【最悪の遺物】戦⑧ 生き抜くということ



 【大罪竜ラース中心部 大罪制御器官管理区画】


「はっ………はっ……」


 クウは、全神経を集中させて、自らの身体を影の中に隠していた。

 彼女が扱う影の魔術は一見して強力に見える。あらゆるものを運び、隠し、移動させ、時に形を成して暴れさせる。何より精霊の奇跡に等しい転移の魔術を個人で成立させているのだから。

 しかし、当然ながら強い力には制限や危険がつきまとう。

 彼女の影の中には彼女が選び、格納したモノ以外は存在できない。外の世界では当然のようにある様々な物質が存在しない。故に物資の保存には向くが、一方で生物が中にいるには全く向かない。


 クウは自在に自らの影に潜り、転移している様に見せかけているが、それは容易な事ではない。影に潜む度彼女は、生命の危機に瀕している。自身の身体を影で一回り覆い、維持し、そして沈む。それを維持するだけでも頭がねじ切れそうになる。誤って解いてしまえばその瞬間、自分の身体が影の中で潰れて、自滅するだろう。

 ラースに来てからはそれを連発していた。神経が焼き切れそうだった。しかし今は、それを解くわけにはいかない。影に潜み続けなければならない。

 

『aaa……』


 黒炎天剣が、すぐ側にいる。

 うめき声をあげながら、その場を動かないのは、恐らく至近でウルとクウ、その二人を同時に確認したからだ。最も近かったウルを斬り付け、次にクウを狙おうとして、彼女を見失ったのだ。今はそれを探している。その様子を、クウは天剣の影の中からじっと観察し続けていた。


『aaa』


 そしてやがて、諦めたのだろう。天剣は動き出す。自分が斬り、なぎ倒したウルの方角だ。恐らくまだ彼は死んでいないのだろう。完全に黒炎の薪とするために移動し始めたのだ。クウはホッとしながら、ゆっくりと、間違ってもウルと天剣の距離を見誤らないようにして影から抜け出した。


「……運が回ってきたって事かしら。あるいは彼の運が悪いのか」


 幸運だった。と言うほか無い。もし天剣との距離が、ウルよりも自分が近かったらその場で全て終わっていた。ウルの方角へと天剣が動いた瞬間彼女は影に潜み、そしてその場を凌ぎきった。


 別に、それを卑怯とも不本意とも彼女は思わない。そんなことに興味は無かった。

 彼女にとって重要なのは、イスラリアを消し飛ばせるかどうかという一点のみ。


「【心臓】の臨界点までもう少し……」


 球状のドームの中心、赤紫の核の脈動に彼女は口端をつり上げる。

 もうすぐ全てが終わる。自身の長い旅路にゴールが見えてきたのだ。そうすればやっと、やっと――――


『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』


 だが、感慨にふける彼女の耳に届いたのは、聞き慣れた、不愉快な鳴き声だった。


「フィーネ……こんな所までくるの?」


 クウは上を見上げる。真っ黒な炎を身に纏った怪鳥。黒炎不死鳥が、竜の身体の隙間から這い出すようにしてこちらにやってきている。渦巻く竜の身体の隙間から頭だけ突き出た姿は滑稽だったし、何度殺されようとも同じ攻撃を繰り返す姿は愚鈍と言ってもいい。

 不死鳥という、伝承の生き物にあるまじき泥臭さだ。クウとしてももうウンザリだった。


「悪いのだけど、もう邪魔しないで…!」

『AAAAAAAAAAAA!?』


 まだ、身体が挟まって上手く動けずにいる不死鳥の翼を竜殺しで叩き切る。竜殺しの貯蔵は彼女の影のなかにまだあった。黒炎に呪われた不死鳥の肉体であっても、一部を傷つけるくらい彼女でも出来る。

 不死鳥が厄介で、そして黒炎払い達に対処させるよう誘導せざるを得なかったのはその不死性だろう。片手間で相手できる存在ではない。やるべき事がある彼女にとって目の上のタンコブだ。

 だから、ウルとまとめて処理しよう。


「【影よ】」


 痛みに悶える不死鳥の身体を影で捕らえたクウは、そのまままるで影ごと背負い投げるように、不死鳥をウルが吹っ飛んだ方角に投げつけた。それはまさに、天剣が今歩みを進めている方角だ。

 ウルという薪を前に、新たなる薪の候補を投げつけて、クウは薄らと笑った。


「仲良く殺されてくださいな」


 不死鳥の襲撃は鬱陶しいが、幸運でもあった。

 天剣がウルを殺した後、こちらに襲いかかるリスクは低くなる。不死鳥は死なない。そして不死鳥は呪いを纏っていても、黒炎鬼ではない。故に黒炎鬼の攻撃対象だ。永遠に殺されるデコイ代わりになる。

 クウにはまだ仕事が残っている。イスラリアを滅ぼすべく、最後の仕事のため彼女は不死鳥とウルに背中を向け、【大罪竜の心臓】へと手を伸ばして、笑った。


「さあ、もうあと少し――――」

『aaaa』


 不意に後ろから、黒炎天剣のうめき声が聞こえてきた。ウルか不死鳥か、あるいは両方かを斬り殺したのだろうか。クウは気にしなかった。目の前の核にだけ彼女は集中し続けていた。


『aaa,aaaaaaaaaaaa,aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』

「――――…………え?」


 しかし、あまりに長く続いたそのうめき声に振り返らざるを得なかった。

 そして彼女は見た。


『aaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


 黒炎天剣、その胴体から竜殺しの槍が一本、突き出ているのを。


「…………は?」


 その光景の意味を、クウは最初全く理解が出来なかった。理解を脳が拒んだ。

 それが、ウルの仕業ではないかと考えた。しかし見れば、ウルはまだ遠く地面に転がっている。彼のまわりは真っ赤に染まっていて、間違いなく死に瀕している。何かできるとはとても思えない。不死鳥も同様だ。二つの翼が切り裂かれたことに悶えている。そもそもどちらも天剣からはまだ距離があって、近付いてすらいない。


 なら、天剣の身体を竜殺しで刺し貫いたのは、何?


 奇妙な現象はまだ続く。胴体を刺し貫かれた天剣は、しかし抵抗する様子がない。肉体が損壊し、黒炎が竜殺しによって喰われて悶えてはいても、それに対して抵抗する様子が、何故か無い。


『aaaaaaaaaa……』


 天剣が暴れる。蠢く。そして、染みついた条件反射だろうか。距離を置いて膝をつく。その先に居たのは、竜殺しで天剣を刺し貫いたのは――――


「………ボル、ドー?」

『aaaa――――おお、クう、元キそウで何ヨりだ……』


 黒炎鬼を示す角が伸びた、黒炎払いの隊長たるボルドーが、クウを見つめ、獰猛に笑った。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





『aaaあああ………聖、じょ、よ』


 黒炎払い隊長、鬼となったボルドーを前に、アナスタシアは自分の終わりを覚悟した。

 自分が巻き込んで、自分の所為で苦しんで、自分の所為でこんな無残な姿になったヒト相手に終わるなら、これほど相応しい最後はないだろう。濃密なまでの死の運命の気配に、彼女は全てを受け入れる覚悟でいた。


『どウやラ、そちらモ、もう後が、ないらしいな』

「………え?」


 ところが、その彼の口から発せられた声は、理性的なもので、彼女は目を見開いた。もう一度彼の姿を見る。彼の身体は黒い炎が燃え上がり、胸には穴が空いている。身体に巻き付けられた黒睡帯は焼き爛れ、頭には角が伸びかかっている。

 完全に黒炎鬼の姿だ。しかし、黒睡帯が焼き爛れ覗く彼の瞳は、真っ直ぐこっちを見ていた。黒炎鬼に視界など無い。目が合うと言うことは、鬼ではない。


「……ボルドー、隊長、意識が、あるのですか?」

『aa……まだ、完全に、鬼ではないのだろう。時間の、問題だろうが、な』


 ぐぐぐ、と喉を鳴らす。笑ったのだろうか。くぐもった声だった。

 時間の問題。そうだろうと思った。体力を消耗した今のアナスタシアよりも更に増して、今のボルドーの身体は悲惨だ。そんな彼の姿も自分の所為だと思うと、アナスタシアは悲しくなった。


 だが、そんなアナスタシアをみて、ボルドーは笑った。


『嘆、くナ。聖女、俺は、悪い気分じゃあ、ないんだ』

「え?」


 ボルドーは自らの両手を見る。黒炎が燃え移った両手を見て、彼は歯を剥き出しにして笑った。

 

『元より、俺の中には、憤怒が渦巻いていた。だから、この身に、なっても、なにも変わらン。むしろ。スッキリしタ』


 黒炎は憤怒の竜の呪いだ。炎に焼かれた者は、発狂するような怒りに魂を焼き切られて最後を迎える。だが、ボルドーは違った。元から彼は狂っていた。薄皮一枚のところで理性を保たせていたにすぎない。隊長という責務の皮の下で、彼はとっくにおかしくなっていた。


『隊長などと、賢しらにしていたのが馬鹿馬鹿しイ。俺は元からこんなザマだ。』


 だから、彼は黒炎鬼になりかかっても尚、自分を保っている。それほどまでの狂気をずっと、抱えて生きてきたのだ。


『お前は、ドうだ。聖女…?』

「わ、たし?」

『オレは、コレから、己の憤怒を、晴らシに行く。付き合うカ?』


 その問いに対して、彼女は即答した。


「――――共に、征きます」

『死ヌぞ』


 そうだろうな、と、アナスタシアは思った

 自分の身体が、状況が、運命の流れが、何もかもそう告げている。

 そして、自分の命に未練がないわけではない。地下牢の中での、彼や、ペリィと一緒に試行錯誤する日々は、まばゆかった。楽しかった。ずっと皆と過ごせれば、どれだけ幸せだろうと、そう思った。


 でも、それでも、


「いいえ。死にに、いくのでは、ありません」


 死にに行くのではない。死ぬ為に行くのではない。


「生きて、最後まで生き抜くために、私たちは、いくのです」

『嗚呼―――――その通りだナ』


 その言葉に、ボルドーは奇妙な声で笑った。苦しげで、それでも、本当に、心から愉快そうな声だった。


『全ク、生き抜くというのハ、なんト、困難なのだろうな……!』

「ええ、本当に――――でも、それでも」


 それでも、二人は先へと進む。


 生きて、戦うために。彼のように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る