緋色の激昂
螺旋図書館は地下へと無限に続くように見える奇妙なる空間だ。
しかし、その本質をシズクは理解していた。
陽喰らいの儀は空の空中庭園で迎え撃たれる。
無論、天空の迷宮プラウディアが空から墜ちてくるからこそという問題もあるが、ならばなおさらに、塔部分に重要な設備は設置することは出来ない。
空中庭園、あの塔は言うなれば戦場を維持するための“前線基地”だ。で、あれば本命は、中枢は地下にある。禁書を封じる螺旋図書館、その更に奥の地下に、方舟の根幹は存在している。既に星剣によって干渉は開始した。だが障害はある。
「
徐々に神として覚醒し始めているイスラリアの勇者、ディズだ。
「【揺蕩い――――】」
「【神拳】」
色欲による力の暴走を引き起こそうとした瞬間、その全てを荘厳なる鐘の音が破壊し尽くす。あらゆる攻撃を一方的に破壊する【天拳】はこちらの月神の能力にも有効であるようだ。
幾人かの七天に分け与え、バベルを乗っ取ることで信仰を奪って尚、この力。油断すればあっという間にこちらの心臓を貫きに来る戦闘力。
宣言していたとおり、彼女は不利な戦いになれているし、その経験値は圧倒的に上だ。
「【銀糸よ】」
故に、まともにやり合ってはならない。彼女は既に自身の一部と化した迷宮に干渉し、その空間を歪めた。建造物の一部、柱や壁が途端歪み、形を変えて矢のように放たれる。無数に飛び交うその銀の矢をディズは見事によけていく。当たるまい。ソレは期待していない。故に、
「【啼け】」
「……っ!」
銀の糸から竜の咆吼をたたき込む。空間を巡らせた糸から放たれる全方位からの咆吼はたちまちディズを包み込み、たたき付ける。無慈悲な破壊をたたき付けられた黄金の勇者はあっという間に螺旋図書館の中央、どこまでも続く奈落へと墜ちていく――――が、
「【神剣】」
落下の隙を埋めるように、その場の空間をまるごとたたき割るほどの巨大な剣がたたき込まれる。迷宮から生まれた銀糸は下手な金属よりも頑強な筈だが、ソレすらも容赦なく両断する。銀糸は断末魔のような激しい音を放ち、引きちぎれ、力を失って壁にたたき付けられ、轟音を鳴らしながらめり込んでいく。
「怖いですね」
「よく言うなあ……!」
衝撃で書籍が飛び散りページが飛散する中、シズクは端的にディズを評した。奈落から即座に飛翔したディズはわずかに焦げた髪を払いながら苦笑する。
「十分困っていますよ?どのようにして滅ぼそうか、悩ましいです」
まだ、牽制は続く。だが、時間は不利に働きかねない。
悪感情の力、負の信仰は自分の力となる。が、想像以上に外の世界の抵抗は激しい。バベルという象徴を乗っ取っても尚、ディズが弱り切っていないのは、今日に至るまで歴代の王たちが培い、準備し、努力してきたものの賜だ。おぞましい竜という兵器に襲われて尚、人類社会を維持し続けてきた執念が、勇者への信頼を支えている。
【勇者】が、我らが七天がいる限り、決して膝を折るまい。
そういう執念が、戦士達を支え、その信仰が太陽神をも支えている。
やっかいだ。果たしてどのようにして崩すべきか――――
「《どうして?》」
そんな風に考えていたときだった。ディズが問うた。しかしやや幼い声。それが誰なのか、シズクにはすぐに分かった。
「アカネ様?」
「《まかいのことはわかったけど、どうしてそんなにがんばるの?》」
アカネが表に出てしゃべっている。
現在彼女たちは、戦いの連携を高度なものとするため、ほぼ一体化している。普段アカネは内側でサポートに回っているが、ソレが表に出てきているのだ。
そして彼女の問いは、今日まで幾度となくディズとの間で繰り返されてきた問いかけだった。戦いを望まず対話を望むディズの試みだったが、こうしてアカネの方が自分に問いかけてきたのは初めてだった。
「――私の家族は、皆、死にました」
意味の無い問答だ。しかし、策を使う時間にはなるかと、シズクは言葉を紡ぐ。
嘘をつく必要も無かった。彼女は道具のように、自分の過去を語る。
「皆を、助けられなかった、
あの、狭く優しい箱庭の中で過ごした日々のことを、今のシズクは思い出せなかった。暖かな記憶があったはずなのに、眩い記憶が残っていたはずなのに、それを思い返そうとすると、途端に脳裏に過るのは、生臭さと血の匂いだ。
「みんな、惨たらしく苦しんで、血反吐と汚物に塗れて、死んだ」
思い出せるのは、彼等の死に顔だけだ。悲痛に満ちた痛みの顔ばかりだ。シズク自身が、なにかの幸いを得る度に、彼等の死に顔が脳裏を過る。
「彼等が死んだ意義、世界を護るための犠牲だった」
だからこそ、そうでなければならない。
「だから、私が――――」
「《ないよ》」
アカネはシズクの言葉を遮った。
シズクは顔を上げる。彼女は驚いていた。アカネの声は思ったよりずっと強かった。
「《
「――――」
「《しぬってことは、いなくなるってことよ。それだけでしかないもの》」
それは、想像以上にハッキリとした否定だった。そして荒野の風のように冷酷な言葉でもあった。アカネにはそういう側面があることをシズクも知っている。彼女は優しげで純粋無垢だが、一方でシビアな側面を隠し持っている。
ウルと共に生きた彼女の価値観は時に優しく、時に厳しい。
「《シズク、へんよ?》」
「変ですか?」
続けて彼女は言う。そこには苛立ちと、怒りと、悲しみが入り交じっていた。シズクの言葉に対して、どうしようもない不快感を顕わにしていた。
「《へん、ぜったいへん。あなた、そんなのおかしいわ》」
アカネはむずがって、頭をかきむしる。ディズの身体と顔で、子供みたいな仕草をするのが少し面白かった。
そして、好機でもあった。
ディズに両断されてしまった白銀の糸を呼び、干渉する。断たれてしまったが、自身の力を伝えて肉体の一部と化した銀糸の力はまだ断たれていない。宙づりになった糸の力が、ディズとアカネの周囲に集まった。
「《シズク、ちゃんとおはなし――――》」
「【銀糸・色樹大竜】」
勇者の周囲の銀糸が突如まとまり、大樹の竜頭となって彼女を飲み込んだ。大樹の竜の動きは一瞬だった。あまりにも情け容赦なく、周囲の柱や本棚もろとも飲み込んでぐしゃりとかみ砕いた。
「ああ、上手くいきましたね――――」
生々しい、あらゆるものを噛みつぶす不快な音を聞いて、シズクは微笑みを浮かべ
「《なに、それ?》」
次の瞬間、樹竜の頭は内部から発生した大量の緋色の剣によってズタズタに引き裂かれてかみ砕かれた。シズクは驚き、瞬きする。これは本心からの驚きだった。
その反撃は、間違いなくアカネからのものだったからだ。
「《――――ちゃんとはなそうってときに、なにしてんの?》」
アカネの声の温度が下がっていた。
今、彼女が込めている感情は明確だった。先程までの感情の抑制の効かない子供のものではなくなった。空間丸ごと震えてくるような怒りの感情が心底までに噴き出した。
「《ごまかそうとしないでよ》」
ディズの、アカネの姿が変貌する。
先程まで、秩序だった黄金の輝きを有した戦士だったその姿が豹変する。緋色の光が強まり、まるで粘魔のような触手の様な形を取って彼女の身体に纏わり付く。荘厳なる勇者の鎧とは全く別の、荒々しく猛々しい鎧に変貌した。真っ直ぐに剣を構え身がまえていた姿が一転し、低く、深く、獣のようになって、二本の剣をまるで爪に見立てるかのように握りしめた。
赤錆の精霊憑き、彼女は元よりイレギュラーだ。
創造者イスラリアの祝福を受けぬ為に、精霊との親和性を持たぬ名無しの少女。【星海】からつまはじきにされて、存在を保てなくなり【卵】という形の自己保存形態へと変わった赤錆の精霊。自身を保つ為に、アカネという器を変貌させ、滅びという概念を掠めた。
その時点で最早、致命的な
イスラリア人に使われる為の精霊としての存在意義が、決定的に外れていた。
そしてそこに、ディズの七天統合が発生し、彼女は自らの意思でそこに飛び込んだ。しかもその際、魔王が【天愚】の力の大部分を掠めるという更なるイレギュラーが起きた。
異常に異常が積み重なった結果、何が起こったか。
本来【天愚】が担う筈の“滅び”を彼女が担い、支えることとなった。
彼女に膨大な信仰の魔力が注がれ、末端の精霊から四源を超える大精霊へと昇華した。
挙げ句、精霊憑きとして本来持ち合わせているはずの制約も無くなった。
滅びの概念を有し、制約を持たず、怒りのままにそれを振るう――――災禍と化した。
「《あまったれてんじゃ、ねーよ!!!》」
【終焉災害/緋終】が憤怒を叫んだ。
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