第五十一話

「っ!」

 意識覚醒とほぼ同時――どうして自分が意識を失っていたのか、フラッシュバックの様に思い出したフラトはそのまま身体を起こそうとして、

「は? あ、くっ、んがっ……………………は?」

 蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされて身動きが取れなかった。

 頭と顔だけがむき出しで曝け出されているから、呼吸は問題ないし、状況の確認もできるのだが。

 何だこれは。

 糸で巻かれているところがぴりぴりと、妙に痺れて気持ち悪い。

 エンカはこんなものが気持ち良かったのだろうか。

 或いは蜘蛛がわざと、フラトのときだけ気持ち悪い痺れさせ方をしているのか。

 後者の可能性が無いとも言い切れないというか、寧ろ可能性が高そうであるのが、うーん、なんともなあ、という感じである。

 ともあれ、閑話休題。

 エンカ達を運び込んだベッドの部屋である。

 視線を動かせば、未だベッドの上で寝ている三人の姿が確認できる。三人はちゃんと、丁寧に枕の位置を調整され、布団まで掛けられたのに、何故フラトだけ糸でぐるぐる巻きなのか。

 いや…………まあ、今となってはエンカだけは、片足が布団からはみ出して、ベッドからも落ちているが。

 あの様子だと、もう気絶というよりは単なる睡眠だろう。

「おい…………」

 腹の上で静かにじっとしている蜘蛛に呼びかけると、僅かに身体を震わせるような挙動を見せた。

 寝ていたのだろうか?

 この蜘蛛の生態は未だに不明だが、今はちゃんと視線を向けられているのがわかる。

 いつもなら、こうして蜘蛛の悪戯にフラトが気付くと、小躍りしたり糸玉を投げてきたりするのだが、今はそういう気分ではないらしい。

 ただただ様子を確認するようにじっと見られている。

「おや、もうお目覚めですか。早いですねえ。これが若さなのですかねえ。まだ四時間ほどしか経っておりませんし、他のお三方も眠っているというのに」

 ソレが酷く冷静くさった声で言う。

 いつの間にか、足だけでなくその小さな身体全体を蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされ、頭部らしき部位しか見えない有様で――しかも加えて、部屋の中央辺りに、天井から逆さに吊るされた状態で。

 シュールな光景である。

「あんたは兎も角、何で僕までこんな…………あれ?」

 先程は全くうんともすんともいかなかった身体に巻きつけられた糸が、はらりと緩んで解けた。

 解けた糸はそのまま、しゅるるるるるるるるるるるるる、と蜘蛛に巻き取られ、全ての糸を収納し直した蜘蛛は身体を起こしたフラトの頭上、定位置へ。

「さてさて少年、目覚めたのでしたら確認しておきましょう。右腕の調子はいかがですか?」

「いかがも何も……………………は?」

「ふむふむ。見た感じ、二の腕の骨折、指の骨折、ヒビ、その他断裂などなど、どれも治っているようですね」

 不思議そうな顔で右手を閉じたり開いたりしているフラトの様子を見ながらソレが言う。

 表情も何もなく、ただ口に当たる部分だけを大袈裟にぱかぱか開いて。

「…………」

 しかし本当に治っている。

 右腕、右手――まるで違和感がないのが逆に気持ち悪い。

 意識を失う前まであれだけひしゃげ、激痛を発していたのに。

 ちゃんと力も込められる。

 怪我をすれば、その個所に気を流すのもスムーズにはいかないのに、矢張り、今は滑らかに気が流れる。

 見かけだけじゃなく、ちゃんと中身まで治っているのだ。

「どうです? そのベッドに回復を施す陣が敷かれていること、実感していただけましたか?」

「…………まあ、うん」

 けど、とフラトは続ける。

「――何で?」

「何で、とは?」

 はて、と呟きながら、逆さのままちんまい身体でソレが器用に首を傾げた。

「何で僕をわざわざ回復なんてさせたんだ?」

「痛みを堪えたままの状態というのはそれだけで辛いものですし、お話をするにも支障がありましょう?」

「お話って…………つーか、そもそもそこからだ。そこから意味がわかんないんだよ。それこそ痛みで思考が鈍っていたとしか思えない」

 ソレとの話し合いの場に着くなんて。

 わざわざ話し合いの場が設けられるなんて。

 倒れた三人の回復を請け負ってくれるなんて。

 まるでとんと――意味がわからない。

「あんたは――三人がぶっ倒れた状態で山に放り出されたら魔獣に襲われて、いや襲われずとも無事には山を出られないだろうから、回復が必要だと言った」

 まだ他の三人は目を覚まさない。

 でも見る限り呼吸は安定しているし、顔色もいい。

 エンカなんて今すぐに起き出してきてもおかしくないくらいの様子である。

「けど、ついさっきまで殺し合いしてたんだし、あんたからすればこの後僕等が山で死のうがどうなろうが知ったこっちゃないだろ」

 ちゃんと賭けには従いました、はい終了――それでいい筈じゃないか。

「何を企んでる?」

「そうですね、企んでいるというなら、そこの少女が言っていた私への『再挑戦』という言葉を信じて、次は更に面白く楽しい戦いができように、というところでしょうか」

 ソレは静かにそう言い、更に続ける。

「それに、『いつ』出口にご案内するかどうかはお約束しておりませんし、あちらの少女からも指定されませんでしたから」

「だから?」

「だから――お話を致しましょう」

「それ…………本気なのか?」

「ええ、勿論。だからこそ貴方も含めこうして皆様を治療しているのですよ。痛みなんて残ってたら、碌にお話なんてできやしないでしょう?」

「そりゃ、そうだけど」

「貴方達が『遺跡』と呼ぶこの場所での私の役割は既に終了致しました。賭けのお話があったとはいえ、互いに全力を出し、私が先に力尽きたのですから、紛れもなく貴方達の勝利で終わったのです。となれば、ここからは私の自由時間ということなのでございますよ、お客様」

「…………はあ」

 お客様、ねえ。

「ええ、ええ。とても、とても、それはもう長く訪れる者のいなかった久方ぶりのお客様なのですから、是非とも私とのお喋りに付き合って下さいませ」

「急にテンション上がったな…………」

 矢張り表情はわからないが、声のトーンだけでわかる。

 あと、心なしか口も大き目に開いていたように見えた。

「まあ…………この部隊の頭はトバクだ。あんたと最後にやりあった、賭けをした女の子な」

 フラトはエンカに視線を移しながら言う。

「お願いがあるならそっちにしてくれ。ちゃんと回復、してくれるんだろ?」

 まあ、もうこれ以上必要ない気がしないでもないが。

「ええ、ええ。それはもう、勿論でございます。確かにその通りでございますね。貴方だけに言うのもおかしな話でございました。しっかりと、あちらの少女だけでなく、他の方々にも頼みませんと。いやはや、貴方達が最後の部屋にやってくるまでの三時間といい、一分、一秒を、として感じる。目に見えないその概念を待ち遠しいと待ち侘びる。こんな感情は久方ぶり、いえいえ、もしかしたら初めてかもしれませんねえ」

 感慨に耽ったようにソレは言う。

 しみじみと。染み入るように。

「いちいち大袈裟だな、あんたは」

「でしょうか? ふふふ、かもしれませんね」

 器用にぱかぱかと喋るたびに開く口を、弓型に器用に歪めて笑顔を浮かべた様は――滅茶苦茶気味が悪かった。

「…………お、軽いな」

 いい加減ベッドから足を下ろして立ち上がると、やたら身体が軽く感じられた。

 老紳士との戦闘時も別に身体が重たいだなんて思ってはいなかったが、自覚出来ていなかっただけで、それまでの遺跡攻略で着実に積み重なっていた疲労があったのだろう。

「おお。それは良かった。不具合はございませんか?」

「ん…………うん。割と好調」

「安心致しました。それはそうと、どちらへ?」

 ぺたぺたと、いつの間にか靴も脱がされた裸足の状態で歩き出すフラトを、ソレが呼び止める。

「いや、何か飲み物…………水でももらおうかなと思って。結局さっきの紅茶だって一口しか飲んでないしさ」

「これはこれは、気が利きませんで申し訳ございません。そういうことでしたら――」

 と。

 逆さのソレが、でろん、と形を崩して液体のようになり床に落下。もぞもぞと蠢いて盛り上がり、立ち上がり、あっという間に人の形を取って、老紳士の姿となった。

「自力で抜け出せたのかよ」

「抜け出す分には。この四時間ほどで私も形を戻すくらいには回復できましたので。おっと、警戒せずとも大丈夫でございますよ。ご安心下さいませ」

「いや、別にしてないよ。敵意がないのはわかるし、もう色々疑うのが面倒臭くなった」

「あらあら、そうでございますか。ふふふ」

 戦闘時の薄く貼り付けたような笑みとはまた違う笑顔。

 どちらにしろ厄介そうな雰囲気が変わらないのは如何なものか。

 まあそれはそれとして。

「水、もらってもいいか?」

 先程いたキッチンと丸テーブルがあった部屋の方を指差しながらフラトが訊くと、

「ええ、ええ。勿論構いませんよ――」

 老紳士は頷きながらさりげなくフラトの前に出て扉を開き、先を促してきた。

「当然水はご用意するとして、もしよろしければ、今度こそちゃんと紅茶もお淹れ致しましょうか?」

「じゃあ、お願いする」

 言いながらフラトは再び丸テーブルに備えられた猫足の椅子に腰掛けた。

 先程一口しか飲めなかったし直後に意識を失ったが、それでもその一口が美味しかったのは覚えている。

 飲めるのであれば、もう一度飲みたいと思うくらいには。

「では少々お待ちを」

 そう言って、老紳士自らキッチンの方へと歩いていった。

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