第十九話

 何か、何か。

 何か出来ることはないのかとフラトも思考をフル回転させていた。

 エンカの退場が避けられないのであれば、入れ替わるように自分が円内に這入れば状況はリセットされず一時しのぎになるか?

 わからない…………が、そんな甘い話もないような気はする。

 けれどぐだぐだと考えている余裕なんてない。たとえ僅かでもその可能性があるのなら、試さないままにリセットされるよりよっぽどましだろう。

 実際に思考していたのはコンマ数秒。

 フラトが円内に足を踏み入れようとしたとき。

「っ!?」

 エンカが目を見開いて、驚いたような表情を見せた。

 刃と刃がぶつかる大きな金属音が轟いたが、エンカの身体は吹き飛ばされていない。どころか、彼女の剣は甲冑の剣を受けてさえいなかった。

 なのに――甲冑の剣はエンカの手前で勢いを殺され止まっている。

 受け止められている。

 割り込んできたトウロウによって。

「くっそ…………重っ。あんたこんなの平気な顔で何発も受けてたのかよ」

 震える手、震える剣、震える声。

 苦しそうに歪むトウロウの表情。

「でもまあ、これで、一応同行させてもらった意味ってのは、あったことになるんかね」

 トウロウは自身の剣にほんのり緑色を宿した光を纏わせながら、苦し気に、しかし皮肉っぽく口角を上げて言った。

「んぎぎっ! ぐっ!」

 歯を食いしばり、数秒耐えて見せたトウロウだったが、

「…………これ、もう無理! 崩城! 俺を踏んで跳べ、がっ」

 言った直後――トウロウが押し切られ後ろに吹き飛ばされるのと、エンカがトウロウの肩を掴んで自身の身体を浮かし、背中を蹴って跳び上がったのは同時だった。

 というか、エンカがトウロウの背中を蹴って体勢が崩れたから、踏ん張りがきかなくなって吹き飛ばされたというところだろう。

「ザラメ!」

 吹き飛ばされ地面を転がってきたトウロウに、よろよろと立ち上がったナナメが駆け寄る。

「いててててててて、あー……………………死ぬかと思ったわ」

 当の本人は床にぶつけた腰を痛そうに擦りながら疲れ切った顔をしていたが、見たところ出血もなく、手や足が変な方向にひん曲がっているということもない。

 それだけを一瞬で確認してフラトはすぐにエンカに視線を戻した。

 トウロウのおかげで致命的な一撃を躱したエンカは、迫りくる二撃目を紙一重で躱し、数歩で甲冑の背後に回って、今度こそ。

 九本目の腕を斬り飛ばした。

 宙に舞う腕と剣が光の粒子となって消える。

 残り――腕一本となった甲冑は、間髪入れずに至近距離にいるエンカに対して高速の連続攻撃を繰り出した。

 エンカもここは慎重にと思っているのか、無理にその距離に留まらず一旦距離を開けたのだが、

「あ?」

 再度踏み込もうと、前傾姿勢になったままでエンカは動きを止め、不可解そうな声を上げた。

「…………」

 甲冑が攻撃してこない。

 その手を止めている。

 エンカに対し、大袈裟に芝居がかったようにゆっくりと半身になり、僅かに足を開き、腰を落とし。

 そこから更に上半身を捻り、残った一本の腕を絞るように後方に伸ばした。

 そんな甲冑の構えを見て、

「ははっ、はっ、はははっ!」

 トバクがどこか疲れを滲ませながらも、嬉しそうな笑い声を上げた。

 楽しそうに、可笑しそうに。

 ひとしきり笑いながら、彼女はわざわざ自分から甲冑の間合いで足を止め、剣を構え、腰を落として、身を捻った。

「いいねいいね。そういうの、凄い好き」

 言うなりエンカの剣に纏わり付いていた赤い光が更に濃く、激しく、膨らんだ。

「…………」

 張り詰めた空気。静寂。

 見ているだけのフラトでさえ鼓動は早まり、心臓がちくちくと刺されるような痛みを覚える。

 吐きそうなほどの緊張感。

 果たして――そんな中で。

 睨み合いを破り最初に動いたのは――甲冑だった。

 捩じった上半身を戻すように逆に捻り、引き付けるように腕が振られ、刃が空気を切り裂きながらエンカに迫る。

 そんなものを眼前にして、しかしエンカはその場から微動だにしなかった。

 彼女はその剣を避けるでも捌くでもなく――真正面から受け止めた。

 ぎぢんっ、と硬質な音が響き、軽い衝撃波が巻き起こる。

「くっ!」

 ざりざりざり、と勢いを受け止めきれなかったエンカの足が床を擦りながら後ろに下がっていく。

「ぐっ…………がぁあっ!」

 唸り、歯を食いしばる。

 勢いが弱まり、足が止まった。

「こん、にゃろう…………!」

 ぐぐ、と渾身の力でエンカが甲冑の剣を僅かに押し返し――

「お、おあああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 吠えた。

 踏ん張って、踏みしめて、踏み込んで――一歩、エンカの足が前に出る。

 そして。

「落、ち、ろおおおおああああああああああああああっ!」

 弾くでもなく、逸らすでもなく、エンカの剣が甲冑の剣を力尽くで床に捻じ伏せた。

「っ!」

 間髪入れずにエンカは甲冑の剣を踏んで跳び越え、懐へ。

 自らの間合いへ。

 もう止まる理由はない。

 エンカは自身の攻撃に全ての意識を向ける。

 最後の一振り。

 その全力、全霊を持って、最後の一本をぶった切る。

 刀身が焼けたように真っ赤に染まった剣を片手に、エンカは甲冑の膝を蹴って更に跳び上がる。

 あとは――勢いに任せて剣を振り上げ、振り下ろす。

 たったそれだけだったのに。

「!?」

 甘くはなかった。

 急にエンカの目の前に甲冑の頭が現れたように見えた。

「っ…………」

 振り上げようとしていた剣を咄嗟に途中で止め、甲冑の頭突きを受けてエンカの身体が後方に飛ぶ。

 折角詰めた間合いが、戻された。

 くるりと空中で一回転して、着地。

 まだ甲冑は床に落とされた剣を引ききってはいない。

 ならこの隙を見逃す手はない。まだ取り戻せる、と――エンカは着地直後に力強く床を蹴り、再度駈け出そうとしたが。

「!?」

 かくん、と。

 二歩目で不自然にエンカの腰が落ち、僅かにふらついたように軸がぶれた。

 エンカが歯を食いしばり、物凄い形相で甲冑を睨みつける。

 もう――ダメージが無視できないレベルで積み重なっているのだ。

 どれだけ楽しんでいても、嬉しがっていても。

 気持ちに身体が付いて来ない。

 誤魔化しきれなくなった。

 一番響いたのは矢張り、甲冑の全力の一撃をわざわざ威力が最大に出るだろう甲冑の間合いで、正面から受けたあれだろう。

 ただこの仕掛けを解くことだけを考えるなら、受ける必要のない一撃。

 あれだけ大きな予備動作があれば、どれだけ早かろうが、エンカの身体能力と魔術の補助で避けるのは難しくなかった筈だ。

 けれどエンカはそうしなかった。

 これまでシステム的だった甲冑が、突如として見せた(ように見えた)渾身の一撃の誘いに乗った。

 どうせやるならとことん全力で、とかなんとか考えてわざと甲冑の一撃を受けたのだろう。

 そんな全力を捻じ伏せた上で倒したい。

 鮮烈に、苛烈に、命を懸けて全霊で生きたいエンカにとってそれは当然のこと。自分も全力を出したいし、相手にも全力を出させたい。

 しかし同様に、それだけやれば身体にガタがくるのも必然だった。

 だから――フラトは走る。

 ここで何もできなくて何の為に一緒にいるんだ、と自分を叱咤しながら。何せフラトはまだ遺跡に這入って何の役にも立っていない――と自分では思っている。

 エンカにとってフラトは『いれば何か面白いことが起きそう、起こしてくれそう』というよくわからない要員だが、それだって当のエンカがいなきゃ意味がない。

 トウロウを見習って少しくらいは役に立てよ、と全力で床を蹴って足を跳ね上げる。

 最早、甲冑はエンカによって地面に捻じ伏せられた剣を引き戻している。

 無手のフラトにはあんな長大な剣を防ぐ術は、どうやったってない。

 さっきトウロウがしてみせたような真似は、出来ない。

 それでも、今更こんなところで――

「無駄にさせるか」

 呟くフラトの後方から、

「はい」

 と力の籠ったナナメの声が聞こえたと認識したときには、彼女がフラトの隣を弾丸のような速さで追い抜き、エンカに向かって真っ直ぐに突っ込んで行くところだった。

 後方ではトウロウが床に座り込んだまま手を突き出し、気流渦巻く移動用の足場を展開させているのがちらりと見えた。

 甲冑は既に剣を振り上げている。

 エンカはまだその場から動けていない。

 そんなエンカの背後に迫ったナナメが左手を突き出し、そこに気流の塊を生み出した。

 甲冑が剣を振り下ろすのと同時――ナナメが突き出した左手がエンカの背中に触れる。

 と。

「っ!?」

 エンカが射出された。

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