からくり仕掛けの北極星 ー邑神楓と森吉村の異能事変ー

雨雲ばいう

文書1  始まりと日常

村の神社の神主の家、邑神むらかみ家には不思議な力が宿る。

この小さな田舎の村、森吉もりよし村にはそんなまことしやかな言い伝えがあった。

曰く、日照りを抑えるために地平の彼方まで列をなす雨雲を呼び寄せる。

曰く、神社の賽銭泥棒をらしめるためその姿を鼠に変えて猫に追いかけさせる。

曰く、曰く………………。


それらの噂は半分本当で半分嘘だ。


確かに邑神むらかみ家には、科学ではまったく説明のつかない力を持つ子供が産まれることがしばしばある。

ただし、森吉もりよし村に広がる伝承ほど荒唐無稽こうとうむけいで万能なものではない。


すぐ直近の未来をひっくり返す。


それが平安よりもずっと前からこの村で細々とやりくりしてきた邑神むらかみ家が継承する異能力だった。

いや、正確には今はそれだけとでもいおうか。

大昔の先祖にはそれこそ気の遠くなるほどまで先を見通してこの世の行く末を捻じ曲げるほど強力な能力者もいたそうだ。

しかし、次第にその力は薄れ、今では鉛筆が倒れるか倒れないかとか、本当に直近の結果だけしか覆せない。


それを吉と喜ぶべきか凶と嘆くべきかは分からないけれど、あと三代も重ねたら力はほとんど消え去ってただの迷信と化すのだろう。


         ◆◆◆


広い道場に楓は一人佇んでいた。

そっと木刀を脇に構えると、目の前の打ち込み用の人形をじっと睨む。

すっと自然な形で足を前に踏み出した。

かと思うと、次の瞬間には素早く人形の懐に潜り込み、腰を落として切り上げを放つ。


ビシィンッと弾ける音がじぃんと染み渡るように道場に響いた。


切り上げ、刺突、袈裟けさ斬り、何度も何度も噛み締めるように反復する。

その度に鋭い破裂音が一人きりの道場に響く。

邑神むらかみ家に伝わるこの古い剣術は、神社の神事に用いるので、跡継ぎとして楓は習得しないわけにはいかないのだ。

何度も何度も、繰り返す。

その度ごとに手のひらに確かな手ごたえを感じる。

楓は時間も忘れて修練に没頭した。


         ◆◆◆


どさり。


楓は休憩がてら道場に倒れ込む。

朝からぶっ通しの修練で赤らんだ肌に、床がひんやりと心地よい。

視界に入る古びて茶けた天井の木目をぼうっと眺めた。


ふと目を横にやると、ギラギラと灼熱の日光を受け止めるすだれの向こうでは、目が痛くなるほど真っ青な夏がたけなわだ。

空高くどこまでものびていく真っ白な入道雲を真似して、一筋の煙が縁側の蚊取線香からゆらゆらと揺蕩たゆたう。

アブラゼミが傷だらけの道場の柱を労わるように鳴き、時折森から吹く涼風にはしゃいで風鈴が透き通った歓声をもらす。


暫くの間そうして寝っ転がってぼうっとしているとジワリと眠気が襲いかかってきた。

いつもと比べても今日は鍛錬を頑張ったから、疲れが溜まっているのだろうか。

だんだんとまぶたが重くなってきて、うつらうつらとし始める。


「あ、晩ご飯の用意しなくちゃ……。」


う~ん、でもまあ、いいか。今日、夏休み最後の日だし。

楓は根拠のない理屈をつけてそのまま眠気に身を委ねた。


アブラゼミと風鈴の合唱にかすかな寝息が加わるのに、あまり時間はかからなかった。


         ◆◆◆


楓の体がゆらゆらとゆりかごのように揺らされる。


「もう、こんなところで寝ていると風邪をひいてしまいますよ。」


そっと楓は瞼を持ち上げる。

視界の端を艶やかな黒髪が泳ぐ。


「もうちょっとしたら起きる…か……ら…………………。」


楓は魅惑的な気怠さに誘われて、蜜のように甘い眠りにおぼれようとする。

が、再び揺さぶられて意識が浮上していく。


「だーめーですぅー。この前もそういって遅刻した寝坊助ねぼすけさんはどこの誰だったかなぁ?」


それを言われると痛い。

楓はしぶしぶと目を開け、未練がましくゆっくりと起き上がった。


もうすでにすだれの外には橙の夕暮れ空が広がっている。

縁側の蚊取り線香は力尽きて真っ白な灰になっていて、ヒグラシがいたむように寂しげに鳴いていた。

道場の中はすっかり赤に染まって、あちこちに随分と長くなった柱の影がのびている。

もう夕方になったのか。

楓は驚いて目をパチクリとさせた。


楓のそばでヒルトルートがその輝くような緑の瞳を細めながらおしとやかな正座でこちらを覗き込んでいる。

長い黒髪がさっとつややかに散った。


「晩御飯が出来ましたよ。片付けてから居間にいらっしゃい。」


楓が重たい体を起こしたのを確認してそう告げると、ヒルトルートはすっと立ち上がる。

母屋おもやのほうへと続く渡り廊下にヒルトルートの割烹着かっぽうぎの後姿はさっさと消えていった。


一人きりで道場にポツンと残された楓は道場に転がる木刀を拾い上げて刀掛けに戻す。

すっかり汗を吸ってしまっている道着を着替えると、もうとっぷりと日は暮れていて、辺りをすっかり覆う暗闇の中、母屋の居間から漏れる暖かい光がやけによく見えた。


道場の灯りを消して頼りないオレンジの電球が照らす渡り廊下をギシギシと音を鳴らして歩く。

鬱蒼うっそうとした森に覆われた小山の上に神社と家がある都合上、夜中になると楓とヒルトルートのほかに人影は全く見られない。

渡り廊下の欄干越しには黒くぽっかりと穴の開いたような鎮守の森が静かに佇んでいる。


ふと、その暗がりから一瞬人の形をした何かがこちらを見ている気がした。

ハッと驚いて楓は目を凝らす、がそこには普段通りわずかな光も漏らさない暗がりが広がるばかりだ。

少しばかり、寝ぼけているのだろうか。

楓は鳥肌がたった肌をさすり、気持ち少し早くなった足取りで母屋へと向かった。


         ◆◆◆


楓がガラリと居間に続くガラス障子を開けると、暗い外に慣れた目には眩しい白色の光が楓を出迎える。

赤味噌の芳醇ほうじゅんな香りに誘われて、楓は自然と古びた木製のちゃぶ台に引き寄せられた。

奥から珠暖簾たまのれんをかき分けてヒルトルートが出てくる。


「あら、随分と時間がかかったんですね。」


不思議そうに尋ねるその手にはほんやりと湯気をたてる焼き魚。

ちゃぶ台の上にことりと色とりどりの煮物やえ物が並べられていく。

それを手伝いながら、楓は間延びした声で答えた。


「なんだかたくさん散らかしちゃって。…………ごめんなさい。夜ご飯の用意を手伝えなくて。」


もくもくと蒸気の立ち昇る炊飯器から白米をよそよいながら、ヒルトルートはきょとんとした顔で返した。


「いまさらどうしたんですか、そんなに他人行儀になって。

自分たちは家族です。迷惑をかけあうなんて当たり前のことでしょう?」


それも、そうだ。

楓はなんだか少しこそばゆいような、気恥ずかしい気分になった。

すると、ヒルトルートがハッと何かに気がついたかのような顔をする。

そしてみるみるうちに悪だくみをしている顔つきに変わった。


「いえ、ちょっと待ってください。

………いえ、当たり前じゃありませんね。ええ、おかしなことです。

自分は大変な迷惑をこうむりました。

なので罰として、明日からずっとお風呂掃除、洗濯、食器洗い、夕ご飯の用意を全部ひとりで、」


「いやです。」


そんなぁ~~とがっくりとうなだれるヒルトルート。

でも、今週一杯なら全部やってもいいですよ、と付け加えてみる。

がばりと顔を上げてやったーっと喜ぶヒルトルートに苦笑しながら、二人で食卓につく。

ほんのりと温もりが伝わる茶碗を手に、なんということのない話でちゃぶ台の上が賑やかになる。


実は、ヒルトルートと楓は血のつながった本当の家族ではない。

しかし、まがい物の家族だとしてもその場に流れる暖かな心は間違いなく本物だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る