第11話

「レクトア」久悠は、今もまだ竜の頭を抱えている彼女に声をかけた。竜はすでに息絶えていた。「森の夜は早いから、そろそろ帰った方がいい」

 埋葬は明日だ。コクリと頷いたレクトアは力なく立ち上がった。

「ありがとう」と彼女は言う。「この子のこと、生かそうとしてくれて」

「……そう思っていたが、悪かったな」

「悪い?」

「この竜を撃ったあの男はおれと同じ賞金稼ぎだ。見ての通り醜い人間で考え方も腐ってる。奴がこの竜を発見したのも、おれに発信機をつけていたからだ。奴はおれの動向を把握していて、おれが竜を見つけたことにも気付いたらしい。だからおれが発信機に気付いていれば、こんなことにはならなかったんだ。あのクズにやられた。完全におれの失態だ。申し訳ない」

「そう」レクトアは短く頷いてから振り向き、真っ直ぐ久悠を見上げた。「謝ってくれてありがとう。でも、君が謝ることじゃないし、私が謝られることでもない。もともと、この子は死ぬことになっていた。人間社会からはみ出てしまった竜はそうなる決まり。人間社会がそういうルールを作ったから。私は勝手にそれを破ろうとして、勝手に君を巻き込もうとした。だからもし謝るなら私があなたに対してだし、それでも罪悪感があるっていうのなら謝る相手はこの子だし、謝らなきゃいけないのは君でもさっきの男の人でもなくて、この世界の人間全員。とはいっても責任のない謝罪なんてだれにでもできるから、本当に謝るのであれば、同じことを繰り返さないよう私たち人間は責任をもって彼らに与えなければいけないものがある」

「それは?」

「尊厳」

 夜を纏う冷たい風が、彼女の髪を靡かせる。

「この人間社会でいかにして竜が生きる余白を生み出せるか。自由を与えられるか。人間が干渉しないか。それを約束する必要があると、私は思ってる」

 それを聞いた久悠は静かに衝撃を受けていた。そして同時に、だめだ――と、自分の感情を抑え込んだ。

「ね。このあと空いてる?」首を傾げて久悠に聞くレクトア。「今日、いろいろお世話になったから。そのお礼もかねて、どこか一緒に夕食でも食べに行かない?」

「申し訳ないが断る」久悠は即答した。「おれはこの竜を殺しに来た。そしてそれに失敗した。生活を懸けているから、すぐに次の狩猟を計画しないと家賃も払えない。この竜の埋葬も明日は手伝えない。業者に委託するなら金は出そう」

「ウチで働く? 私が経営するドラゴンシェルターは竜が好きな人材を募集中。理解ある出資者もいて、従業員の給料もそこそこ支払うことができている。寮もあってペット同伴可」

「ありがたい話だが」と久悠は首を振って断った。

「そう。……わかった。ごめんね。明日はいいよ、ウチの職場の仲間に手伝ってもらうから」

「そうか」

「今日はありがとね。また会えるかな」

「どうだろうな」

「連絡は教えてもらえそうにないね」

 レクトアはバイクに跨り、エンジンをつけた。

「それじゃあまたどこかで。賞金稼ぎさん」

「あぁ」

 バイクのレトロなエンジン音を唸らせ、彼女は森の中へと消えていった。

 久悠はホッと一息ついたが、未だ自分の指の先が僅かに震えていることに気付いた。彼女は危険だった。魅力的な女性という意味ではなく、思想的に――だ。

 彼女には、揺さぶられる。

 今回、久悠ははじめて自身の信念を曲げ、獲物を前にしてそれを狩らないという選択をしていた。その結果、タールスタングごときに獲物を横取りされる始末。

 レクトアの言葉には、久悠の行動を惑わす力があった。原因はおそらく思想的に共通する部分がたった一カ所だけ存在しているからだろう。彼女は竜に尊厳が与えられるべきだと思っている。久悠も同様だった。しかしそのたった一点以外の思想はそれぞれ真逆を行っている。彼女はそのために竜を守ることを。久悠は殺すことを。それぞれ手段として選んでいる。久悠の場合、人間の都合で生み出され、人間の都合で育ち、人間の都合で死んでいく竜たちに、せめて最期だけは尊厳を与えたいとして銃を撃つ。そして久悠には、なにより自身のその思想が諦めから逆算されたものであるということを理解していた。一方の彼女は、およそ達成し得ない希望――久悠がすでに諦めている未来を胸に、力強く歩みを進めている。その未来の絵が、決して実現など不可能であろう世界の映像が、思わず久悠も想像してしまう伝染性が、彼女の言葉には溢れている。

 主従関係のない、人間と竜の共存世界。

 なににも束縛されない竜たちが空を飛び、その影と共に手を広げて草原を駆ける人間たちの未来。竜は世界の秘境に暮らし、繁栄し、この星が構築した精巧な生態系システムに仲間として迎え入れられた世界。竜の本当の意味での尊厳は、その世界でこそ得られるものだろう。決して死と引き換えに人間が与えるものなどではない。久悠が与えようとしている――勝手に与えたと思い込んでいる尊厳など、竜にとっては何の尊厳ですらない。しかしだからこそ、久悠は空想することをやめたのだ。そもそも竜は繁栄することができないように作られている。人間以外に依存することができないよう作られている。それが竜であり人工生物の宿命だ。だったらせめて、たとえまがい物の尊厳であったとしても、久悠は自分が与えられるものを与えたい。その気持ちを信念として、竜を殺すことが竜にとっての救いだと思うより仕方がない。レクトアも、いずれどこかで諦めることになるだろう。それが現実というものだ。レクトアと自分は折り合いをつける場所が違うのだ。自分に合った場所でそれができなければ辛いだけだ。人はそれぞれ自分が辛くない部分で理想と現実の折り合いをつけている。それが彼女と一緒にいると、どうも引っ張られてしまう。だから彼女のことはもう忘れた方がいい――

 一足先に薄暗くなった廃屋の中で、竜の亡骸が静かに横たわっている。スラッグ弾の凄まじい威力に血肉が飛び散っているが、レクトアはそれをできるだけ整えていた。穏やかな表情で目を閉じているセレストウィングドラゴン。結局、この竜が持ついくつもの名前のうちの一つを聞きそびれてしまった。それを理由に、明日の埋葬を手伝おうかとも思いかけたが、それはやはり不要な誘惑だと久悠は頭を振った。もう彼女には関わらない。そう心に決めるべきだ。明日からの狩猟に集中しよう。

 久悠が意を決して立ち去ろうとした時だった。

 夜へと向かう自然の演奏会が響いている。そんな中、「パキッ」と、か細くか弱い――しかしどこか生命の力強さを感じる僅かな音が響いたことに久悠は気付いた。葉や枝を踏む音とは違う、森にはない異質な響き。「パキ、パキパキ」と音は続く。久悠は手の甲の紋白端末の光度を上げて周囲を調べてみた。音は、横たわる竜の下から響いていた。

 まさか。いやしかし、そんなはずは――

 久悠は直感したが、すぐにその直感を衝動的に否定した。

 竜の巨大な羽をどかすと、それに守られるようにして藁の上に複数の卵が置かれていた。産卵していたのだ。けれどこれ自体、久悠にとって大した驚きではなかった。産卵は竜によってはあり得る現象だ。竜には生殖能力が残されている場合が多い。その方がホルモンバランスを調整しやすく、精神的な調整を自然と行いやすいからだ。竜が遺伝子的に制限されているのは、ここからの細胞分裂だった。有性生殖であれ単為生殖であれ、竜の卵が〈Dコード〉なしに孵化することは遺伝子的にありえない。卵は合計で四個あった。そのうち一つを手に取り、紋白端末の光を押し付けてみる。殻を通して透けて見える卵の内側は、一つの細胞――つまり黄身と白身が漂うだけの〝死んだ卵〟だった。これが普通なのだ。しかし、また「パキッ」と小さな音が鳴る。卵の殻が、藁の上に一欠片転がった。久悠の心音が上がる。残った三つの卵のうち一つにヒビが入っている。

 一体なにが起こっているのか久悠は理解できずにいたが、そうしている間にも卵は割れ、破片をまき散らし、中から真っ黒な竜の幼体が姿を現した。黄色い目の動向が紋白端末の光を受けて細く縮み、眩しそうに眼を閉じてか細い叫び声を上げる。

 竜が生まれた。久悠の目の前で。

 久悠はバッグパックの中からランタンを取り出して朱色の光をその横に置いた。紋白端末の攻撃的な白い光を消して、卵の中でもがき這い出してきた竜を手に乗せる。

 震える手の上の竜が目を開き、久悠の姿を認めると、大きな口を開けて鳴きはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る