◆夢物語は神の真実を語るのか

 世界征服などと言う夢は莫迦げた過去のお伽噺に成り下がった。世界を手中にしたところで自分の欲望を満たせる筈などない、何故ならまつりごとつかさどって行かねばならないという現実が存在するからだ。圧倒的な民衆は暮らしに不満が有れば指導者を突き上げ下手をすれば転覆を図る。野望は夢、政は現実。現実は苦痛以外の何物でもなく、じわじわと情熱を削いで行く。挙句、独裁者は悲惨な末路を迎えるのである。


 しかし、現実世界の苦痛を物ともせずに世界を司る者がいる、それが神である。神はその並外れた度量を惜しげもなく振るい、鍛え上げた経験値で民衆達を論破する。それは極めて自然で無理も矛盾もなく誰もが納得出来て信仰心の名の下に昇華させる。もしも世界征服を達成し、その後もその状態を維持している者が居たとすれば、それは神以外、考えることが出来ないのだ。そして、今、リュイの目の前にはその神のしもべが横たわっている。狼の手から奪取した有翼人はリュイのマンションの寝室ですやすやと寝息を立てていた。


 どうしようか迷ったのだが結局自宅が一番安全だろうという結論に達したのだ。所謂、タワーマンションの高層階だからいくら狼でも外から簡単に侵入することは難しいだろうし、玄関ホールに有る管理室の受付を守るのはこのマンションのオーナーでかなりのおじいちゃん、狼の性格からして御老人を殴り倒して無理矢理侵入数るような真似はしない筈だ。そういう意味でこの建物のセキは条件付きだが意外と堅牢なのだ。


 リュイは有翼人がまとっている絹のような繊維でできた純白のワンピースをたくし上げて体を少し調べてみた。ワンピースには鮮血が飛び散って入るが傷らしき物は見当たらない。特に見当たら心臓のあたりを中心に飛び散っているのだがそのあたりに傷は無く布地にも穴などのダメージは見当たらなかった。


「ふむ……」


 妙にオヤジ臭く顎を撫でながら眉間に皺を寄せ、有翼人の顔を見ながら何事かを考える。この子がほぼ100パーセント人間ではないという事は、白紙の様に無垢な表情と一点の曇りもない陶器のような肌が現しているように感じた。それに、背中から生えた翼も……


「う、ん……」


 興味津々見つめるリュイの視線を感じたわけでもないのだろうが有翼人は小さく呻くと両目をゆっくりと開いた。


「気が付いた、大丈夫、私の事見える?」


 リュイはキッチンから持ち込んだ椅子をベッドサイドに置くとそこに腰かけ、出来るだけ警戒心を抱かせないよう気を使った口調で話しかけた。


「……ここは?」

「良かった、言葉は通じるみたいだね」


 有翼人はリュイに視線を移すと別訴の上に起き上がろうとする。


「あ、まだ、そのままにしてて。大丈夫、心配はないから」

「あの……」

「私はリュイ、あなたの名はなんて言うの」

「え……」

「名前くらいいいじゃない、それとも言いたくない理由でも?」

「そ、そんなことは……私の名は…」

「名前は?」

「ボーワッテゲダラ・ディサーナーヤカ・ムディヤンセーラーゲー/ギハーン・サマンタ……」

「長い長い長い!!!」


 何処まで続くのか分からない名前にビビってリュイは思わず突っ込みを入れる。


「……じゃぁ、ディサーナー、でいいです」


 リュイは何となくほっとする。もしもこの莫迦長い名前を暗唱しないと許さないとか言われたらどうしようかと思ったからだ。ただ、ディサーナーは少し不満そうな表情を浮かべている、正直略称で呼ばれることが本意ではないことがにじみ出しているように感じられた。


「じゃぁ教えてくれるディサーナー、あなた、どこから来たの?」


 その質問を聞いてから少しの間、ディサーナーはリュイの瞳を暫く見詰めてから唇をピクリと動かし何か言おうとしたが、すぐに瞳を伏せてリュイの視線から逃れるように顔を背ける。


「ん、言えない……ま、良いわ、私にとってはそれ程重要なことじゃないし。名前を教えてくれたことの方が重要よ」


 リュイは歯を剥き出してにかっと笑って見せる。彼女にとって人が何処で生まれて何処で育ってなんて言う素性はあまり気にすることではない、大切なのは気が合うか合わないかだ。一緒に居られる人物かどうか、それ以外は知る必要すらない情報だった。


「そうだ、着替える?なんかそれ、血塗ちまみれじゃん、気持ち悪いでしょ。あなたの体格なら私の服、着られるわ」

「あ、いえ、そんな、気、気にしないでください」

「大丈夫よ、気にしないで。」


 リュイはディサーナーの言葉など歯牙にも掛けず、クローゼットの中を引っ掻き回し違和感なく着られそうなそうな物を選び出す。


「はい、これ、着てみて。シンプルで目立たず、でもあなたにきっと似合うから」


 服を差し出しながらにっこりと微笑んで見せるリュイ、しかしディサーナーは戸惑った表情のままそれを受取ろうとしない。リュイが選んだのは無地で白のTシャツと少し幅広のジーンズでそれを着ることに躊躇する様なデザインではなかったがディサーナーは受け取ろうとはしない。


「……気に入らない?」

「い、いえ、そんなことは無いんですが」

「なら、着替えちゃいなさいよ。その方が……あ…」


 そこまで言ってリュイは気が付いた、ディサーナーの背中に生えている翼の事を。


「そっか、これじゃ着られないねぇ。翼が出ないもんな」


 人間が普通に切る様な物ではこの子の翼が入らないのだ。リュイが見繕った服が気に入らないのではなくて物理的に切る事が出来ないのだ。


「ごめんね、じゃぁ、それ脱いで。洗っちゃうからさ」

「い、いえ、お気遣い無く」

「大丈夫大丈夫、遠慮しないの」


 下心がありそうな笑顔を張り付けてゆっくりと間合いを詰めて来るリュイに不信感を覚えたのか、ディサーナーはそれに合わせて窓に向かってじわじわと後ずさる。


「ふふふふ、怖くないわよん、ディサーナーちゃん」

「あ、いえ、その……」


 だが、その少し微笑ましい光景は突然終わりを告げる。背にしている窓の外の気配に気が付いたディサーナーはその視線を無意識に:外に向けたその刹那せつな……


「あ……」


 ディサーナーの視線を追う様にリュイもそれを辿る、そこに見えた物は異形。


「ん?何?」


 リュイの目に映ったのは六枚の大きな翼を広げた人影だった。身長は二メートル以上ありそうでかなり大柄の人物に見える。そして、色々な疑問が早回しの動画の様に頭の中を駆け巡る。まず、リュイの部屋はタワーマンションの高層階だったから窓の正面に人が立っている訳はない、そして、その人物の背中には六枚の翼が有る。なぜ人の背中に翼が有る。更にその人物が光り輝き始めたことで敵意が有ることを察知する。


「危ない!!」


 リュイはディサーナーに飛びつくとそのまま抱きかかえると横っ飛びして隣の部屋に逃れた。しかし、窓の外に浮かぶ人物の光は急激のその輝度を増し、マンションの部屋全体を包み込む。その光は目を閉じても瞳の中に侵入してきて遮る事が出来ない程の激しい物でリュイは完全に視力を失ってしまった。


 だがそこは勝手知ったる我が家である、頭の中に叩き込まれた部屋の図面と現在位置から出口までの脱出路を計算し全速力で走りだす。しかし、行動は窓の外の人物の方が一歩早かった。屋内には窓ガラスが割れる音が響き渡り、同時に光の輝度がさららにパワーアップ、接ぎに来た熱にリュイは思わず叫び声をあげる。


「うぎゃ~~~!!」


 部屋が燃え上がる様な灼熱ではないがかなりの高温だった。サウナの中よりは熱く感じられたその熱は光の強さが増す程に上がっていくように感じられた。リュイは玄関までたどり着きドアノブを握って開けようとしたのだが、残念ながらドアノブを回す事が出来なかった。


「あっ、あちあちあちあち!!」


 ドアノブが握れない程熱いのだ、勿論これも金属が溶けたりする程の温度ではないのだが常人が触れる温度ではない、熱湯とほぼ変わらないのではないかと思われる温度だった。リュイは思考回路を全開でぶん回し、脱出経路を考える。しかし、狭いマンションの一室、行動範囲にはおのずと限りがある。それにこの部屋から外に出られるのは今居る玄関だけで、あと考えられるのはさっき輝く六枚羽の人物が入ってきたベランダに続く窓だけだ。


 目を閉じていても周りの光が増している事が手に取るように分かると同時に温度も上がって行くのを感じる。六枚羽が近づいてきているのだ。自分が襲われる理由はない筈だから目的はおそらく左腕に抱きかかえているディサーナーなのだろう。その理由は分からない。しかし、少なくとも良心的に感じられないのは無言による圧力から来る、だからリュイの獣の本能は逃げることを選択しているのだ。


 しかし、逃げ場はない、ここは狭すぎる。空間に全く余裕が無い。そして六枚羽の圧力は確実に増している。瞼の隙間から侵入してくる光は耐えがたいほどの眩しさと熱。ディサーナーを放り出して自分だけ逃げ去るのも手ではあるが、そんな事をすれば立ち直れないくらいの後悔にさいなまれそうな気がしてとてもではないがそんな気にはなれない、だからと言って手段はない。いっそのこと六枚羽の手中に自ら落ちてしまおうか、いや、それは無謀すぎて選択肢からは外した方がいいだろう、だからと言って他に手段は………


 がつん!!


 光と熱に包まれた部屋の中に何かがぶっ壊れたような、あるいは吹っ飛んだ様な音が響く。


「な……」


 リュイは音の方向に顔を向け激しい光が満ちているのを思わず忘れて目を開いてしまう。同時にその眩しさに意識を失いそうになるがその寸前、玄関の扉がぶっ壊れ跡形もなく外れているのを一瞬だけ認識する事が出来た。そしてそこに人影があったことも、しかもそれが知り合いだったことも。


「あなた、誰……」


 その知り合いがぼそりと呟いた言葉も耳に届いた。ただ、その言葉は六枚羽には聞こえなかったらしく、自動的に敵だと認識した六枚羽はリュイの部屋の玄関を吹き飛ばし、この光の中を物ともしない乱入者に標的を変更した。だが、乱入者は自分の足元に無残な姿で転がっている玄関扉をひょいっと拾い上げると不用意に飛び掛かってきた六枚羽をバドミントンのシャトル宜しく玄関扉で打ち返し、あっけなく部屋の外に頬りだしてしまった。同時に光と熱は消滅し、静寂が再び甦る。


 乱入者はディサーナーを抱きかかえて床に座り込むリュイの傍らまでつかつかっと進むとふわりと両膝をついて彼女の顔を覗き込む。


「大丈夫、リュイ……」

「……あ、ああ、菜美かぁ。あんまり大丈夫じゃない」


 銀色のショートボブ、透き通るように白い肌、そしてあまり感情がこもってない口調はリュイの古い友人でもあり商売仲間だった。彼女もリュイ同様人間ではない。しかし正体はリュイにもよく分からなかった。だが、表な出会いから妙に馬が合って名がいい付き合いになっている。それに、彼女の歌にも惚れたという側面もある。そして、今見せ付けた極めてスレンダーな見た目とは裏腹な破壊力にも。


「何事?」


 菜美のぶっきらぼうな口調での質問にリュイは小さく首を振って見せる。菜美はリュイが抱きかかえているディサーナーに気が付いて翼をもつ小柄な人物を指さし手更に尋ねる。


「これは?」


 リュイの答えはやはり小さく首を振って見せただけ。菜美は小首を傾げて見せる。そしてディサーナーを黙って見つめるだけだった。そして、彼女の視線が自分に注がれていないことに気が付いて少しむくれながらリュイもぼそっと一言発する。


「私の事は心配しないのか……」

「あなたは……殺さてても死なないでしょ、知ってるから心配しない」

「薄情者」


 いずれにしても当面の危機は回避出来た様だった。しかし、色々な謎は解けないままで面倒事は確実に増えたのだ。いろんなことが起こりそうな予感にリュイの心は沈んでいく。折角平穏な暮らしを営んでいたのに再び渦中に巻き込まれるなど御免ごめんこうむりたかったが事態はそれを許してくれそうにはない。こみ上げるため息を隠すことなくっはあっとついて見せ、瞼を開くと眩んだ視力は回復し、無表情で何を考えているのか今一つ読めない菜美の顔が映りこむ。


「あんただけ逃げようなんて許さないからね」

「……何の事?」

「これからないか起こりそうな気配だけど、付き合ってもらううわよ、逃がさないからね」


 鋭い視線をお送るリュイを見詰める菜美は躊躇う事無く間髪入れずこう言った。


「……断る」


 夜の闇は足音も無く街を包み、再び静かに冷やしていく。そして動き出した物語を語ることなく無言のまま再び立ち去っていくのだ。

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