第二章 まっさらな本と藍の少女

第一話

 エンカと別れてから約二日。

 フラトはひたすら山に沿って、道沿いに歩いていた。

 これだけ歩いてきて尚、恐らくだが、まだ半周もしていないのではないだろうか。

 エンカと一緒に下山してきた山道の、その反対側に続く先にも恐らく山の出入口があるはずなのだろうが、まだそれを見掛けていない。

 異様な規模感である。

 流石にいい加減変わり映えのしない風景にも飽きて来たなと思いつつ、延々と足を動かし続けてきたフラトの目に――ようやく。

 町が映った。

 山沿いの道からうんと離れたところにぼんやりと見えるそれは、正確に言えば、町ではなく壁である。

 壁というか――塀。

 しかしエンカから聞いた『約二日程の距離にある町』という情報を鑑みると、あの塀に囲まれた中に町があるのだろう。

 あってほしい。

 鬱蒼と茂る樹々の景色は別に嫌いではないし、なんなら落ち着くものではあるが、折角山を降りることになり、旅を始めた身としては変化を求めたいところ。



「止まって下さい」

 近付くにつれ門が見え、その前に立つ二人の門番が視界に入り、目の前まで来たところで片方の門番にそう言って止められた。

 男性で、三十代前半くらいだろうか。

「見ない顔ですね、この町には初めて?」

 門番の男が言う。

 朗らかな声音だが、雰囲気に柔らかさは感じない。

 何かあればすぐにでも剣に手を掛け臨戦態勢に入るような警戒心を感じるが、それはフラトがどうこうというよりは、門番としての仕事、なのだろう。まあそうじゃなくても、ここまで野宿を繰り返しずっと歩き続けてきて薄汚れているフラトが単純に不審だったという説も否定はできないが。

「いいえ、と言ったら信じてもらえます?」

「信じたいですね」

「…………」

「どうされましたか?」

「いえ、なんというか…………すみませんでした」

 フラトは謝った。

 謝罪を口にした。約二日間だけとはいえ『人とお喋りをしていない』という状況にどうしても心がかさついていたというか、ささくれ立っていたのを急に自覚して恥ずかしくなった。無意識ではあるが、初めての一人旅、それもこれまで全く知らなかった『魔術』なんてものが当たり前にあるらしい世界での一人旅に、少なからずストレスも感じていたのかもしれない。

 まあだからって相手を煽るような事を第一声で口にするのは、どうかと思うが。

 そこら辺は完全に師匠の影響である。

 考えてみれば――ストレスと言うなら、ここまでの道程、思い出したように、暇を潰すように蜘蛛から糸玉を顔に投げつけられ、一方的に悪戯をされ苛つかされたその反動もあるのかもしれない。

「見ない顔だ、なんて藪から棒に警告を突きつけれたのがどうにも沁みてしまって」

 すみませんでした、ともう一度謝る。

 かさついた心には、ささくれ立った心には、かなりの刺激だった。

 しかし、そんな風に挑むような、挑発するような様相から一転して申し訳なさそうに弁目にするフラトに対し、目の前の門番は面白がるように僅かに口を笑みの形に歪めた。

「ほぉう」

 と。

「警告ってのは?」

「え?」

「何をもって私の言葉を『警告』だ、なんて捉えたのですか?」

 あくまで字面では丁寧さを崩さず、けれど今度は門番の方こそが挑むような調子でフラトに訊いてきた。

「いや…………門番さんが『見ない顔』と言ったのは、逆に『見る顔』があるからこそなんだろうなあと」

「それで?」

「そう仮定すると、月に何度か、あるいは年に何度か同じ人が通っていて、そういう常連さんは憶えているから、身分を偽るような真似をしても無駄なんだと、暗にそう言っているのかと」

「どうでしょう。もしかしたら人の出入りが少ないから会話に飢えていた、とか、案外そんな程度のことかもしれませんよ」

「だとしたら、第一声の言葉はもっと違うものになっていたのではないでしょうか?」

 警戒はするにしても、もっと和やかに、表面上は受け入れる姿勢を見せるとか。悟られるかどうかは置いておくとしてそういう風に見せて話だけは盛り上げる、なんてことも出来ただろうし、会話に飢えていたと言うなら、そうするべきだったともフラトは思う。

「それに――外から人を入れるというのは、復興や発展には欠かせないことなんだと思います。お金を落としてもらって儲ける必要がある。これだけの高い塀や門、門番、それに魔獣が現れた際に必要となる武器、魔具、戦闘員。それらを手に入れたり、維持したりするのはお金が掛かるでしょうから。で、その為には人が来たくなるような魅力的な『何か』を置いて観光地化するのが手っ取り早い」

 ただ、とフラトは更に続ける。

「ただ――魅力的な『何か』はそれが利益に繋がるからこそ、それを不法に、不当に入手したい、あるいは消費したい、と考える悪い人が現れてもおかしくはないでしょうが、一目見て人を悪者かどうかなんて思考でも覗けない限り見破ることは不可能じゃないですか。だから門番さんは警告したんだと思いました、見ない顔だな、って」

「ふむ」

「何度も来ている人間とそうじゃない人間を町の人はちゃんとわかるぞって。新参者に信頼はない。だから、警戒して見ているぞ、悪さをすればすぐにわかるぞ、って。そういう意図があったんじゃないかと、思いまして…………」

「……………………くっ。くくくくく、あっはははははははははははははははははは」

 堪えるように肩を振るわせていた男が、噴き出し、盛大に笑い声を上げた。

「凄いな少年。そこまで考えていたのか。いやいや、頭が回るね、恐れ入ったよ」

「合ってました?」

「いいや」

「は?」

「俺は単に、無駄話の切っ掛けになれば、と思っただけだ。ほら、君が言ったようにここは全然人の出入りがないからさ」

 会話に飢えていたんだよ、と男がからかうような皮肉な笑顔を浮かべて言った。

「そんな事の為に俺は顔見知り以外、全員に『見ない顔だ』なんて言って話し掛けてるんだ。君は、会話をしたいなら第一声はもっと別のものにする筈、なんて言ったが、案外この声掛けは有効でね、掴みとしてはいい文句なんだよ」

「……………………」

「実際、今回はこうして面白い話が聞けた。刺激的な考察だったよ少年」

「……………………」

「おや、ちょっと顔が赤くないかい? もしかして訥々と、けれどそこはかとなく自身を覗かせながらべらべら口にした考察がまるで見当外れで恥ずかしいのかい?」

 わかってるなら言わないで欲しい。

 ふざけんな。

 フラトは心の中で毒吐いた。

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