ひと時の別れ
「…………疲れた」
ウルは、前を行く女には聞こえないくらいの小さな声で疲労の声を漏らした。
正直言ってキツかった。出来る限り余裕たっぷり、まるで動じない風に次々に自分の特技を披露していったが、割と振り絞った結果である。
ダヴィネ、と呼ばれたあの土人。看守達すらも顎で使うようなその態度から間違いなく此処のトップであるとわかり、半端な嘘や隠し事は通じないとも察せた。とはいえ、自分の情報を色々と明かす羽目になったのは少し不安だった。
「この先の小部屋には、医者が……います。あまり、腕は、良くないですが」
「【本塔】の方にはいないのか?」
「居ますが……私達は拒否されます……呪われてるからって……」
「差別が露骨すぎて笑えるな」
目の前で地下牢の施設を案内するアナスタシア、という女に施設を一つ一つ案内してもらう。この地下には本当になんでもあるらしい。鍛冶工房、錬金工房、医務室、果ては食堂まで存在する。まさに小さな都市だ。
「本当に、なんでもあるな」
「特殊刑務に一度就いたら……【本塔】にはいけません。【地下牢】の、地上エリア以外の行動は制限され、ます。だから、独立する為の施設は、全部あります」
「そりゃまたなんで?」
「呪いの、蔓延を防ぐため、です」
「なるほど……」
つまり、隔離と言うことだ。
本塔と比べ、【黒剣】も全く見なくなってやけに自由度は増した様に感じたが、反面、ますます脱出が困難になったらしかった。ウルが悩ましそうに思っていると、アナスタシアが足を止める。視線を向けると、地下奥の通路、狭い一室が存在した。
「此処が、貴方の部屋……です」
「鉄格子とかついてないけど、いいのかね?」
「どうせ、出られません…。【本塔】への通路と、出入り口は頑丈に封鎖されています。地下牢にろくに監視者はいない、けどあそこは、監視は厳重」
「でも、外の仕事もあるって言ってたろ?外には出られるんだろ?」
アナスタシアはふるふると首を横に振った。
「地上は、もっと酷い、です。この辺りから出られる場所は殆ど、【黒炎】で、囲まれてます。
「……なるほど、出口が無いのは、分かったよ」
鉄格子の無い小部屋を自由に出来る、と言う事実だけをウルは前向きに考えることにした。幸いにして部屋はそれなりに広く、前の住民が用意していたのか家具類も質素であるが揃っていた。生活するには申し分ない。
「……で、まあ此処で寝泊まりはするとして、それで?俺は明日からどうすれば良い?」
「ダヴィネさんの、言うこと、聞いて下さい」
「それは良いが……なんというか、ラースの解放が俺たちの仕事って聞いたんだが?」
そう尋ねると、アナスタシアは少しきょとんとして、そして小さく笑った。馬鹿にされているのだろうか、とも思ったがそういう感じでも無かった。なにかを懐かしむような、少し悲しそうな笑みだった。
「そんなこと、真面目にするヒト、いませんよ」
「んじゃ、どうやってここから出るんだ?」
「出たヒトは、いません」
「わあ絶望的な情報」
淡々と最悪な情報が増えた。ウルは目眩がした。
「ダヴィネさんの与える指示をこなしたら、後は好きが許されます。此処はひどいとこだけど、監視者は少ない。最低限の、自由はある」
「……了解。じゃ、とりあえず明日、魔草の類いが取れる場所、教えてくれると助かる」
地下故に時間の感覚は分かりづらいが、恐らく既に夜だろう。疲労感もある。今すぐどうこうしなければならない作業もないなら休みたかった。何より目の前でフラフラしているアナスタシア自身の体調があまりよろしいとも思えなかった。
「では、明日朝。先程いた、集会所で」
アナスタシアはそう言って、ふらふらと去って行った。大丈夫だろうかあの女、と思いつつも、他人の体調を気遣う気力は今のウルには残されては居なかった。
「…………つっかれた」
ぐったりとした面持ちでベッドに腰掛ける。すると酷く軋んだ音と共に埃が舞い散って、ウルは咳き込んだ。ウーガの柔らかなベッドが懐かしくなって、ウルは少し泣きそうになった。
勿論泣いている場合でも無い。ウルは溜息をついて、現状の情報を整理した。整理するほどに絶望的な気分になってきた。
「……全く、どうしたもんかねほんと」
《本当に、どういたしましょうか。ウル様》
「そうだなシズク………………シズク?」
ウルは声のした方を振り返る。ウルが座ってるベッドのすぐ隣りに、銀色の小鳥がぴちちと鳴いて、ウルの方を見ていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《銀級の指輪は特殊な使い魔を生み出すことが出来るというので、試してみました》
銀色の小鳥は、実体のない、魔力で出来た使い魔だった。美しい銀色の鳥は、確かにシズクを彷彿とさせた。
「ってー事は、今お前近くに居るのか」
《いいえ。今はまだプラウディア領です》
「その距離で通信できるのは凄いな……」
シズクが生み出した使い魔、というものに触れてみると奇妙な感触が返ってきた。触れられないと思っていたが、不思議な感覚だった。
《くすぐったいです》
「そっちにも感覚あるの?」
《距離を伸ばすために意識ごと使い魔に乗せています。良いやり方ではないそうですが》
「何度も出来ないと」
《恐らくですが今回1回限りかと。スーア様に助力を願いました》
スーアがウルの竜牙槍をウーガに届けに来たとき、事情を説明し、助けて貰ったのだという。通常であればラースに存在している黒炎の呪いが、遠距離の魔術の類いのことごとくを破損させるため、使い魔など飛ばすこともままならない。それができているのはスーアの与えた加護のお陰だった。
「なるほど、じゃあ、この好機に情報交換と行くかね」
ウルとシズクは互いの情報を出し合う。結果、情報の精度で言えばウルの方が高かった。何せ、ウルを此処に押し込んだ張本人であるエクスからの話だったのだから。
《エクスタイン様。ウル様の事をお慕いしているように見えましたのに、意外ですね》
「まあ、むしろそれを大分拗らせた印象だったが……まあ、兎に角、そっちは十分に警戒しててくれ。多分忙しくなる」
《了解しました。コチラでも、ウル様の解放のために動いていきますので……》
「……」
《ウル様?》
シズクに呼びかけられても、ウルは暫く黙ったままだった。そのまま前を、部屋の壁を見つめながら、ウルは少し躊躇いがちに切り出した。
「俺が――」
《ダメですよ?》
「何も言っていないのに否定するの止めろ」
《アカネ様を頼むとか、【歩ム者】の面子を頼むとか、そう言うお話でしょう?》
「ヒトの心を読むな」
そこそこの覚悟を決めて話を切り出そうとしただけに、話の腰をたたき折られてウルは顔を顰めた。
アナスタシアの話ではそもそもここから出られた奴はいないという。そして此処はスーアでも迂闊には手が出せない特殊な、独立した場所でもある。七天でも無理なら、ディズでも無理だろう。コネは期待できない。
要は、ウルはしてやられたのだ。
陽喰らいの儀という試練を乗り越えた事で生まれた弛緩の隙を突かれた。
どう回避すべきだったかと言われれば、一番最初【黒剣】に連行されそうになったとき、全力で拒否して、形振り構わずディズにでも助けを求めるべきだった。それが最適解であり、それをしなかった時点でウルは失敗した
そしてここから再起する目は非常に薄い。
少なくともウルを嵌めた連中は、ウルをここから出すつもりは無い。
ならば、保険というか、残された連中をどうにか助けてやりたいと思うのが心情というもの、なのだがシズクはそれをさせるつもりは無いらしい。使い魔でシズクの表情は全くつかめないが、恐らく彼女は何時も通り微笑んでいるだろう。
《いけません。ウル様。途中で投げ出しては》
「そうは言うが、こっからどうしろと言うんだ」
《どうにかしてください》
「そっちはぶん投げるのかよ」
勝手なことを言う女だった。だが、考えてみるとシズクはこういう女だ。そして自分もヒトの事をとやかくと言える立場でも無かった。勝手をして、周りを振り回すだけ振り回して、そしてここまで流れ着いてきたのだから。
「……期待はするなよ。明日明後日にぱっと出られるような場所じゃあない。ダメそうだなって思ったら俺のことはとっとと見捨てろ」
《何年でもお待ちしています》
「何年もダラダラしてたらアカネが死ぬんだがな……」
ウルは苦笑する。そして肺の中の空気を一度全部吐き出して、大きく吸った。ほこり臭い匂いが鼻をついたが気にしない。
「アカネにはこっちは死ぬつもりはないから、そっちも息災でって伝えてくれ」
《はい》
「ディズにも身体労れよって言っといてくれ。アカネのことは加減してくれとも」
《はい》
「ロックは……いいか、アイツは楽しくやってるだろうさ。飲み会の約束はまた今度だ」
《はい》
「リーネも変わらなそうだな。白王陣もっと発展させて俺を助けてくれりゃ助かるな」
《はい》
「エシェルは、心配だが……依存を抜くには良い機会か。焦って無茶だけはさせるなよ」
《はい》
「ジャインとか、白の蟒蛇の連中にも迷惑かけるって言っといてくれ。キレそうだけど」
《はい》
「エクスは見つけ次第ぶっ殺しといてくれ」
《はい》
「シズク」
《はい》
「……俺を嵌めた連中相手に無茶苦茶すんなよ」
《いやです》
「………………自分を労れよ。俺の救出のためにボロボロになったらぶん殴るからな」
《ウル様もそうしてください――――待っています》
ぷつんと、ウルの目の前から使い魔が消えた。使い魔を形成した魔力が霧散する。
ウルは一人小汚い地下牢の一室に残された。
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