきは最初だ。方舟と世界をつなぐライン、【迷宮】の【真核魔石】を利用した転移は、その身一つで移動する他ない。最も死ぬリスクが高いタイミングだ。
力が必要だった。自分の命を守るための力が。なりふりなど、構ってもいられない。
彼に好かれ、彼に愛されよう。
それができるだけの力が、与えられているのだから。
雫はそう決めた。
それが、全ては敵だと覚悟した自身の魂を侵す猛毒と気づかぬままに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「この時点でこんなこと考えてたのか……切羽詰まってたんだろうが」
ウルは、奇妙な場所にいた。
くぐった扉の先の空間は、ディズの時のようにわかりやすく、彼女の過去と今で形作られた風景とは全く違った。
そこは大きな部屋だった。天井も高く、奥行きも広い。イスラリアの建築物は大抵、縦には高いが横に広いことは珍しい。だからそれが魔界の建物だと言うことはすぐに分かった。照明は少なく薄暗いが、足下は仄かに照らされ、道は分かりやすかった。中に入ると椅子が並べられていて、目の前には大きな硝子が張られていた。
それが何かはウルも知っている。遠見の水晶の類い。遠くの景観や、記録されたものを映しだす【もにたー】だ。魔界でコースケが教えてくれたのでウルは知っている。
だから此処は恐らく、多くのヒトが映像を見るための空間なのだ。
なるほど、とウルは納得し、椅子に座ると映像が映しだされた。内容は今見たとおり、シズクと、ウルが出会ったときの光景だった。シズクの視点での、彼女の想いが全て伝わってくる映像だった。
「ひでえ女だな。客観的に見ると」
出会い頭に助けようとしてくれた男相手に考える事ではない。実に酷い女だった。外面の良さと、言動の聖女っぽさで大いに惑わしてくるが、根本的に彼女の性格、と言うよりも行動は普通に最悪だと言うことをウルは再認識した。
「アンタもそう思わないか?」
ウルは溜息をつきながら、隣に座っている“白いもや”に語りかける。
「――――――」
奇妙な音がした。色んな声や音が混ざった。雑音のような音だった。言葉だったのかも怪しい。だが白いもやもやは此方を向きながら言葉を発した様にウルは感じた。
勿論、何を言っているのかウルには解らなかったが、
「何言ってんだかよくわからんが、まあそうだよな」
そうウルは頷いて、再びモニターへと視線を戻した。続きが始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どんなことがあろうと俺がお前を救ってやる」
何故彼はこんなとち狂った結論に至ってしまったのだろう。
雫は本気で理解が出来なかった。
最初の迷宮、最初の困難を脱出してから、冒険者見習いとしてなんとか生活基盤を構築しつつあった雫にとって、ウルの価値は”まだ”存在していた。身体能力はドームで鍛錬を積んだ自分に少し劣る程度、イスラリアでの地位は底辺で、資産は皆無だが、一方で身内を助けるために冒険者として成り上がらなければならないという強い目標意識がある。
利用価値はある。が、一方で、拘る必要は無い。
イスラリアの潜入者にして大罪竜を回収するための最終兵器としての彼女の冷酷な判断がそう告げていた。この時点ではまだ、確かに、雫には彼に固執する理由はそこまで存在しなかった。
ウルのことを誑かして、魅了しようという試みはしていたが、上手くいっていない。彼が自分の女性的な部分に対して興味が無いかと言われればそういうわけではないのだが、彼は善良だった。あるいは初心なのかもしれない。安易に手を出してくることもなかった。
それが彼女には少し残念だった。幾らか安直で、愚かしい方が彼女にとっては望ましい。
だから、彼に対する裏切りは、一種の賭けでもあった。
彼が怒りに身を投げ出して、自分に手を出してきたら、恐らくは籠絡は容易だ。怒りを劣情で塗りたくれば、幾らでも操作はできる。彼が善人であるならなおのことだ。
もしも手を出さず、自分への嫌悪を向け去ってしまったなら、それはそれで仕方が無いことだ。それくらい勝手な所業はした。当然の反応だ。彼女にとっても手痛いロスとなるが、挽回不能と言うほどでも無い。彼以外のよりよい条件を探すだけである。
だから賭けだ。
酷く乱暴されるだけされた挙げ句、捨てられるかも知れないが、それくらいなら許容範囲だ。彼に対する申し訳なさもある。自分がどんな風に扱われようともそれを酷いとは思わないし、死にさえしなければ、命さえ助かるならそれでいい。と思っていた。
だと思っていたのに、彼は斜め上の結論に至った。
対価に雫を求め、その雫を尊ぶというのだから、彼女の予想からは完全に外れた。
「……何故そんな結論になったのです?」
「お前のことが嫌いだからだよ」
雫は、彼が籠絡からはひどく縁の遠い相手であることをこの時ようやく理解した。
彼は善人だが、一方で複雑だ。ハッキリ言って何を考えているのかよく分からない。彼の怒りのポイントが何処にあるのか分からない。
彼はやめておいた方が良い。冷徹な理性が囁いた。
これは支配下におけない。彼をコントロールするのは不可能だ。制御もできず、場合によっては自分の障害になりかねない。そうすれば使命を果たせなくなる。
使命、それが最大の目的で、今、自分が生きる理由だ。
それを損なってしまうことだけは、避けねばならなかった。リスクは避けるべきだ。脅威は遠ざけるべきだ。それは分かっている。
分かっていたが――――
「お前と一緒に俺は宝石人形を討つ」
彼の瞳に宿る炎は、あまりにも苛烈だった。
その炎は、悪辣な自分の所業に対する怒りでも、妹を奪われた事への憎しみでも無かった。彼の根源から溢れた炎であり、それが雫をも焼こうとしていた。
理性が告げるとおり、近づくべきではない相手に間違いなかった。
「私は貴方のモノです。どうぞお好きに」
だから、こんなことを口にしてしまったのは、間違いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……改めると、俺も相当痛い奴だな」
「――――」
「この時俺も相当切羽詰まってたからな。旅の中で一番ピンチだったのでは?」
「――――――」
「まあ、いいか。続きだ続き」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「俺たちは、勝ったぞ!!!」
宝石人形に勝利した。
ウルは歓喜の声を上げた。雫はそれに呼応して彼の抱擁を受け止めた。
コレは演技だ。雫はそう思った。
彼と親しくなるための演技だ。複雑な彼に少しでも取り入るための演技だ。
本当は、喜んでいない。自分はそんな資格は持たない。そういう目的のために生まれていない。だから自分は決して、喜んでなんて、いない。何度も自分にそう言い聞かせる。そう、言い聞かせなければならない。
間違っても、本当に喜んでしまわないように。
記憶を呼び起こす。それをナイフのように自分に何度も突き立てる。
血と吐瀉物、悲鳴とうめき声。苦しみ続けて涙を流しながら死んでいった友達の嘆きを頭の中で繰り返す。
顔に笑顔を貼り付けて、決して周囲の雰囲気から逸脱しないように努める。
彼等を、イスラリアの民達を、最後には虐殺しようとしているというのに、そんな彼等と親しくなろうという資格が自分にあるわけがない。
だからどうか私のことで喜ばないでくれと彼に願った。
慈しむように、優しく抱きしめたりなんて、しないでくれと声に出さず彼に懇願した。
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