第四十九話

「トバク?」

 倒れたエンカの顔を、フラトが上から覗き込むと、

「やったねー、ホウツキ」

 疲労の滲む顔で、けれど笑みを浮かべてエンカはそう言い、そのまま目を閉じた。

 規則的な呼吸はしているので、恐らく、何もかもを出し切って気を失ったのだろう。

 近くにはナナメも、丸くなるように床に倒れているが、こちらも呼吸があるのは確認できた。

 彼女が何をしたのか、フラトにはわからない。

 けれど、ナナメがエンカの手を握った瞬間、展開していた魔力壁が強化されたのはフラトにもわかった。

 ナナメのおかげで、多分、自分達はこうして今生きているのだろう。

「さて――」

 フラトは顔を上げ、周囲を見回す。

 何もない、だだっ広いだけになった空間。

 一応、これまで通りなら次の階層、次のに移動する為の、何かしらの装置が出てきたりするはずなのだが――

「いやいや、次なんてのはありませんよ、少年」

「っ!」

 ばっ、とフラトは勢いよく振り向きながら腰を浮かせ、臨戦態勢を取るが、しかし。

「…………?」

 何も、いなかった。

 確かに背後から声が聞こえたはずなのだが…………。

「こちらですよこちら」

「え…………」

 フラトが足下に視線を落とすと――。

 ちんまくて、真っ黒で、人型をしたがそこにいた。

 身体に凹凸はなく、顔すらなく、妙に頭部が大きくて、胴体はずんぐり。手足は小さく、かろうじて『人型』ではあるものの、どちらかと言えば怪物感の方が強い。

「私です私」

 ソレの、頭に当たる部分がばっくりと開いて、声に連動して動く。

 一応そこが口、ということなのだろうか。

「…………あ」

 何が何やら、フラトが困惑しながら様子を見ていると、蜘蛛が頭上から飛び降りて、前足でソレを小突いた。

「いや、ちょっと、あの…………痛いので止めていただけませんかね」

「痛いのか…………」

 蜘蛛は小突くのを止めない。

「まあなにはともあれ、でございます。何はともあれ、ここまでしておいて『次』なんて、無粋なものは用意しておりませんとも」

「そう、なのか?」

 警戒は解かずに聞くものの。

 蜘蛛がしゅる、と糸を吐き出してソレの足を縛り、逆さに宙吊りにするので、警戒している事が妙に馬鹿らしく思えてくる。

 一応まだ真剣な場面なのだから、ふざけるのはやめてほしい。

 完全に遊び始めてるだろ、それ。

「そこの少女との賭けもございますしねえ。出口へ案内すると約束致しましたから。違えたりは致しませんとも」

 顔なんてものはないのに。

 頭部が、声に連動してぱかぱか開くだけなのに、何故か微笑んでいるのがわかった。

「それじゃあ――出口を出してくれるってことでいいのか?」

「ええ、賭けました通り、ご用意致しましょう」



「あちらでございます」

 ちっちゃいソレが、ちんまい腕を逆さのまま動かして示した先。

 壁に、いつの間にか扉が現れていた。

 果たして――罠だろうか。

 一瞬考えたフラトだったが、すぐにその思考は振り払った。

 仮に、今から戦わなきゃ死ぬような状況に放り込まれたとして、フラトは、まあ、右腕は使い物にならないが、それでも戦えないことはない。

 だが、意識を失ってしまっている他の三人には無理だ。

 しかも、一度は戦ったこの老紳士だったちんまい何かが、フラトの実力、戦闘方法を理解した上で、ここから更に何か仕掛けてくるというのであれば、もう勝ち目などあるまい。

 単純に、物量で押されただけでも、三人を庇いながら立ち回ることだって難しいだろうし。

 なまじ戦えてしまう分だけ、地獄を見る羽目になりかねない。

 ということで――フラトは、エンカと老紳士の『賭け』の約束を信用することにした。

「よいしょ」

 まだ動く左腕を、倒れたエンカの身体に回して抱え起こそうと試みてみるが、

「っとと…………くそ」

 どうにも上手くいかない。

 身体を動かすたびに起こる小さな衝撃が、いちいち右腕の方で激痛を起こしてうざったいったらない。

 疲れてるのか何なのか、ちょっと意識飛びそうになるし。

「ああ、御無理はなさらず。ここは私が――」

 ちっちゃいソレが、指すらない腕の先をぺちぺちぺちと叩き合わせると、フラト達の周囲で、ぞぞぞぞ、と床に黒い染みが広がり、人型の影が起き上がった。

 全部で三体。

 ちんまいソレとは違い、戦闘時に現れた、フラトよりも一回り程体格の大きなあの『影』である。

 それらの影がとても丁寧に、丁寧に、エンカ、ナナメ、トウロウの三人を抱え上げ、移動を始めた。

「では行きましょう。ああ、ご心配なく。最早私自身に戦闘するだけの力が残っていないように、生み出したアレらも、戦闘なんて耐えられるような身体はしておりませんから。ああして、何かを運んで移動するだけがせいぜいの、ハリボテでございますよ」

 なんて言い、

「ではすみませんが、あちらの扉へ移動願えますかな?」

 ソレが自分を逆さ吊りにする蜘蛛に丁寧に語り掛けると、

「おや? お? お? おー……………………おぇ」

 蜘蛛は、わざとなのかどうかは知らないが、ぶらぶらとソレを左右に大きく揺らしながら、扉の方へ移動を開始した。

 ぞろぞろと、割とゆったりとしたスピードで扉へ向けて歩く奇妙な集団――その先頭である、トウロウを抱えた影が扉へ近付くと、扉は自動で開いた。

 一人ずつ、というか一体ずつ、と言うべきか…………ともかく一列になってその先に進むと、

「ここは…………部屋?」

 中央に大き目の丸テーブルと、それを囲うようにいくつかの猫足の椅子。

 部屋の端には簡易キッチン、ソファ、冷蔵庫、などなどが取り揃えられた、こんな物騒な場所には似つかわしくない、シンプルだが小洒落た生活空間となっていた。

「もう一つ先へ行きましょう」

 ソレの指示で一行は足を止めることなく、部屋の中央を横切るような形で反対側の扉へと向かい、また自動で開いた扉を潜る。

 すると。

 隣もまた部屋となっており、複数のベッドが用意されていた。

「こちらに寝かせましょう」

 ソレが言うと、三人を抱えていた影がゆっくりとベッドにそれぞれを寝かせていく。

 影には指なんかないのに、器用に枕の位置を調整したり、しっかりと掛け布団まで掛けたりしていて、戦闘時はフラトを囲んで大爆発まで起こしたくせに、対照的に過ぎるその優しさにフラトの表情がちょっと歪む。

 こっちは、暫く真っ暗で狭い場所にトラウマを抱えそうだというのに。

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