からくり仕掛けの北極星 ー邑神楓と森吉村の異能事変ー
雨雲ばいう
文書1 始まりと日常
村の神社の神主の家、
この小さな田舎の村、
曰く、日照りを抑えるために地平の彼方まで列をなす雨雲を呼び寄せる。
曰く、神社の賽銭泥棒を
曰く、曰く………………。
それらの噂は半分本当で半分嘘だ。
確かに
ただし、
すぐ直近の未来をひっくり返す。
それが平安よりもずっと前からこの村で細々とやりくりしてきた
いや、正確には今はそれだけとでもいおうか。
大昔の先祖にはそれこそ気の遠くなるほどまで先を見通してこの世の行く末を捻じ曲げるほど強力な能力者もいたそうだ。
しかし、次第にその力は薄れ、今では鉛筆が倒れるか倒れないかとか、本当に直近の結果だけしか覆せない。
それを吉と喜ぶべきか凶と嘆くべきかは分からないけれど、あと三代も重ねたら力はほとんど消え去ってただの迷信と化すのだろう。
◆◆◆
広い道場に楓は一人佇んでいた。
そっと木刀を脇に構えると、目の前の打ち込み用の人形をじっと睨む。
すっと自然な形で足を前に踏み出した。
かと思うと、次の瞬間には素早く人形の懐に潜り込み、腰を落として切り上げを放つ。
ビシィンッと弾ける音がじぃんと染み渡るように道場に響いた。
切り上げ、刺突、
その度に鋭い破裂音が一人きりの道場に響く。
何度も何度も、繰り返す。
その度ごとに手のひらに確かな手ごたえを感じる。
楓は時間も忘れて修練に没頭した。
◆◆◆
どさり。
楓は休憩がてら道場に倒れ込む。
朝からぶっ通しの修練で赤らんだ肌に、床がひんやりと心地よい。
視界に入る古びて茶けた天井の木目をぼうっと眺めた。
ふと目を横にやると、ギラギラと灼熱の日光を受け止めるすだれの向こうでは、目が痛くなるほど真っ青な夏がたけなわだ。
空高くどこまでものびていく真っ白な入道雲を真似して、一筋の煙が縁側の蚊取線香からゆらゆらと
アブラゼミが傷だらけの道場の柱を労わるように鳴き、時折森から吹く涼風にはしゃいで風鈴が透き通った歓声をもらす。
暫くの間そうして寝っ転がってぼうっとしているとジワリと眠気が襲いかかってきた。
いつもと比べても今日は鍛錬を頑張ったから、疲れが溜まっているのだろうか。
だんだんと
「あ、晩ご飯の用意しなくちゃ……。」
う~ん、でもまあ、いいか。今日、夏休み最後の日だし。
楓は根拠のない理屈をつけてそのまま眠気に身を委ねた。
アブラゼミと風鈴の合唱にかすかな寝息が加わるのに、あまり時間はかからなかった。
◆◆◆
楓の体がゆらゆらとゆりかごのように揺らされる。
「もう、こんなところで寝ていると風邪をひいてしまいますよ。」
そっと楓は瞼を持ち上げる。
視界の端を艶やかな黒髪が泳ぐ。
「もうちょっとしたら起きる…か……ら…………………。」
楓は魅惑的な気怠さに誘われて、蜜のように甘い眠りに
が、再び揺さぶられて意識が浮上していく。
「だーめーですぅー。この前もそういって遅刻した
それを言われると痛い。
楓はしぶしぶと目を開け、未練がましくゆっくりと起き上がった。
もうすでにすだれの外には橙の夕暮れ空が広がっている。
縁側の蚊取り線香は力尽きて真っ白な灰になっていて、ヒグラシが
道場の中はすっかり赤に染まって、あちこちに随分と長くなった柱の影がのびている。
もう夕方になったのか。
楓は驚いて目をパチクリとさせた。
楓のそばでヒルトルートがその輝くような緑の瞳を細めながらおしとやかな正座でこちらを覗き込んでいる。
長い黒髪がさっとつややかに散った。
「晩御飯が出来ましたよ。片付けてから居間にいらっしゃい。」
楓が重たい体を起こしたのを確認してそう告げると、ヒルトルートはすっと立ち上がる。
一人きりで道場にポツンと残された楓は道場に転がる木刀を拾い上げて刀掛けに戻す。
すっかり汗を吸ってしまっている道着を着替えると、もうとっぷりと日は暮れていて、辺りをすっかり覆う暗闇の中、母屋の居間から漏れる暖かい光がやけによく見えた。
道場の灯りを消して頼りないオレンジの電球が照らす渡り廊下をギシギシと音を鳴らして歩く。
渡り廊下の欄干越しには黒くぽっかりと穴の開いたような鎮守の森が静かに佇んでいる。
ふと、その暗がりから一瞬人の形をした何かがこちらを見ている気がした。
ハッと驚いて楓は目を凝らす、がそこには普段通り
少しばかり、寝ぼけているのだろうか。
楓は鳥肌がたった肌をさすり、気持ち少し早くなった足取りで母屋へと向かった。
◆◆◆
楓がガラリと居間に続くガラス障子を開けると、暗い外に慣れた目には眩しい白色の光が楓を出迎える。
赤味噌の
奥から
「あら、随分と時間がかかったんですね。」
不思議そうに尋ねるその手にはほんやりと湯気をたてる焼き魚。
ちゃぶ台の上にことりと色とりどりの煮物や
それを手伝いながら、楓は間延びした声で答えた。
「なんだかたくさん散らかしちゃって。…………ごめんなさい。夜ご飯の用意を手伝えなくて。」
もくもくと蒸気の立ち昇る炊飯器から白米をよそよいながら、ヒルトルートはきょとんとした顔で返した。
「いまさらどうしたんですか、そんなに他人行儀になって。
自分たちは家族です。迷惑をかけあうなんて当たり前のことでしょう?」
それも、そうだ。
楓はなんだか少しこそばゆいような、気恥ずかしい気分になった。
すると、ヒルトルートがハッと何かに気がついたかのような顔をする。
そしてみるみるうちに悪だくみをしている顔つきに変わった。
「いえ、ちょっと待ってください。
………いえ、当たり前じゃありませんね。ええ、おかしなことです。
自分は大変な迷惑をこうむりました。
なので罰として、明日からずっとお風呂掃除、洗濯、食器洗い、夕ご飯の用意を全部ひとりで、」
「いやです。」
そんなぁ~~とがっくりとうなだれるヒルトルート。
でも、今週一杯なら全部やってもいいですよ、と付け加えてみる。
がばりと顔を上げてやったーっと喜ぶヒルトルートに苦笑しながら、二人で食卓につく。
ほんのりと温もりが伝わる茶碗を手に、なんということのない話でちゃぶ台の上が賑やかになる。
実は、ヒルトルートと楓は血のつながった本当の家族ではない。
しかし、まがい物の家族だとしてもその場に流れる暖かな心は間違いなく本物だった。
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