第十四話

 花瓶台の魔術陣、本の底の魔術陣、天井の魔術陣。

 淡く立ち上った光でその全てが同期した直後――がこん、と。

 魔術陣が描かれていた天井の部分が小さく開き、そこから何かが落ちてきて、

「うわっと」

 ほぼその真下にいて、立ち昇った光を感動の面持ちで見上げていたイチジクが、慌てたように手を出し、受け取ることに成功していた。

 因みに、そのときには既に開いた天井の穴は、どのよな仕掛けなのか、僅かな隙間も見せずにぴったりと、元に戻っていた。

 小さな――黒い箱だった。

 イチジクは、手の上に乗ったその箱を、まるで扱いの困った小動物でも乗せているかのように丁寧に、動きはしないのに慎重に、くるっと身体を反転させてフラトにも見せた。

「…………」

「…………」

 何の変哲もない、ただの黒い箱を二人でまじまじと見下ろすこと十数秒。

「凄い」

 とイチジクが、ぽつりと呟きを漏らすように言った。

「ん?」

「凄い、凄い、凄い!」

 段々と声量を上げ、落としていた視線と一緒に顔も上げて、イチジクは濡れたようにきらめいた瞳でフラトを見上げてきた。

「ねえ! 凄いよ師匠!」

「誰が師匠だ。っていうかヨリギ、そろそろその脇に挟んだ花瓶のマット戻してくれないか」

「え、あ、うんごめんごめん師匠」

「だから誰が師匠だ」

 イチジクが紙束をどかし、マットを元通りに敷いた上にフラトが抱えていた花瓶を丁寧に戻しながら突っ込む。

「師匠があの本調べようって言ってくれたから、調べたら本当になんか出てきたよ!」

 凄い、凄い、ともはや小躍りでもし出しそうな浮かれた様子で、イチジクは無邪気な声を上げる。

 きゃっきゃとしているその様は、考えてみれば多分フラトが見てきた中で一番、年相応の無邪気さが出ていて、それは大変可愛らしいが、人の話を全く聞いていないのはいかがなものか。

 まあ元から呼び名でからかってくるような質のある少女ではあったので、急なこの呼び方も、これまであまり関われなかったであろう魔術を間近に見て舞い上がっているからこそで、時間を置けば落ち着くだろう――と棚上げにして、フラトはイチジクに冷静に言う。

「喜ぶのはそれ、開けてからにしておけよ。お前が危惧していた通りだったらその箱の中何も入っていないかもしれないぞ」

「うわ、喜んでる子供を相手にそんなこと言うんだ。侍女ー最低ー」

「勝手に性別を変えんな。あとお前に仕えた覚えもねえよ」

 音を強引に合わせる為に最後の音を伸ばすことで、どうにも間抜けな響きになってしまっているが、よくもまあすぐにそういうものを思い付くものだなあとフラトは感心した。

 だからって受け入れる気も、許す気もないが。

「ぬか喜びしないようにって忠告だよ。何か入ってたとしても、ヨリギが喜べるものかどうかわからないだろ」

「もー。じゃあ開けるよ?」

「どうぞ」

 少しばかり緊張した面持ちで、手付きで、イチジクは慎重に黒い小箱を、ぱかり、と開いた。

 中には――。

「指輪だ」

 透明な球体がはめ込まれた銀色の指輪が一つ、収まっていた。

 それを丁寧につまんで取り出し、矯めつ眇めつ。

「ねえ」

 とイチジクがそれから視線を外し、フラトの方へ指輪を差し出してきた。

「ん?」

「ここ」

 と指輪の裏側を指すので、フラトが指輪に顔を近付けて見てみると――

「魔術文字か」

「だよね、だよね」

 急かすように、同意を求めるように言ってくるイチジクの興奮加減を考えると、そも『魔術』に関してはイチジク以上に門外漢であるフラトは断言するのを躊躇ったが、見る限り――エンカにも見せてもらった火を生み出す魔具の裏側にあった魔術文字や、遺跡と思わしき場所の周辺に結界を張った際に彼女が地面に刻んでいた魔術陣の記憶を引っ張り出すに、イチジクが手にしている指輪の裏にあるそれも、魔術文字で間違っていないと思う。

 つまり、その指輪は――

「魔具ってことか」

「だよね、だよね! 魔具だよね、これ! うわああああああああああ! 魔具なんて初めて触ったよ師匠!」

「まだ言うか、貴様」

 一応突っ込むが、やはり聞く耳持たず。細めた目での睨みつけもするっとスルーされてしまった。

 さて、どうこの少女を一旦落ち着けようかと思っている、そんな折だった。

「へえ、仕掛け解いたんだ」



 振り向くと、食堂と厨房の丁度境、そこに湯気の立つカップを手に、壁に寄り掛かってフラト達の方を見つめているクビキがいた。

「…………この仕掛けのこと知ってたみたいな口振りですね」

 喜びに浸っていたイチジクはびっくりして固まっているようだが、咄嗟に手を後ろに回して指輪を隠している。まあその指輪を掲げるように持って今の今まで小躍りをぶちかましていたので今更あまり意味はないだろう。

「みたい、っていうか知ってたわよ。ここの再建のときに女王様が、魔術に興味のある子供の為にサプライズを、って仰ってね。職員は知らされてるわ」

「へえ」

 なんてことないような顔で相槌を打ってはいるが、いきなり出てきた女王様という言葉にフラトは少し驚いた。

 王都の介入を得ての町全体の再建だとは聞いていたし、この町の『売り』を口にした今となっては、その影響の強さが理解できた今となっては、再建に王都からの干渉があったというのは納得もするし、事が食文化の発展とあれば女王様が名前だけだろうと出てくるのに驚きはないが、まさか、いち施設の内装にまで口を出している、干渉していると聞いては驚かずにはいられなかった。

 しかも、粋な計らい――である。

「だから、それは見つけた人がもらって大丈夫よ」

「…………やった」

 クビキがイチジクの方へ視線を移して言うと、小さく、けれど確かにイチジクは気色ばんだ声を上げた。

 クビキはそんなイチジクの様子に微笑み、カップを長机に置いてから彼女に近付き、優しく頭の上に手を置いた。

「そんなに嬉しそうにされると、こっちとしても嬉しい反面、ちょっと申し訳なさも感じるわね」

「申し訳ないって何ですか?」

 フラトが訊く。

「その魔具ね、球体の部分が光るだけなのよ。魔力の量に応じて光量が変化する、それだけのものなの。一応王都の、それも女王様からのプレゼントだから滅多なことじゃ壊れないけど…………ってちょっとイチジク」

 クビキがわざわざフラトの方を向いて説明してくれている最中だった。

 それを自分の物にしていいと、クビキから公式に伝えられたからか、これまでおっかなびっくり、お店の商品を壊れないように丁寧に扱うような手付きだったのが、イチジクは早速その指輪を自分の指に嵌めて、球体部分を光らせていた。

 魔具を起動させ、魔術を発動させていた。

 クビキが目を細め、厳しい表情でイチジクを見る。

「あんた、魔力流せるの?」

 イチジクに対して慈しむようだったクビキの声音が、幾分低くなり、威圧的なものを含んだようになった言葉を聞いて、嬉しそうに指輪を見ていたイチジクが、はっとして慌てて両手を背中側に回した。目を見開いて口を半開きにし、冷や汗でも噴き出してそうな表情である。

「あんたのその両手の指先の怪我…………料理中のものにしては流石に酷いと思ってたけど、そういうことなのね」

 イチジクは何も言わず、口をつぐみ、気まずそうに視線を床に落とした。

 その指先の傷痕を直接見たフラトからしても、彼女が主張するように『料理中の怪我』と見るにはおかしなものだったが、だからって殊更言及はしていなかった。

 彼女が隠したいと思っていることを無理矢理暴けるような立場に、フラトはない。

「知らなかったってのは聞けないわよ」

「…………ごめんなさい」

 イチジクがか細く謝罪を漏らす。

「あのー、えっと、どういう状況ですか?」

 確かに怪我の原因を偽ってはいたが、それは果たしてそこまで叱責されるようなことなのかわからず、すっかり蚊帳の外になってしまったフラトが不思議そうに訊いた。

 言って、あれくらいの生傷、自分も今より小さいときは日常的に作っていたのになあなどと思いつつ。

「この子の両手の指先、これ上手く魔力を制御できなくて中で暴発した反動ダメージなのよ。こうなることがあるから、うちでは魔術の練習は基本的に禁止してるの。ったく…………幸いこの程度で済んでるけど、最悪、下手をすれば指先吹っ飛ぶわよ」

「はい…………ごめんなさい」

「しかも両手の指先をまんべんなくこんなに怪我して、あんた、相当やってるわね」

「…………」

 イチジクはずっと下を向いたままだ。

「指先が吹っ飛ぶってのは本当に有り得るんですか?」

「極端に言った最悪の場合は、だけどね。たまに生まれながらに魔力の保有量が多い子がいたりするから、そういう子がなんの指導もなしに魔力を放出しようとして失敗したら、吹っ飛ばないまでもただじゃ済まない可能性が高いわ」

「……………………じゃあ私、魔力少ないんだ」

 俯いたまま、僅かに上げた自分の指先を見つめ、イチジクが沈んだようにこぼした。この状況でそんなこと呟けるのであれば割合、彼女のメンタルは大丈夫そうである。

 なので、フラトはそんなイチジクから視線を外し、クビキを見て更に疑問を口にする。

「魔力の多寡には個人差があれ、そのせいで怪我の大小はあるのでしょうが、そんなのは未経験者故の代償といいますか、どんな人に教えてもらうにしても誰だって初めての試みには怪我が付き物だと思うのですが、なのに、それを理由に練習を禁止にしてるというのは?」

「何かあった場合、ここには対応できる人間がいないのよ。残念ながらね」

 それは申し訳ないと思っているわ、とクビキも少し声のトーンを落とした。

「回復の魔術を使える人なんてのはほんとに少なくてね、小さな町の、こういう施設ではどうしても用意してあげられないのよ。その上で誰も彼もが傷ばかり作っていたら、その治療費が膨大になっちゃって、施設の維持も出来なくなっちゃう可能性だってあるでしょ」

「…………その通りですね」

 世知辛いが、そればかりは道理がクビキにあり、同意せざるを得なかった。

 別にイチジクを庇ってやろうとかいう意気込みがあったわけでもなく、単に、ふと浮かんできた疑問を口にしただけではあったが、お金の話を出されてしまったら何も言えまい。

 もっと言えば、両親が自分の子供に教える分には仕事を継がせる上で必須だったり有用だったり、或いは身を護る術としてだったり――兎も角、自身の子供に対する投資としてある程度の費用は覚悟もできるだろうが、常に不特定多数の子供を抱える施設としては、どれだけこの町の『売り』の恩恵に便乗出来ているとしても厳しいものがあるだろう。

 将来を見据え、しっかりと独り立ちして生きていく為に――というイチジクのような気構え、心構えがあって手を出すならまだしも、なんとなくの興味本位で首を突っ込んで怪我ばかりされていたんじゃ、それこそ、たまったもんじゃない。

「そういうわけで、その魔具はあなたが持っていていいけれど、独り立ちして自分で魔術を使えるようになるか、自分の身に自分で責任を持てるようになってから使うようにしなさい」

「…………はい」

 それがルール。

 ここで生活する上での約束。

 歳に反して、見た目に反して、やたらとしっかりした将来を見据えた覚悟のようなものを少女の口から聞き、しかも、あれだけの怪我をするまでこっそりと自主練習していた気概を見せられたフラトとしてはなんともむず痒いジレンマではあったが、ぐっと堪え、飛び出してしまいそうな言葉を飲み込んだ。

 結果に責任を持てないフラトは徹頭徹尾部外者であり、そこにまで口を出す権利を持たない。

「すまんね」

 最後に、本当に申し訳なさそうに、クビキはイチジクの頭を撫でて言った。

 それから踵を返して、フラトの横を通り過ぎ様、

「仲良いんでしょ? フォローお願いするわ、師匠」

 なんてことをぬかしてカップを再び手に食堂から出て行ってしまった。

「なんて人だ…………」

 この空気を丸投げされた。

 こんな状況でフラトには掛ける言葉なんて思い付かないし、下手な慰めなんて、こうも自分が悪い事をしたと自覚している人間にできようはずもない。途中別のことで気落ちしている風でもあったが、それでも、これ以上追い詰めるような言葉を聞かせるべきではないだろう。

 だからまあ、フラトに言えることなんて――

「そんじゃ、部屋戻るか」

 それくらいしかなかった。

「…………」

 イチジクは何も言わなかったが、静かに頷いて、出入口に向かうフラトの後に付いてきた。

「失くすなよ」

「うん」

 小さく頷いてイチジクは食堂のはす向かい――一階と二階を繋ぐ階段に足を掛けてから、昇る前に一度振り返り、

「おやすみ、師匠」

 律儀にそう挨拶をして、ぱたぱたと階段を駆け上がっていった。

 存外、ひと眠りしたらある程度はけろっとしてそうだなと思いながら、

「…………ったく」

 フラトも伸びをしながら自室へと戻った。

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