第六十九話

「んでさ、持って帰るあれだけの本の解読、タナさんがやるの? 一人でやろうとしたら何十年って掛かるんじゃないの?」

 ふと、エンカが投げかけた疑問にナナメは、

「いえ――」

 と首を横に振り、続ける。

「何十年掛けたって無理かもしれません。ぱらっと見た感じ、そもそも土台としての魔術理論が、私達のそれとは決定的に違うような印象もありましたので…………けれど、だからってこの遺跡から持ち出したものの研究に関して、下手に協力を仰げばそれはそれで混乱を招きそうですし、難しいところですね」

「だねー」

 まあ、さもありなん。

 恐らく、魔術やそれに類する現象に興味を持つ人間からすれば、あの大量の蔵書の中の一冊だけだって、垂涎ものの宝に違いない。

「なので――待とうかと思います」

「お、何を?」

「魔女様の来訪を」

「へえ」

 僅かに笑顔を浮かべるエンカからナナメは視線を逸らし、悪魔の方を見ていう。

「というわけで、お願いがあります」

「ほう?」

 言葉を向けられた悪魔も、薄い笑みをその顔に貼り付けた。

「この遺跡の停止、そして私達が攻略してしまった仕掛け等々の情報がある以上――そして、こうして全ての物を持ち出してしまう以上、魔女様がここに居続けるのは、まあ、難しいとは言えないかもしれませんが、きっと心地良いものではないでしょう。ソファだらけのお部屋でぐうたらするのがお好きだとも聞きましたし」

「ふむふむ、だから?」

「だから、もしも魔女様が望むのでしたら、あのソファだらけだった広大な空間や、そこから接続できたお手洗いや浴場、そして――あの最奥の工房も、出来る限りで、建造しようかと思っています」

「それ、現実的な問題として可能なの?」

 エンカの問いに、

「わかりません」

 きっぱりと、ナナメは口にした。

「今のところ、私がそうしたいと思っているだけです。なので、ここで変な見栄は張らずに正直にお伝えしますと、ちゃんと出来るかどうかはわかりません。ただ、もしもそれをすることで魔女様が王都に滞在され、ここで回収した本の内容についての解説や、解読の為の指導をして下さるのであれば、そういった諸々に関する出費なんて気にならないくらいの見返りが手にできると思うのです。それをお母様に、女王様に伝えれば、断られることはないかと」

 ノハナの町にある元孤児院――今となってはその女王様の手により学び舎になったどころか、魔術を、選ばれた者のみに教える隠し施設まで作り出した人物。

 その女王様なら、確かに、とフラトも話を聞きながら、決して見通しの甘い話でもなさそうかなと思えた。

 しかし。

「はっ――」

 と。

「はっ――はっ――はっ――」

 と。

 悪魔は。

「はっはっはっはっはっはっあははははははははははははははははははははははは」

 とても可笑しそうに。

 とても嬉しそうに。

 笑った。

 嘲嗤うように笑った。

 初めて、『悪魔』という呼称が似合っているような、声音と表情で。

「成程成程っ! つまりタナツサク様は! 私の主を相手に! かの魔女を相手に! 交渉をしようと! 取引を持ち掛けようと! そういうことでございますかっ!」

 大仰に。

 舞台役者のように、そんなことを言うが。

「いやいやいや、待ってください違います。、そんなつもりではありません。そんな大仰なことはしませんよ」

 そんな誤解をさせるつもりはなかったと、ナナメは慌てたように首と手をぶんぶん横に振って悪魔の言葉を否定した。

「おや? おやおや? 違うのでございますか?」

「はい。違います」

「ふむ…………では、どのような意図で?」

「いや、単に――単純に、もし魔女様が私達の持ち出した物を取り返そうと思ったら、どこにいたって、どうやって守っていたって、そんなの簡単に突破されてしまうじゃないですか」

「そんな意地汚いこと、諦めの悪いことはしないと思いますけれど」

「絶対ではないでしょう? 絶対的弱者の立場としては最悪の場合も考えたい――というわけで、ここから奪って独り占めをしたいのではなく、希望されるのであれば、もしも途中の研究などもあるのでしたら、引き続きそれを行う環境を整えたいと、そういうことです」

「成程、成程。まあ確かに、私がいくら色々と言っても、皆様方にはどうしたって主がどんな人柄なのか、どんな性質を持ち合わせているのかわからない以上、不安は拭えるものではありませんよね。故に、敵対しない為の策を出来る限り講じたい、と」

「はい。それでもし傍にいて下さるのであれば、本の内容の解説なんかもしていただければ、ありがたいなと……………………こういうのは、自分で解き明かすことが最大の楽しみの一つだと理解はしているのですが、しかしそれでも、何十年という時間は私には長過ぎる。ずるいとはわかっていますが、それでも、短縮できるならしたいのです」

「いえいえ、ずるい、などとは思いませんとも。タナツサク様のそれは怠慢などではなく、その先の、最も自分の知りたいことの為に時間を使いたい。故にそれとは無関係な情報は積極的に排除していきたい、というものでしょう?」

「積極的に排除、というとちょっと極論ですし、魔術的な分野であれば矢張り私の食指は動いてしまうので、寄り道もしてしまうと思いますが、でもまあやんわりと言えばそんな感じです」

「理解致しました」

「まあ、こちらも命を懸けたとはいえ、こうまで住家をすっからかんにされてしまったら、あなたの言う通り怒ったりはしなくとも、落胆したり、それこそ、長く住んでいたのであれば寂しく思うこともあるかもしれませんし。馴れ合いは出来ないにしても、たとえビジネス的だろうと協力関係くらいならなんとか…………ならないかなあ、なんて思いまして」

 最後は僅かに投げやりな感じも見られたが、相手はこんな遺跡を作り上げ、目の前の悪魔すら創り出したトンデモな存在である。

 思考を止めず、今後の接触すら考慮しているナナメは流石と言えよう。

「新たな住家の提供と引き換えにその知識を貸してもらえないか、と。いやータナさんってばやっぱり流石王女って感じだねえ。考え方というか在り方というかさ。ばかすかあれだけ収納して疲れてるだろうに、部屋の再現に必要な情報のメモとかも凄い一生懸命取ってたし」

「そ、そうでしょうか……………………ありがとうございます」

 エンカに褒められるのが余程嬉しいのか、顔を赤くしたものの、すぐに表情を真剣なものへと戻して、ナナメは悪魔に再度言う。

「そういうことですので、お願いできますでしょうか」

「はてはて?」

「…………?」

「私は結局のところ、何をお願いされているでございましょうか?」

「え、あの…………ですので、今私が言いました構想というか計画を、魔女様にお伝えしてほしいのですが」

「ん…………ああ、ああ! 成程、そういうことでございましたか。しかし申し訳ございませんタナツサク様。私の方から主に連絡を取ることはできないのでございます」

「あ、そうなんですか?」

「はい。確かに私を作り出したのは魔女と呼ばれる主であり、私という存在にも主自身の力が少なく使われ、含まれております。ですので、基本的には連絡等も取ることは可能なのでございますが、現在、その繋がりと言いますか、連絡を取るためのパスが閉ざされてしまっておりまして。こちらからは連絡が取れない状況にあるのでございます」

「あれ、でも――」

 とナナメが首を傾げる。

「この遺跡は間もなく稼働を停止し、誰でも這入って来れるようになってしまうんですよね?」

「はい。作動するものといえば、螺旋階段と、迷路に設置した物理的な機構のみで構成された罠が、貴方達に壊されず残っていれば、くらいのものでございますね」

「こうして全ての物を私達で回収してしまった今となっては、あなたがわざわざここで待ち構える必要はない、ですよね?」

 それとも、戦闘だけでもしたいと考えているのか、とナナメが問う。

「まさかまさか。仕掛けなき今となってはここまで辿り着いたところで楽しめるなんてことはないでしょう。守るものもなければ、残る理由もございません」

「ということは、魔女様のところへ戻るのでは?」

「戻りません。怒られたくないので」

 あ、怒られるんだ――とは皆が心の中で思っただろう。

 というか。

 突破されてしまえば全ての物を根こそぎ持ってかれてしまうというのに、それが怒られる程度済まされてしまうというのもそれはそれで、という話でもあるが。

「と、いうのも嘘ではございませんが、今のところ現在地の情報もこちらからわからないように閉め切られてしまっておりまして、行きたくても行けない状況なのでございます」

「では、この後どうされるのですか?」

「はい。私、トバク様達に付いていこうと思っております次第で」

「は?」

 ぼうっと話を横で聞いているだけだったエンカが、これには流石に、素早く悪魔の方を振り返った。

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