第四十七話

 やばっ。

 そう思うが、足から、全身から、力が勝手に抜けていく。

 崩れ落ちそうになる身体が、止められない。

 いや――もう、それならそれでいい。

 膝を突こうと、このまま床に倒れ伏してしまおうと、魔力壁の展開だけは止めてやらない。

 なんなら、立たなくて言い分、少しでも多く魔力壁の展開に力を回せるじゃないか、と。

 そんな風に、ある種、開き直ろうとしたところに。

「任せろっ」

 背後からフラトの声がして、

「っ!」

 身体が何かに衝突し、崩れ落ちそうなところを、支えられた。

「くっ…………あ、あああああっ!」

 最後の魔力壁が割られ、黒球が眼前に迫る中――間一髪。

 崩れ掛けた不安定な体勢のまま、背後のフラトに体重を預けたまま、魔力壁を再展開して防いだ。

 すかさず更に、もう一枚。

「ああああああああっ!」

 更に、更に、もう一枚。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 三重展開。

 割られる度に再展開を繰り返し、三枚常時展開を維持しながら、僅かずつ魔力壁を押し返す。

 曲がってしまった右手を再び、真っ直ぐ、伸ばす。

「トバク」

 フラトの声。

 今さっき――魅入ってしまうような戦いを見せてくれて、何だか悔しい思いをさせてくれた仲間の声。

「何? 今ちょっと、忙しいん、だけどっ」

 息も絶え絶えに。

 疲れた声を絞り出す。

 そんなエンカに、しかし、フラトは調子を変えず、何の気もない風に、問い掛けてきた。

「任せてもいいか?」

 と。

「さっきも言ったでしょ、任せてって」

「じゃあさ――」

「何?」

「頼ってもいいか?」

「っ!」

 だん、とエンカは抜けてしまった力を籠め直すように、力強く床を踏み叩いた。

 壮絶な笑顔がエンカの顔に戻る。

 フラトに預けていた体重を、しっかりと自分の脚に乗せる。

 まだまだ――爆撃の勢いは増している。

 衰える気配はない。

 頭の中で、元々天井に浮いていた黒球はどれくらいの大きさだったろうかと、思い出してみる。

 あの黒球が、小さな黒球を分裂するように生み出し、降り注ぐように落としてきている。

 なら、その体積分持ちこたえれば、終わるのだろうか。

 爆炎のせいで、天井付近に浮いた黒球がその大きさを変化させているのかどうかもわからない。

 散々受け止めた分――比例して、上空の黒球は小さくなっているだろうか。

 終わりの見えない焦燥感。もどかしさ。

 耐え抜く、というのはどうにも自分の性には合っていないな、と思う。

 あーあ。

 矢張り心に残るのは、悔しいな、の一言だった。

 自分が繰り出せる必殺の一撃――一歩の踏み込みにほとんどの力を極振りし、刀身を、切っ先を、高密度に圧縮した魔力で伸ばす超突進型の突きは、まんまと対応されてしまった。

 だから、ナナメと相談して別の攻撃の手を模索してはみたものの、何も良案は浮かばなかった。

 いや――この場面で、この状況で、『良案』程度じゃあ駄目なのだろうけれど。

 結局、自分に出来ることは、口八丁、舌先三寸の安い挑発で相手を乗せ、こうして全力で相手の攻撃を『受ける』ことだけ。

 …………悔しい。

 でも。

「じゃあ、頼んだぞ」

「うん」

 すんごい悔しいし、割としんどいけれど。

 結構きついけど。

 でも――楽しいな、なんてエンカは思ってしまうのだった。

 どんな形であれ、こうして全力を出せるのが。

 自分の中にあるもの全てを懸けて、それを絞り尽くして、命のやり取りをするひりひり感が。

 どうしようもなく楽しい。

 それに――初めて知った。

 仲間の声があるだけで、支えがあるだけで、こんなひっ迫した状況なのに、信じられないくらい励みになるのだと。

 思い出す。

 先程フラトが老紳士に向かって行くとき、エンカの言葉を聞いて何やら嬉しそうにしていた顔を。

 大袈裟だなあ、なんて思ったけれど。

 ああ。

 これは。

 うん――嬉しいな。

「っ!」

 だん、ともう一度床を踏みしめ、フラトに預けていた体重を完全に離した。

 自分の両足で、しっかりと立つ。

 真っ直ぐに右手を伸ばす。

 それからエンカは――心底楽しそうな、嬉しそうな。

 壮絶な笑みを浮かべた顔を、上げて言った。

「私に、任せてよ!」

 瞬間、エンカの前に五枚の魔力壁が展開された。

 三枚が同時に突破され――四枚目にヒビが入る。

 しかしすぐに、複数枚の同時再展開。

 再展開。

 再展開。

 再展開。

「く…………そっ、がっ!」

 気力は十分。

 もう脚は、膝は折れない。

 心は折れない。

 なのに。

 だというのに。

 どうしても――魔力が。

 エンカの膨大な魔力量をもってしても、有限なのだ。

 使い続ければいつかは尽きる。

 目が霞む。

 意識が――意識が、ぶつ切りになる。



「…………」

 エンカの様子を見ているフラトは、すっ、と懐にしまった瓶に手を伸ばすが、それを出せずにいた。

 多分――効果がないのだ。

 肉体の再生には即効性がある。

 しかし、その内にある力――魔力は多分回復させないのだ、この霊薬だか秘薬は。

 いや、失ってぽっかりと空いてしまったそこに、何かしら代わりのものは補充するが、それは純粋な本人の力ではない。

 馴染むまでに時間が掛かる。掛かり過ぎる。

 即効性がないのであれば、今この場ではなんの意味もないのと一緒だ。

 ちょっと開いてしまった傷くらい治すだろうが、今エンカが欲しているのは確実にそれではない。

「っ…………」

 何か、何か。

 何かないのか、と取れる選択肢全てを考慮するフラトの脇を、すっ、と通り過ぎた人影があった。

「っ!」

「トバクさん、やれます」

 語気強くそう言ってエンカの隣に並んだのは、ナナメだった。

「待ってた」

 疲れ切った声でそう言ったエンカは、ナナメに左手を伸ばし、ナナメがその手を両手で包むように握った。

「いきます」

「っ!」

 途端に、変化があった。

 どういう原理なのか。

 何故なのかは知らないが、エンカの作り出す魔力壁の輝きが増した。

 魔力の密度が上がったとでも言うか、それは目に見えて、見違える変化だった。

 赤色に黄金色が混じり――神秘的な光を放つ。

 それに、見た目だけじゃなく、一度に三枚割られていた魔力壁が、今では同時に二枚までに抑えられていて、明らかに強度も上がっている。

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