文書5  黒い外套の女

楓は小さな踏切で電車が通り過ぎるのを待っていた。

気持ちいいほどの快晴だ。

大空いっぱいの青に自然とくすんでいた気分も晴れ渡る。

線路沿いには草木が青々と繁茂はんもしていた。

田んぼの水面が日光を反射して宝石のようにきらきらと輝く。

暫くすると、国鉄時代から一歩も進歩していないちいさな赤茶けた木造駅舎にむかって二時間に一本のクリーム色の一両編成の電車がせっせと走ってきた。



そのいつもがらがらな車内に、今日は沈みこむように深く座り込む見慣れない人影を見つける。



残暑著しい晩夏なのにも関わらず、口元まで隠れるような長大で真っ黒なゆったりとしたスタンドカラーコートをまとい、これまた黒に染め抜かれたバケットハットを目深に被っていた。

それだけでもついつい目で追ってしまうような恰好なのに、その背丈はあまりにも大きい。目測で260cmはあるだろうか。


夏の陽炎が見せた幻か、その姿に年老いた獅子が重なってみえる。


茫然と、楓はその電車をホームに入っていくまで眺めた。

変な人だったなぁ。なんの用事があってこんな片田舎まで足を運んだのだろう?

楓は小首をかしげた。

日にさらされ続けて色褪せうっすらとしか見えない虎模様の遮断棒が、ギリギリと軋みながら起き上がっていく。ようやく我に返って、楓は線路を渡っていった。


誰も使わなくなって久しい雑草の生い茂ったこじんまりとしているロータリーを通る。母屋のある神社は、丁度この線路を挟んで学校から結構な距離の向かいにあるのだ。


ぼろぼろのタバコ屋と泥まみれの自動販売機、こぎれいな自動精米所と錆の浮いた公衆電話ボックスがこの無人駅の周囲に存在する全ての商業施設だ。

それらを過ぎると、まばらに白い土壁の立派な家々が点在する他は田んぼや畑しかない。それらを縫うようにして走るひび割れたアスファルト。

その上をいつも通り歩いていくと家にたどり着く、そのはずだった。


         ◆◆◆


ふと、楓の頭上に大きな影が差した。


「そこの少年。すまないが、この未熟者の道案内を頼まれてくれるか。」


背後から声をかけられたことに驚き、楓がさっと振り返る。

天を見上げるがごとき長身が覆い被さるように楓を覗き込んでいた。

果たしてそれはつい先程楓が列車の中に見かけた姿だった。


列車の窓ガラス越しには見えなかった顔がよく見える。

珍しいことにそれは黒人の、それもとても背が高くてすらりとした女性であった。

肩にかけたベルトで自分の身長の二倍はある細長い赤の布袋を背負っている。

凛々しく整った顔がこちらを向いていた。

黒のストレートショートな髪が風に靡き、その切れ長なルビーのように真紅に輝く瞳は深い知性を秘める。

田んぼの上を縦横無尽に駆け抜ける風が漆黒のコートをたなびいていた。


余りにもこの廃れた田舎の村に不釣り合いな格好。

まだ残暑も厳しいのにコートとは暑くないのだろうか。

呆気に取られてその綺麗な深い目から楓が視線が外せずにいると、その整った顔が少しかしぐ。


「すまない、この未熟者の言葉遣いに何か粗相があったのだろうか? 失礼なことをしてしまったようなら謝りたいのだが。」


流麗な、でも何だか変な癖のある日本語だ。

それでハッとする。

初対面の人の顔をじろじろと眺めるなんてなんて不躾で恥ずかしいことを。

楓は典型的な田舎者の余所者に対する態度を取ってしまったと恥じ入る。


「いいえ、何でもありません。それで、何処に行かれるのですか?」


気を取り直して行き先を尋ねる。

どうやら自身の日本語が通じているかどうか心配していたらしい、意図が伝わっていると分かるとどこか安堵した気配だ。

コートの懐から古びた赤色の手帳を取り出す。

革の黒手袋でパラパラと手帳をくくる手がふと止まると、楓にそのページの右端の走り書きを見せてくれた。


見間違いかな?

いったん目を擦ってもう一度見てみる。

見間違いに違いない。

今度はぎゅっと固く目を閉じてもう一度見てみる。

しかし、哀しいかな、そのメモが指し示す場所は何も変わらない。

燦燦とした日光に照らされた手帳に書き込まれていたのは紛れもなく楓の神社だった。


         ◆◆◆


「それで、シャマシュさんは一体どうしてこんな田舎の神社を訪れるためだけに日本を訪れたんですか?」


結局、自分がその神社の跡継ぎですなどとは言わずにおいて、楓はその目的を探りながら案内する。

楓の神社を訪れるのは地元の人間かそうでなければ民俗学者ぐらいなものだ。

あそこは、こんな風に一般の人が外国からわざわざやってくるほど立派な神社ではなくて、この地に根ざしたこじんまりとした信仰の表れに過ぎない。

シャマシュの動機が不可解で気にかかるし、悪意のあるものならばしかるべき所につき出さなければいけない。


「いやなに、少しばかり野暮用があるのでな。」


しかし、先程からこうしてはぐらかされた答えのみしか返ってこない。

楓はまったく意図が掴めなかった。

いったいどうやってシャマシュは神社のことを知ったのだろう。

いったいなぜシャマシュは神社に行こうとするのだろう。

次から次へと疑問が湧いて出てきて楓は黙り込んでしまう。

シャマシュもそのまま話を続けるつもりはないのか、だんまりを決め込んでいた。

結果、青空の下二人はただひたすらに黙々と車道の眩いほど白いガードレール沿いに歩を進めた。

その気まずさを茶化すようにトンビがヒョロヒョロと鳴く。


「少し、尋ねたいことがある。私的な問いなので別に答えてくれなくとも構わんのだが………………。」


暫くして、漂う沈黙を断ち切るようにシャマシュが口を開いた。

何だろう、と楓が顔を上げて聞いたその問いかけは思いもかけないものだった。


「カエデ少年のその白髪は生まれつきなのかね?」


深緑の山々と真っ青な大空を背にしてシャマシュの赤い瞳が猛禽のように鋭くこちらを串刺しにする。

何故、そんなことをそれほどまでに剣呑に聞いてくるのだろう。

楓はさらに混乱した。

余計に意図が掴めない。


「は、はい。地毛ですが。」


戸惑いながらも楓は正直に答える。

その答えに満足したのか、シャマシュはその相好を崩して少し微笑んだ。


「いや、すまない。突拍子もない質問をしてしまってすまないな、忘れてくれ。」

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