第二十二話
フラトが食堂に戻ると、長机にこれでもかというほど野菜が並べられており、エンカがそれらを端から確認しているところだった。
「カイガイさん、物置部屋への運び込み、終わりました」
「ああ、ありがとうね」
フラトが報告すると、クビキから素直な感謝が返ってきた。
珍しい、というより今はエンカの対応に意識が回っていて、こっちはおざなりに扱われたと見るべきだろう。その証拠に、クビキがフラトの方へ視線を向けたのも一瞬で、既に彼女の目はエンカの方へ再び向けられている。
「んでトバクちゃん、これで今回の分全部だけど、問題なさそう?」
「うん。大丈夫……………………だね。問題なし。ありがとー」
そうは言うものの、エンカも別に一つ一つを手に取って細かく確認したわけではなく、どの野菜がどの程度あるのかを見ている程度で、まあそこら辺は『お決まり』のやり取りなのだろう。
常連とも言っていたし、今更細かく確認が必要な仲でもないということ。
エンカが亜空間収納を起動して片っ端から野菜を突っ込んでいく。
「それじゃあこれ、お代ね」
そう言ってエンカは、クビキにじゃらじゃらと硬貨を差し出した。
「はいはい…………ん? いつもより多くないかしら? 野菜の量、多くしたつもりはなかったけど、変わってた?」
「ううん、野菜はいつも通りだったよ。だからそっちは、必要経費ってやつ」
エンカが首を横に振りつつ、立てた親指でフラトのことを指差した。
「宿泊代は必要ないってここの学長のお墨付きだし、むしろ宿代以上に働いてもらってるくらいなんだけど」
ああ、そういう認識はあったのか――と、傍目に思うフラト。クビキ的には寧ろ、お金が掛からないからこそ、出来る限り使ってやろうとでも思っていたのだろう。
まあフラトとしても、十分にご飯を食べられて、シャワーも毎日浴びられて、部屋も貸してもらい、更にそこに布団まで付いてきたのだから、労働の多さに文句を言うつもりはない。
更に言えば、洗濯だってさせてもらったし、外に出て娯楽を楽しむためのお金もないのだから、良い暇潰しになった、くらいの思いだったりもするのだが。
「だからだよ」
そんなフラトの思いはお構いなしに、エンカとクビキの会話は進んでいく。
「どういうことかしら?」
「そんな有用な労働力を、連れ出すからそのお代ってこと」
「ああ、そゆこと」
何に納得しているのかフラトには訳がわからなかったが、クビキがエンカからのお金を受け取ったことで一応成立はしたらしい。
「さて、それじゃあ行こうかホウツキ」
振り返ったエンカに言われた。
「どこに?」
「どこにって王都だけど」
「何で?」
「どうせ行く当てないんでしょ?」
「どうせって言うな」
「どうせお金ないんでしょ?」
「だからどうせって言うなよ」
「どうせここを出たら王都に行くつもりだったんでしょ?」
「…………ぐ」
勢いで言い返していたフラトだったが、結局図星を突かれて言葉に詰まり、出かけた言葉を飲み込んで観念したように言う。
「そうだよ。そうです。その通りですよ」
ふふん、とエンカが勝ち誇った顔を見せてきて腹が立つ。
腹が立つのだが――しかし。
良い頃合いと言えば良い頃合いなのかもしれないとも、改めて思うのだった。
初日に街の様子はあらかた見たし、ここに数日お邪魔するつもりだったのも、寝床を貸してもらうお礼として一日だけの手伝いではちょっと足りないかな、と思ったからである。
予想外に三食十分な食事と、シャワーまで借りられたが、その分くらいは手伝いができたのではないだろうか。
予想外というなら――何より、イチジク・ヨリギとの出会いと白紙の本だった。
流れで色々けし掛けてしまったので、流石に中途半端に放置というわけにはいかなかったし、フラト自身の好奇心を抑えられなかったというのもあるが、それもひと段落した。
だからまあ。
ここを去るタイミングとしては、これ以上ないくらい丁度いいのかもしれない。
「そしたらカイガイさん、最後に買い出しくらいは手伝いましょうか?」
「いや、それだと間に合わないんじゃないかしら?」
「間に合わない…………ってなんですか?」
「でしょ、トバクちゃん。いつも通りならここまで商人の護衛を引き受けて来たんじゃないの?」
フラトの質問には直接答えず、クビキはエンカに話を振った。
「ここまでの護衛任務は基本的に帰りもセットでしょ?」
「まあねー。でも買い出しくらいなら全然待てるよ。よく護衛する人だから、頼めばそこら辺は融通利かしてくれるけど」
「いや、いいわ。問題ないもの。この数日で日持ちするのは揃えられたから、しばらくは買い出しも楽なものよ。引き留める理由はないわ」
「了解。それじゃあ、荷物用意してきてよホウツキ。ってもあのバッグ一つくらいだろうけど」
「まあ、それはな。ただ…………」
「ん? どしたの? 何かやり残しとかあったりする?」
「いや…………んー、まあいいか」
また来れないわけじゃないしな、とフラトは一瞬悩んだことを振り払った。きっと今は大事な授業の途中だろうし。
「そんじゃ、私は先に玄関に――」
とエンカが歩き出そうとしたところで、
「あ、ちょっと待ってトバクちゃん」
クビキが呼び止めてから厨房へ行き、しばらくして戻ってきたその手には更に追加の野菜を抱えていた。
「これ、そいつの分よ。余計にお金をもらったから、とかそういうわけじゃなくて、色々私が期待していた以上に働いてもらったから、そのお礼ってことで。一緒に行動するならトバクちゃんが持って行ってくれないかしら」
「うい」
エンカは再び亜空間収納を起動して中に野菜を放り込んでいった。
「んじゃ、私先に玄関で待ってるから」
「はいよ。すぐ行くわ」
エンカを見送ってからフラトも食堂を出て、貸してもらっている部屋に引き返し、少ない荷物をまとめ、簡単に掃除をした。
「布団は畳んだし、ゴミとかは…………落ちてなさそうかな」
蜘蛛が投げまくった糸玉も落ちていない。
フラトは自分のバッグを引っ掴んで肩に掛け、部屋から出て施錠し、玄関へと向かった。
「カイガイさん、これ」
と、玄関まで来ていたクビキに全然使わなかった部屋の鍵を返す。
結局、イチジクが這入ってくるかもしれないことを考えて部屋の施錠はしなかった。
「泊めて下さってありがとうございました。本当に助かりました」
言ってフラトは頭を下げた。
「別に、そもそも私が連れてきたんだからあんたがお礼を言うようなことじゃないわよ。貸した部屋だって布団しか用意してなかったんだし」
「いやいや十分でした。布団のおかげで気持よく寝られましたし」
謙遜やお世辞の類ではなく、この町までの道中、野宿が続いた為余計に寝袋よりも布団の寝心地の良さが幸せだったのだ。
「それから――」
とフラトは改まってクビキを真っ直ぐに見ながら、もう一度、深々と頭を下げた。
「小さかった僕を育てて下さって、本当にありがとうございました」
「何よ、改まって…………」
むず痒そうにそう言うクビキの言葉が聞こえた。
確かにフラトの中ではこの十年間が鮮烈な記憶として残り、軸となっている。
育ての親は間違いなく師匠だ。
けれどそれ以前に――捨てられたのか何なのかは知らないが、フラトを拾って育ててくれた存在がなければ、師匠の下での十年間もなかった。
こうして今、生きてはいない。
感謝したい、と思ったのだ。
少しだけ、イチジクの将来に対する真摯な思いに感化された部分もあるだろう。
「記憶、戻ってないんでしょ?」
「ええ、まあ。記憶は確かに戻ってませんけど、それでも、こうして今でも元気でいられるのは、小さかった頃にカイガイさん達に育ててもらったおかげなのは間違いないですから。寧ろ記憶がないことで、改めて感謝したくなったと言いますか」
ちゃんと言っておきたかったんです、とフラト。
「それにここでの数日間も思いがけなく楽しいものになりましたし、野菜までもらっちゃって、ありがとうございます」
「ま、何にせよあんたが今を楽しんでるならそれでいいわ」
それだけでね、とクビキが少し呆れたような顔で、けれど優しく笑って言ってくれた。
「それにこっちこそ、買い出しから清掃、物置部屋の整理と諸々の修理、助かったわ」
「学長にもお礼が言いたかったですけど」
「あれのことは気にしなくていいわよ」
とクビキはぞんざいに手を振った。
「モノグサジジイだから、どうせ呼んだって出てこないわ」
「そうですか」
思わず苦笑する。
仮にも学長に対して凄い言いようである。
十年を超える付き合いともなればそれくらいフランクな間柄になるのだろうか。
「それじゃあ――」
とフラトが靴を履こうとしたところで、ばたばたと忙しない足音が近付いてきた。
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