灼けた者たち



 大罪都市エンヴィー中央工房、経営部門長ヘイルダー・グラッチャは大罪都市エンヴィー中央工房の長、その一人息子だ。溺愛され、それに見合うだけの傲慢さを身につけた男。


 しかしその傲慢さを咎められない程度には有能な男でもあった。


 やり口は強引で、汚い手も平然と行う。後ろ暗い繋がりを幾つも持っているともっぱらの噂だが、確かに彼の手腕でエンヴィーにおける中央工房の発言力は飛躍的に高まった。


 こうして、生産都市の広い広い食堂、生み出されたばかりの新鮮な食材達をその場で味わえる生産都市で最も豪華な場所で、秘密のパーティを行える程度には力が有った。


「おお、この肉の柔らかいこと、流石ですなあ」

「家畜の餌から違うのです。以前開発された魔導機の働きで品質が安定向上しました」

「ほう、流石ですな。神官どもの曖昧な奇跡ではこうはならない」


 様々なヒトが集まり、目の前の食事に舌鼓を打っている。彼等は全員、ヘイルダーに付き従う都市民たちである。大罪都市エンヴィーの神官と都市民との間に空いた溝は大きいとはいえ、通常おおっぴらに神官達に悪態をつくことは憚られる。

 だが、この場では誰もそれを咎めたりはしない。それができること自体が、ヘイルダーの力の証明ともなっていた。


 だが今はヘイルダーも彼等を気に懸けたりはしなかった。


 今の彼の執着は別にある。


「いつになったらウーガを手中に収められるんだ?黒剣まで使ったんだぞ?」

「申し訳ありません」


 今のヘイルダーが狙うのは、今最も注目を集めている【竜吞ウーガ】に他ならない。


 突如として出現した【巨大移動要塞都市 竜吞ウーガ】

 その存在は彼にとっても見過ごせない代物だった。現在のイスラリアで正常に機能すれば、ヒトと金を無限に集める特異点。それをヘイルダーは欲してた。


 欲しい。どうしても欲しい。


 大罪都市エンヴィーの都市民と神官の決裂は想像よりも深刻だ。通常ひっくり返る事の無い神官と都市民の関係性をグレーレが引っかき回し続けた結果、歪となっているのだ。


 だがそれは逆転ではない。だけだ。


 大罪都市エンヴィーの中で、神殿と中央工房での権力争いはずっと続き、停滞していた。

 だから、ウーガは欲しい。どうしても欲しかった


 その為の障害があるなら、黒剣を使う程度には。


「申し訳ありません申し訳ありませんってさあ。私はべつに、お前の謝ってる姿なんて見たくはないんだよ。結果を出せよ結果を」


 だからこそ、ヘイルダーは実行役であるエクスタインに怒りをぶつけている。

 ウーガの支配は、難航していた。

 管理を担うギルドのギルド長を貶め、残るは残党と、弱り切ったグラドルのみ。どう考えても支配は容易だと思っていたのに、何故か話が中々進まない。複数の勢力がまるで便乗するようにウーガの運用議会に参加し始め、遅々として話が進まなくなった。

 一歩話が進んだかと思えば、三歩後ろに戻るような状況が続いている。ヘイルダーの苛立ちは当然と言えば当然だった。そしてその怒りは、都合良く殴れる相手にぶつけるのが彼の日課だ。


「お前も大概使えないな」

「お許しを。残されたウルの仲間達も侮りがたいものでして――――」


 と、エクスが口にした瞬間、彼の頭の上から葡萄酒がぶちまけられた。ヘイルダーが手に持ったそれを投げつけてきたのだ。騎士鎧を酒で汚しながら、エクスタインが顔を上げると、ヘイルダーは加虐的な笑みを深めていた。


「あんな雑魚の、能なしの、名無しの仲間に何ビビってんだお前。本当、無能は嫌だね」

「失礼しました」


 エクスタインは再び頭を下げる。ヘイルダーはその姿を見て満足げだが、笑みがやや引きつっていた。派手に瓶が割れて、周囲の都市民達の視線を集める中、まるで気にすることもせず、彼は身体を震えさせる。


「だが、ハハ。ざまあみろだ。ボクの勝ちだ……!!」


 彼のその異常な歓喜は、彼の過去を知る者にしか分からないだろう。

 幼少時代、ウルとヘイルダーの関係を知る者はこの場には殆どいない。ヘイルダーを除けば、今し方彼に騎士鎧を汚されたエクスタインのみが、二人の間の確執を知っている。


 だから、彼の狂喜を、エクスタインは理解している。

 

「ウル!ウルめ!今度こそボクの勝ちだ!!!呪われた砂漠で灰になってろ!!ハハ!!アハハハ!!!!」


 狂乱し、笑い続けるヘイルダーを、エクスタインは眼を細めて眺め続けた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 エクスタインは生産都市の通路を歩く。

 先程、彼がいた食堂は彩り良く飾り付けられ華やかだったが、対称的に廊下はあまりにも無機質だ。白色の石造りの廊下。照明も飾り気の無い魔灯が道を照らすのみ。ヒトが暮らす上で求めるような温かみには随分と欠いた造りだった。

 しかしこれこそが生産都市の基本的な構造だ。先程の食堂はあくまでも外部の来賓を迎えるためのものでしかない。生産都市では無駄は可能な限り排除されている。

 その廊下を彼は迷い無く歩き続ける。幾つかの岐路を曲がり、階段を上るとそこには職員の休憩所なのか、広間に出た。

 既に陽が沈む時間帯、元々生産都市の職員自体が少ないこともあいまって、ガランとしていた――――1カ所を除いて。


「酷い格好だな。エクスタイン」

「やあ、ブラックさん」


 中央の机に、名無しの大英雄、ブラックが座っていた。


 机にはどこからか持ち込んだのか酒とツマミが並んでいる。勝手におっぱじめていたらしい彼はツマミを口にしながら、酒で汚れたエクスタインを見て笑う。


「虐められちゃったか?可哀想にな。仕返ししてやろうか?」

「結構です。貴方の仕返しは洒落にならない」


 エクスタインは溜息をついて、自分に浄化の魔術をかける。汚れが消える。まだ頭は濡れていたが気にするほどではないだろう。彼はそのままブラックの対面の椅子に座った。


「しかし貴方、どうやって此処に来たんですか?セキュリティはかなり強固でしょうに」

「俺、この都市の管理者とマブダチだし」

「…………」

「お?なんだ?その顔。文句あっか?女装すっか?」

「辞めてください辞めてください」


 下らない話をしながらもブラックはエクスタインから視線を外さない。その視線にあるのは明確な好奇心だ。


「どうしました?」

「いや、変な奴だなって思っただけだよ」

「変って」

「なんでわざわざ、あんなしょーもない奴らに頭下げるんだってな」


 しょうもない、と彼が言うのは勿論、今生産都市に来ている都市民の連中だろう。

 神の庭である大罪都市で、神が決めた序列に反して自分たちが頂点に立つと思い上がった者達。長く続いた権力闘争の末、自分たちが偉大であるという虚栄と、生まれ持って力を保つ神官達への嫉妬が入り交じり、歪みきった者達。

 名無しという最下層の立場でありながら自由に世界を弄ぶブラックからすれば確かに彼等は滑稽の極みだろうとは思う。が、自分は彼のような超越者ではない。


「立場が弱いですからね、僕は。上手く立ち回るしかないんですよ」

「上手く、ねえ。ウルを嵌めたのもその一環ってか」


 と、そう言うとエクスタインは小さく噴き出した。そして少しだけ目を細め、目の前の黒い男を睨み付ける。


「まあなあ。


 ブラックはゲラゲラと笑った。


「彼が目障りだったのですか?」

「いやいやまさか。あそこまで見ていて面白いガキは中々いねーよ」

「では何故?」

「保険」


 その言葉の意味をエクスタインは理解できなかった。だが、ブラックもそれ以上は語るつもりはないらしい。飲み干したグラスに新たな酒瓶を空け濯ぐ。琥珀色の酒が並々にグラスに満たされる。

 そしてもう一つグラスを酒で満たすと、それをエクスタインへと差し出した。


「お前が本気になりゃ、アイツらなんてどうとでも出来ると思うんだがねえ?」

「そんな大層なものじゃありませんよ。部下たちにも愛想を尽かされました」

「ああ、遊撃部隊に離職者大量に出たんだっけ?曲がりなりにも陽喰らいの参加者に、同じ戦士を裏切らせようとしたらそうならあな。同情してやるよ」

「ありがとうございます」


 エクスタインはグラスを受け取り、苦笑する。


「それで、自分と話すためにわざわざ此処に?」

「いや、美味い酒が出来たって聞いたから来た。お前の話はその肴」

「本当に大概なヒトだな……」


 適当に誤魔化して済まそうか。とも思いもしたが、ブラックの表情を見て考えを改めた。ブラックの目は先程から好奇の色しか映らない。半端な野望も、悪意も、打算もない。


 ただただ純粋に、心の底からエクスタインの人生を面白がって質問している。


 最悪である。だが、最悪すぎて、取り繕う必要性も感じなかった。

 こんな生き物に外面をよく接してなんになるのか。

 そんな、一周回った清々しさを感じながら、エクスタインは自身の人当たりの良い柔和な笑みを崩す。彼の顔に浮かんだのは、どこかやさぐれて、淀んだ目と、皮肉めいた笑みだ。


「……昔、都市民は名無しの連中と比べれば恵まれていると言われたことがあります。毎日食事の心配もない。帰る場所がある。安全に眠れるベッドもある。幸福だと」


 それを言ってきたのは、冒険者の一人だったと思う。赤らんだ顔をしていたから酔っていたのだろう。その頃エクスタインは見習い騎士で、都市内を巡回中に絡んできたのだ。正直それを言った彼自身、深く考えての発言では無かったのだろう。エクスタインも無茶な真似はせず、彼をやんわりと窘めて、仲間達のところへと返した。

 バカが済まなかったと謝罪する他の冒険者達に手を振りながら、しかしエクスタインはその胸中で彼に言われたことが棘となって残り続けた。


「僕は幸せで、幸福で、彼らに比べ恵まれていると思わなければならないのですかね」

「思春期のガキみてえな悩み、くっそおもしれえ」


 ブラックはひゃひゃひゃ!と、エクスタインを指さして笑った。本当に彼は此方を肴にするつもりらしい、美味そうにグラスを呷るとそのまま笑いながら自分を見つめる。


「何処の誰だろうと、どれだけ恵まれていようと、ソイツにはソイツの地獄ってもんがあるものさ。自分や他人を殺したくなるほどの地獄はどんな場所にも常在してる」


 で、なければこの世界の特権階級である神官達の間にトラブルなんて起こるわけが無い。その酔った冒険者の理屈で言えば、神官達は世界で一番恵まれていて幸福で、幸せなのだから、過ちを犯す必要性が無いはずだ。

 無論、そんなことは無い。貧しく飢えた名無し達が生きる為に犯罪に走るようなケースと比べれば数は少ないだろうが、彼らには彼らの中で問題や歪みが有り、地獄がある。


「そんなに不安なら俺が保証してやるよ。


 ブラックは言う。まるでエクスタインを優しく崖から突き落とすように。


「ありがとうございます。でも、正直、僕の話なんてどうでも良いんですよ」


 しかしそんな彼の言葉を、エクスタインは軽く流した。


「へえ?」

「僕の話なんて、本当にどうでもいい。それよりも――――」

「本当に好きだねえお前も」


 少し呆れながら、新しく瓶を空けて、グラスを紅い酒で満たしながら、ブラックは言った。


「ウルはお前の期待通り、滅茶苦茶やって、元気に黒炎砂漠を猛進中だよ」

「――――――」


 それを聞いた瞬間、エクスタインは手で顔を覆い、顔を伏せた。

 自らの狂喜をこらえるため、必死になって身体を押さえ込んだ。その為に、身体はブルブルと震えた。ヘイルダーと同じように。


 ブラックはそれを眺めて、美味そうに酒を呷った。


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