陽喰らいの儀㉖ 三つ巴


 太陽を隠す黒い陰


 その存在をプラウディアの都市民達は認識し始めていた。都市民達にとって日の出と共に祈りを捧げるのは日課だ。故に発見はあまりにも早く、そして不安は一瞬で伝播してしまった。

 神殿には多くの都市民達が詰めかけ、そして疑問と恐怖を投げかける。


「太陽神になにがおきているのですか!?」

「王はご無事なのでしょうか!?」

「お願い致します!!神官様!我らをお守りください!!」


 激しい混乱だ。太陽神は彼等の生活を根本から支えてくれる存在である。その不安も当然だろう。本来であればこうした恐怖を押さえ込むために、天陽結界による視界制御は成される。要らぬ不安を抱かせて、祈りが阻害されるのを防ぐ為にだ。

 しかし今は出来ない。何せその制御を司る天賢王自身が窮地に陥っているのだから。


「落ち着きなさい!!王は健在よ!!貴様等に不安がられるような方ではないわ!」


 真なるバベルの正門にて、都市民達の混乱の対処にあたる羽目になったサウサンは鬱陶しそうに叫ぶ。当然、そのような言葉で都市民達の不満と恐怖は拭えるわけも無く、むしろ声は激しさを増した。たまらずサウサンはその混乱を従者達に押しつけてバベルの中に身体を引っ込めた。


「全く、一体何をしているのかしら王は!!これまでの王はこのような失態は犯さなかったのに!!」


 彼女も天賢王が現在、世界を守る為の戦いに赴いていることは知っている。だが、具体的にどれほどの窮地にあり、そしてどれほど竜が危険であるかなどと言うことは知りもしなかった。

 今も尚、バベルの上空にて決死の思いで戦士達が血反吐を吐くような思いで戦い、そして王は王で限界を越える辛抱でプラウディアを支える苦労など彼女は知らない。そして知る気も無い。

 彼女は典型的な特権階級の住民で、満ち足りた生活を当然として享受していた。戦いの場、戦場に自分から赴くなど考えもしないだろう。


「王が戻られたら、キチンと言ってあげなければならないようね。全く!」


 だからこそ、今回の【陽喰らい】も勝利する前提で彼女は考えていた。太陽が陰ったとしても、最終的には勝つと疑っていない。それは信頼から生まれるものではなく、安寧の享受によって想像力が損なわれた結果でしか無い。


 今、まさに、この世界が滅ぶ寸前まで追い詰められていることなど、思いもしないのだ。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




『GYAHAHAHAHAHA!!!!!』


 三体の眷族竜。

 肥大化を更に行い強大化した3体の眷族竜のサイズは最早一〇メートルほどを越えていた。とてつもなく大きい翼の全長を考えればもっと大きい。赤子の形だったその本体は、また形を変えている。具体的には肥え太った。蛙のように醜く変貌を遂げていた。白い翼が美しいだけにその変貌はより気持ちの悪さを増していた。

 竜達はその三カ所を翼を広げ、輪を作り出す。完璧な正円となった翼の円陣から、再び黒い虚の進行が再開された。やはり最初と比べて更に増して速くなっている。


 時間は無い。残る3体も速やかに排除しなければならない。その筈だが


「ねえ、ちょうだい?」


 戦士達は、スーアは、そしてシズクは、現れ出でた黒い女に意識を奪い取られていた。

 本当にあまりに突然出てきたその女は、シズクに話しかけている。言葉の意味は全く分からない。害があるかもわからない。今害にならないのなら無視すべきだと理性では分かっていても、ベグードも彼女へとどうしても視線が向かう。

 まるで本能が彼女から眼を逸らすのを拒むように。


「ねえ、私にちょうだい?シズク?」


 せがむ。子供のような我が儘。

 世界の危機的状況、この最中に子供の癇癪など最悪の組み合わせでしか無い。しかし口を塞いで黙らせることはできない。彼女が何者であるかは分からなかったが、それができるような存在では無いことだけは誰しもが分かった。


 あの黒い女が放つ気配は、あまりにも不吉すぎる。


『GYAHAHAHAHAHAHAHAAAA!!!』


 そして当然、眷族竜はコチラの戸惑いなど配慮してくれるはずも無かった。黒の虚の広がりは更に加速する。書き換えを行う白い翼は更に大きく広がり続ける。白い羽が虚空を叩き、そこが更に歪む

 何かをまた【書き換え】た。

 そして、その穴から、”無数の竜の頭”が飛び出してきた。


「なっ!?」

『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 大量の竜達、その姿は多種多様で、全く統一性というものがなかった。幾つもの目玉が頭に付いているもの。歪な角が頭にまとわりついている者。目も鼻も何も無く、ただ口だけあるのっぺらぼう。

 雑多に特徴が混じった竜たちが、穴から頭や手を這い出そうとしている。穴自体は小さい。完全に湧き出ることは出来ないだろう。


 が、口先を突っ込んで、【咆吼】をかますには十二分だ。


「ねえ、ウル、ちょうだい。あなたばっかり、ずるいわ」


 そして、沈黙を続けるシズクに苛立つように、黒の女も動く。

 ゆらりと黒いドレスが煌めく。同時にずるり、魔力が輝く。生まれるのは大小様々な意匠の【鏡】だ。一見して、どのような脅威があるのかも不明な奇妙な光景だったが、その鏡を見た冒険者の一人がギョッとなって呟いた。


「――――目だ」


 目が、鏡の中に在った。

 鏡の内側に幾つもの目が封じられていた。勿論、向かいの景観を映しだしているのでは無い。他の景観は正常に映し返しているのに、その中心に存在しないはずの眼球が映しだされている。

 その眼が、煌煌と輝き始めた。それが魔眼の反応であると、この場の全員が理解した。

 散々、【黒竜】との戦いで見せつけられたものと同じだったから、よく分かった。


 眼と口


 恐らくこの世で最も危険な眼と口がただ一点へと集中した。


「まあ」


 即ち、シズクへと。


「…………!!!」


 ベグードは何か指示を出そうとしたが、声が出なかった。

 状況があまりにも最悪すぎる。そしてベグードの裁量と技量でどうにか出来る範疇を大幅に超えてしまっている。手が全く思いつかない。せめて逃げろと言いたいが、どうやって逃げるのかも見当が付かない。


「ふむ…………スーア様」


 そのただ中。シズクはとなりのスーアに語りかける。一番危険な状況にありながら彼女は随分と冷静だった。


「なんです」

「すみません。しばらくスーア様の攻撃に合わせて停止は出来ません」

「そのようですね」

「攻撃は私が引き寄せます。ですから皆様、スーア様の補助をお願いします」


 その言葉はベグード達に向けられたものだった。

 そしてベグードが返事をするよりも速く、彼女は不意にスーアに与えられた飛翔の力を使い下方へと落下した。


「あははははははははははははははは!!!!」

『GYHAHAHAHAHAHAHA!!!!』


 二つの狂笑がその小さな銀の少女の姿を追い、力を放つ。

 大量の竜達の咆吼、そして魔眼のきらめきによる大爆発。空は火の海になった。


 眷族竜残り 依然変わらず3体 

 



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 朝が近い

 にもかかわらず陽光が虚に吞まれ闇に染まった空をシズクは飛んでいた。


「とっても大変な事になりましたね」


 シズクはちらりと背後を見る。

 後ろから迫るのは黒い女――エシェルと白い翼。次々と空間を歪め竜を呼び起こす窓と、その竜達をも映し取って倍加する恐ろしい鏡の二つ。

 地獄である。この二つから狙われればシズクなど当然、ひとたまりも無いだろう。ろくに抵抗も出来ずに死んでしまう。だが、シズクは慌てる様子はなかった。


「1対2ではないですね、これは」


 実際は1対1対1だ。

 シズクを狙っているエシェルと眷族竜は協力など全くしていない。たまたま偶然、この二つの存在のターゲットが自分だっただけの話だ。


「モテモテですね。私」


 そして、それだけであるならば、やりようはある。


「【空涙】」


 シズクは自分と併走するように浮かび上がる刀に呼びかける。

 魔力増幅装置であり、武器でもあるそれが輝く。シズクはそれを直接手で掴むと、不意に空中で一転し、遠心力を利用するように刀を振るった。


「【氷棘・斬花】」


 唄が斬撃と混じり、魔術となって飛ぶ。その規模は背後の二体の火力と比べればあまりにも微々たるもので在るが、狙いは正確で真っ直ぐにエシェルへと飛んでいった。


「つめたい!」


 エシェルが叫ぶ。加減はしたが、すこしばかりの怪我をする事をシズクは覚悟していた。が、どうも全くその心配は無いらしい。氷の斬撃をうけた箇所をエシェルが手で振るうとそこに傷一つ無い。

 だが、怒りを買うには十分であったらしい。彼女は激昂した様子でこっちを睨んだ。


「シズク、きらい!!!」

「私は貴方のこと好きですよ。酷い運命に負けず、幸せになろうと頑張れる方ですから」


 シズクは微笑む。勿論、今のエシェルにその言葉は届かない。 

 会話自体は出来るから意識が無いわけでは無い。が、邪霊に飲み込まれている。いや、邪霊と一体化したのだろうか。シズクにはこの現象の正体が掴みきれない。あるいはディズがアカネを求めた理由と繋がるのかも知れないが、今は確認しようがない。


 今重要なのは、彼女の力が脅威であり、そして”利用できる”と言うことだ。 


「きらい!きらい!だいっきらい!!」


 顔を隠すヴェールの下からポロポロと涙をこぼしながら、彼女は叫ぶ。

 鏡が更に強く、大きくなる。エシェルの扱える鏡をシズクは知っている。【簒奪】【反射】【倍加】このいずれか。この中で最も脅威なのは【簒奪】だ。問答無用。映し取った対象を一方的に”抉り取って自分のものにする”外法の業。

 正気を失っている彼女からの怒りを買えば、当然つかうのはそれだ。


「きらい!!!」


 鏡が輝く。簒奪の力が発動する。

 シズクはそれを前にしても尚、冷静だ。エシェルが鏡の精霊の力を扱おうと練習する姿はこの数日確認している。彼女の練習に付き合った事もある。だから簒奪の力がどのタイミングで発動するかは理解している。


『GYAAAAAAAAAAA!!?』


 だから例えば、発動する寸前で回避して、背後に迫りシズクを書き換えようとした白い翼に簒奪を当てることも可能だった。


「よけないで!!」

「嫌ですよ」


 鏡の【簒奪】が連続で起こる。シズクはここまで伸ばされた白い翼をなぞるようにして飛び、鏡の簒奪はシズクの動きを追いきれず、その背後の白い翼を穴だらけにしていった。


『GYAAAAAAAAAAAAA!!!!!?』

「凄いですね。私達では全く、傷一つつけられなかったのに」


 此処に揃った一流の冒険者達であってもどうにもならなかった硬度を、何でも無いように切り取っていく。欠けた翼から血が噴き出す。竜が悶え、その傷を【塗り替え】無かったことにしようとする。だが、エシェルが奪う速度の方が速い。


『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 当然そうなると、竜にとってエシェルは放置できない脅威となる。

 竜の白い翼が今度はエシェルの方へも伸びる。竜の咆吼がシズクとエシェルへと向く。どちらも薙ぎ払い、消滅させようと試みていた。


「じゃま、しないで!!!!」


 簒奪の鏡が輝く。同時に、エシェルの黒いドレスが蠢いた。背中から何かが突き出し、引き裂く。現れたのはだ。


 


 色が違うだけのそれが、どのような力を秘めているかなど、考えるまでも無い。


「どっかいって!!!」


 黒い【書き換え】の翼が【簒奪】の鏡に触れる。鏡の形が変わる。変貌する。本来よりも増して巨大な鏡が生まれる。その力は輝き、そして眼前の全てを簒奪する。


『G  』


 バツン、と、断ち切れるような音と共に、眷族竜の翼は丸ごと、鏡に食い尽くされた。

 あれほどに騒がしかった空が急に静かになる。ここまで翼をのばした眷族竜の本体はまだ健在であるが、これ以上こちらに翼を伸ばそうとはしてこない。

 片翼であれ翼の大部分を損なわせる脅威にこれ以上力を向けることを拒んだらしかった。


「う、うう……ううううううううううううう……!!!


 対して、エシェルの翼の輝きは更に激しさを増す。彼女の周囲を舞う鏡も翼の光に影響を受け、形を変え続ける。明らかな力の暴走が起こっていた。強大なる竜の力を、彼女は制御しきれていない。


 そして、その苦しむ彼女の隙を突くように、鏡と鏡の隙を縫うように、真っ白な手は彼女へと伸び――――


「きらい!!!」

「――――っ」


 エシェルへと伸ばそうとしたシズクの手が、鏡によって弾き飛ばされる。弾かれた手の痛みにシズクは少し顔を歪めるが、まだ幸運な方だっただろう。簒奪の力が使われていれば、腕が消し飛んでいた。

 が、しかし、だ。


「さて、どうしましょう」


 この後、どうするべきだろうか。シズクは困っていた。

 竜を撃退出来たはいいが、その竜を撃退する事が出来るようなとてつもない力を秘めた少女が、敵対状態だ。エシェルは怒りに満ちた眼で此方を見ている。

 虚飾による書き換えられた鏡は、悍ましい輝きを放ち続けている。もしあの輝きが飛んできたら、その瞬間シズクは死ぬ。


 彼女が身につけていた【魔本】の気配は確かに在る。


 格好は変わっているが、あの黒いドレスは恐らく魔力体だ。身につけていた装備が変わっている訳ではない。ならば、隙を見て本を起動させれば彼女の力を抑えられる――――可能性がある。加えて、彼女は。故に、自分の術式がある程度通せる、はずだ。

 だが、その隙が無い。無数の鏡がまるで彼女を護る護衛のように回り続ける。せめて彼女がその動きを止めてくれれば――――


「――――ク!シズク!!」


 その時だ。聞き覚えのある声がした。

 転移で戦線から強制的に離脱させられたウルの声だ。振り返れば彼がロックと共に此方に向かって文字どおり飛んできていた。


「ウル様?」

「シズク!!無事か!?今通信でわけのわからん情報が――――」

『おうおう、待て待てウル!なんかおるぞ!?』


 ウルとロック、どちらも無事であるようだ。その二人の様子をみてシズクは微笑んだ。


「ウル様!大変都合の良いときに来て下さいました!」

「よくわかんねえがお前に対する心配の気持ちが爆速で消滅したんだが!?」


 訝しげな表情で飛んでくるウルを両手でシズクは抱きしめて、そしてそのまま彼の両肩を掴み、ぐるりと、エシェルの方へと振り返った。


「エシェル様-!!ウル様ですよー!!!!」

「は!?エシェル!?!」

「ウルだーーーーーーーーーーー♥♥♥♥♥♥」

「『ごっっふぉおお!?!!?』」


 エシェルの頭がロックを粉砕してウルの鳩尾に追突した。




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