愛されたいだけ -4-

 大街道おおかいどうを抜けた先にある大きな交差点をえ、停まっている路面電車を横目にまっすぐ進むと、ロープウェイ街と呼ばれる道に入る。

 小洒落こじゃれ料亭りょうていやお土産やを過ぎれば、松山城下の広場に直通するロープウェイに乗る事ができる。

 リフトも選択肢にあるので、開放感を選ぶか速さを選ぶかー–––そういった細やかな楽しみも提供している素敵な施設しせつだ。

 階段で上るという選択肢もあるにはあるが、部活動で下半身をきたえるために利用している高校生しか見た事ない。

 今回用があるのは、道を挟むどの店でもない。

 多くの人でにぎわう雑貨屋の前を右に曲がり、少し進んだところに件のカフェがあった。看板には「Rhodantheローダンセ」と書かれている。ギリシア語の花と薔薇ばらの意味を掛け合わせた名前となっており、主にオーストラリア西部に分布ぶんぷする花だ。ピンクの鮮やかな色が、文字の隣のイラストにも使用されている。

 このカフェの壁はクリーム色を基調きちょうとしており、一面をおおうように植物のつたが伸びていた。一見すると好き放題成長しているように思えるが、丁寧に手入れされていることが素人目にも分かるほど綺麗であった。

 店主は相当マメな性格なのだろう。

「どうもマスター、こんにちは!」

「おや和希かずきくんこんにちは」

 元気よくドアを開けたのは、制服を身にまとう中学生だった。名前は和希という。確か今年で中学二年生のはず。男の子とは思えないほど可愛らしい顔をしていて、鼻も高く人当たりも良いので、周りからとても好かれている印象がある。いわゆる好青年というやつだ。

「マスター、今日もロングブラックでお願いします!」

 ロングブラックとは、ブラックコーヒーのことだ。

 この店は、店主がオーストラリアに留学していた経験を基に、メニューの名前も現地仕様にしたかったそうだ。

「ロングブラックですね。砂糖はどのくらい今日は入れますか?」

「えぇ–––っと……」

 頭を悩ませながら今日の砂糖の量を考える。

 彼がこのカフェに通う理由は、どうやらブラックコーヒーを飲める大人になりたいということらしい。

 他の店では砂糖を頼むと子供扱いされるらしいので、この店に通っているらしい。実際、もう彼は三年以上もこの店を愛用してくれている。

 親に手を握られてよちよち来ていたあの頃がもはや懐かしい。

「三……あぁ–––いや、五個で」

「おや、思ったより少ないですね」

「挑戦してみようと思って。えへへ」

 あまりカフェインや砂糖をりすぎると体によくないため、時々カフェオレを頼む日も設けている。

 使っている豆も、カフェインを抑えてある特注の豆だ。

 マスターのミルきの音が店内に響き渡る。BGMとして流しているジャズも相まって、非常に心地いい空間を演出していた。

 注文し終えたとほぼ同時に、ドアがまた勢いよく開き、来客を告げるベルが鳴る。

「ごめんごめん和希、遅くなった!」

「マスター、こんにちは……」

「あ、じっちゃんどうも〜」

 入ってきたのは女子生徒二人。和希と同じ制服を着た女の子だった。

 手を軽く振りながら挨拶してきたのは明里あかり。名前の通り、いつも明るい性格で周りに元気を分け与える能力を持っている。マスターは今年で七十近くなるが、いつも明里にはエネルギーを貰っている。

 明里の後ろにくっ付いてヘコヘコしながら入店してきたのはあん。肌が日光にとても敏感らしく、年中長袖を着ている。こんな真夏日にも長袖で来ていることを考慮し、マスターは静かにエアコンのリモコンと手に取り、風量と温度を調節する。

 テーブル席で待っていた和希の元へ二人は駆け寄った。明里はよく店内をウロウロするので、杏を奥に座らせようと手で誘導ゆうどうする。だが、内気な性格の杏は縮こまったまま動かなかった。

「杏、あんたねぇ〜」

「あんあんた?」

「ちょ、和希だまってて?」

「え、あっハイ」

 相変わらずツッコミに容赦ようしゃがない。

「面接じゃないんだし、私たちもう幼馴染おさななじみでしょ?何をそんなに遠慮えんりょしてるのよ。あれ、もしかしてトイレ行きたかった?おしっこ?」

「……うぅ」

「お前なぁ、まがいなりにも女の子だろ?デリカシーないのかよこのデカいしりー」

「上手く言ったつもりかもしれないけどね、そっくりそのままお返しよ。女の子のお尻をデカいっていうなんて、あんた絶対モテないわよ。生涯しょうがい独身」

「おしっことか軽く言う女の薬指も、ずっと空いたままだろうな」

「あ、あの、二人……その、喧嘩けんかは…………」

 二人は油断するとすぐこうやって喧嘩をする。小学校の頃は家が近いこともあって毎日一緒に下校していた仲なのに、どうしてこう言い合いをする関係になってしまったのだろうか。喧嘩するほど仲がいいと言えば、言いたいことを言える信頼できる存在であるとも考えられるが。

 二人を静止しようと、杏が手をパタパタ震わせる。

「ははは、本当に仲がいいんですね」

 と、仲裁ちゅうさいしてきたのはマスターだった。おぼんに乗せられた三つの飲み物をテーブルに置きながら視線を二人に送り、座るよううながした。

 和希と明里は何も言わず、でも謝らずに腰をおろした。

「さすがじっちゃん。オーダーなしに飲みたい物が分かってるだなんて」

「じっちゃんって、どこぞの名探偵めいたんていじゃあるまいし」

「昔からそう呼んでるから別にいいでしょ」

 明里と杏の二人も、このカフェにはよく来てくれる。

 家族ぐるみで仲がいいから、たまに明里と杏の家族が一緒にランチを食べにきてくれる時もある。

 三人が通う学校は、幼稚園ようちえん、特別支援学校、小学校、中学校が一つの敷地に併設されているので、十年以上の付き合いになるのも珍しくはない。現に三人がそうだからだ。

「二人ともオレンジジュースねぇ……」

「なぁに、愛媛県民として蜜柑は外せないでしょうよ。血じゃなくてオレンジジュースが流れてるのよ体内に」

「それはそれで怖いよ、明里ちゃん……」

 明里は杏の方を見て二カっと歯を見せるように笑った。寡黙な彼女がこうやって心開いてくれるのにかなり時間がかかったからだ。今はこうして学校終わりに遊べるまでになったが、昔は話してすらくれなかったのだから。

「これぞブラッドオレンジってことか」

「あら和希、それは好きよ。それで、今日もまたコーヒーなの?」

「ふっ、もう僕はジュースから卒業したんだ。コーヒーを嗜めるような大人に–––ズズズ––––––苦っっっ!!」

「なにあんた、ダッサ」

 すすってすぐに口を離した。

 出来立ての熱々で助かった……もしぬるくて量を飲んでいたら、口内が苦味によって占領せんりょうされてしまうところだった。

 かっこ付けには失敗したが、クスクスと笑っている杏を見てそれでもいいやと思える。

 和希と明里はやった、と喜びを共有するように微笑ほほえみあった。

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