一章2



「さあ、いつまでも、こうしてはいられない。アブセスはアブセス。おれたちは新しい仲間を探しに行こうか。ハシェド」

「別れがあれば出会いがあります」

「クルウ」

「はい」

「おまえ、アブセスにこれを渡してやってくれ。餞別せんべつだ」


 ワレスは自分の指にはめていた指輪をぬいた。


「かまいませんが、隊長がご自身で渡されたほうが、アブセスは喜ぶと思いますよ」


 ワレスは顔をしかめた。

「とにかく渡してくれ」

「ええ」


 クルウと別れて歩きだすと、ハシェドがクスクス笑いだす。


「自分で渡すのが気恥ずかしいんでしょう? 隊長」

「うっ……」


 図星だ。


(なんだって、おまえときたら、おれの気持ちを読みとることにかけては天才的なんだ)


 まあ、それだから、おれはおまえを愛してしまったんだが。


 ほんとはワレスが一番案じているのは、ハシェドだ。この危険な砦に、ことにワレスのそばに置いておけば、いつか彼を殺すのではないかと不安にならないわけがない。だが、心配しながらも、ハシェドを手放すことができない。ハシェドと離れて暮らすことは、すでにワレスには考えられなくなっていた。


(おまえがいてくれるだけでいい。おれのとなりで、生きていてくれるだけで。だから、もう少しだけ、このまま……)


 いつまでなら、ハシェドは待っていてくれるのだろうか。一年か、二年か。それとも半年か。それより短いこともあるだろう。


「今日の補充人員は六人だったな。少し多い」

「この時期はいつもですね。暑いので、注意が散漫になるのかもしれません」

「ああ。まったく、砦の夏は暑い」

「隊長は二度めですか」

「そうだな。去年の今日、おれはこの砦の灰色の敷石をふんだのだな。そう思うと感慨深いよ」


 めまぐるしい一年だった。いつも怪奇な事件や魔物に追われ、休むヒマもなかった。じっさい、ふつうの人間なら、とっくに死んでいるところだ。


 ワレスが生きのびたのは運ではない。失われた古代人の力を残す、生まれ持った鏡眼ミラーアイズ。人に見えないものが見えるという双眸のおかげだ。だが、この目が、どうやら、ワレスの残忍な運命にも関係しているらしい。わかったからと言って、ワレスにはどうにもできないが。


 ワレスたちは人ごみをかきわけ、入隊希望者の試合場へ急いだ。

 前庭で輸送隊が荷おろしをしている近くに、毎回、このときだけ対戦台が用意される。

 その上で左右両軍にわかれ、希望者が対戦する。むろん、強ければ、それだけ多くの隊長が欲しがるし、弱ければ砦の傭兵にはむかないと判断される。


 まあ、ここまで来るだけでも長旅だ。よほど腕に自信がなければやってこないので、試合に負けたからと言って追い返される者は少ない。

 しかし、とるほうも、とられるほうも、ここが運命のわかれめだ。いつも試合はたいへん盛りあがる。


 ワレスたちが試合場に来たときには、顔ぐらいは知っている小隊長が大勢集まっていた。傭兵の七割は外国人なので、集まる小隊長も半分はユイラ人ではない。

 生粋のユイラ人にはめずらしい金髪のワレスは、その美貌もあって、彼らの注目をあびた。それは毎度のことだが、なんとなく今日の視線はいつもと違う。ちょっと呆然としたように見えるのは気のせいだろうか。


 ワレスたち二人は試合場の熱気でいよいよ暑いのを我慢しながら、人々の歓声に負けないよう、やや大きめの声を出した。


「おまえは夏で三年になるんだろう? ハシェド」

「春に故郷を旅立って、ついたのが水の月ですからね。正確には先月で三年です。そういえば、隊長、おれの一個下でしたよね? とすると、今年で二十八ですか」

「今月、アイサラの三日だ。おまえの誕生日は?」


 これまで聞いていないことが不思議なくらいだ。


「おれは来月ですよ。地の月のアイサラ四日です。じゃあ、ひと月は同い年ですね」


 嬉しそうに笑うハシェドが、たまらなく可愛い。どうしてこう、なにげない仕草でワレスを悩殺してくれるのだろう。


「一つ上なら水の年生まれだな。水に大地に創生の女神か。おまえらしいな」

「来年は三十か。なんか、あっというまだったな。とくに砦に来てからは——」


 話していたハシェドが、急にポカンと口をあけて黙りこんだ。あまりにもとうとつだったので、不審に思って、ワレスはハシェドの顔を見つめた。


「どうした?」


 たずねると、今度はワレスの顔をまじまじと見つめる。


「な……なんだ?」

「隊長、兄弟はいますか?」


 ハシェドはワレスの妹が死んだことを知っている。劣悪な環境のなかで育った過去を承知しているので、兄弟がいたとしても生きているとはかぎらないと、察しはついているはずだ。それをあえて聞いてくるなら、よほどのわけがある。無神経に他人の詮索せんさくをするようなハシェドではない。


「いや、みんな、死んだよ。一人、生きているかもしれないが、何年か前に一度会ったあと、どこかへ行ってしまった」


 あいつも、もう死んでいるかもしれないな。


 ワレスが会ったとき、余命数年という宣告を受けていたからだ。死にぎわを見せたくなかったから、自ら姿を消したのではないかと、ワレスは思っている。


(フュラウス。かわいそうに。幼いころ、親父に外国へ売られて、ようやく祖国に帰っても、長くは生きられない。やはり、呪われた血のせいか……)


 沈みこむワレスの気分を払拭するように、ハシェドが笑った。白い歯を見せて、

「じゃあ、急がないと、彼をとられてしまいますよ」

 ワレスの手をとって歩きだす。


「おい。どうしたっていうんだ」


 まわりの小隊長たちが、ジロジロ見ているというのに、ハシェドは何かに興奮していて気がつかない。べつに抱きあってキスしているわけじゃない。見られて困ることではないが、なぜか、とても恥ずかしい。


(バカ。変に意識するな。平静を装っていればいいんだ。どうせ、まわりの連中には、部下にせかされた上官にしか見えないんだから)


 ワレスは自分に言い聞かせて、ハシェドについていった。が、対戦台の上を見て、あぜんとする。周囲の者が好奇の目をむけてくるはずだ。たしかに、ワレス自身だって、自分の目を疑う。


 こんなことがあるだろうか?

 たったいま壇上で対戦相手を打ち負かした男は、ワレスに瓜二つだ。

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