果心居士を召喚してしまいました。

夢水 四季

召喚の儀式


 俺は今、生命の危機に陥っていた。


 貯金も底を突き、親からのお小遣いも止められた。


 坂口 士郎(さかぐち しろう)。

 二五歳、ニート三年目。好きなものはアニメとゲーム。

 新卒で入った会社を一か月で辞めて、実家に寄生中。


 大学は文学部卒、卒業論文は小泉八雲について。

 俺は文学も楽しむタイプのオタクなのだ。


 親は働け働けと五月蝿い。

 うちは富豪ではないから、そりゃニート息子に対して、こんな文句も出るのも当然だ。


「あ~、どっか知らない国にでも旅に出ようかな」

 俺は、そんなことを呟きながら、テキトーに本棚を漁る。文学部卒らしく、趣味は読書だ。

 最近は異世界転生ものの作品がよく売れている。俺はけっこう守備範囲の広いオタクなので、流行りの作品から、昔の少しマニアックな作品、大学の専攻だった日本文学(所謂、文豪の作品、純文学など)色々と読む。そのため、俺の本棚はノンジャンル、ごった煮状態だ。几帳面な性格でもないので、作家ごとに揃えるとかはしていない。


 久しぶりに小泉八雲の本を手に取る。

「懐かしいな~。八雲で卒論書いたんだよな」

 八雲の本のページをパラパラと捲る。短編が多く、読みやすい。

 ある話に目が留まる。


「果心居士のはなし」


 天正年間、京都の北辺りに果心居士(かしんこじ)という老人が住んでいた。地獄絵を見せて説法をし、投げ銭的なもので生計を立てていた。ある日、織田信長の家臣の荒川という男が、その絵を見て、信長に伝えると、「その絵を持ってこい」と言われた。

 後日、実際に果心居士が持ってきた絵を見た信長は、その絵の迫力に驚きを隠せなかった。まあ信長は、その絵を欲しがった訳だが、果心居士は「わしはこの絵で生計を立てているから持っていかれると困る。もし、どうしても、この絵をお望みならば黄金百両をくだされ」と答えた。信長は金百両を渡さず、果心居士を帰した。金百両といえば、現代の貨幣に換算すると一千万は超えるくらいだと思われる。さすがの信長といえど、絵一枚にこんな額は出せなかったのだろう。

 荒川は果心居士の後をつけて、彼を切り捨てて絵を奪った。

 翌日、信長の前に、奪った絵を見せた。

 しかし、驚くべきことに、絵が消えて、白紙になっていたのだ。

 荒川は罰として謹慎を命じられた。


 荒川の謹慎が解けた頃、果心居士が北野神社や清水寺に現れたという報せが届いた。荒川は大急ぎで向かったが、果心居士は去った後であった。

 ある日、居酒屋で果心居士に出くわし、ついに、その場で彼を捕らえた。果心居士は取り調べの際、荒川にされたことを白状した。これにより荒川も罰を受けることになり、牢で激しくぶたれた。

 果心居士は荒川の処遇を聞くと、声を上げて笑った。そして、何故、絵が消えたのかを説明してやろう、と言った。


「本当に優れた絵には、魂が宿る」


「絵は自らの意志がある。――――信長公は、この絵の正当な所有者になれなかったのじゃ」


 自由の身になった果心居士は居酒屋で酒を飲んでいた。そこへ、荒川の弟の武一がやってきた。兄が酷い仕打ちを受けた恨みから、果心居士を殺すためだ。

 武一は、果心居士の首を斬り落としたはずだった。

 

 一か月後、信長の館の前に、果心居士が現れたのだ。酔っぱらって、雷のような、いびきをかいていた。信長の家臣がすぐに彼を捕らえ、牢にぶち込んだ。


 この頃、本能寺の変が起こった。信長が、家臣の明智光秀の謀反により、死んだのだ。

 光秀は果心居士の話を耳にすると、彼を呼び出し、優しくもてなした。彼の欲しいだけ酒を持ってこさせた。満足した果心居士は、お礼に自らの技を見せてやることにした。

彼が、近江八景が描いてある屏風を指差すと、湖の水が溢れ出してきた。そして一艘の舟が近付いてきた。果心居士は、その舟にひょいと飛び乗り、絵の中に入っていった。

そして、そのまま消えていった。



 これだ、と思った。


 もう自暴自棄だった。ニートなので失うものは何もない。さすがに馬鹿げているとは思うが、とりあえずチャレンジしてみることにした。時間だけは、たっぷりあるのだ。


 果心居士を呼び出し、俺も絵の中に入れてもらい、俗世からオサラバ作戦、開始。


 俺は高校の美術の授業で使った絵具セットを押入れから引っ張り出し、その辺にあったA3の紙に絵を描き始めた。ネットで検索し、近江八景っぽいものを描き、舟に乗った果心居士(想像図)が、こちら側に向かって来るような構図にした。

 絵を描いている間は「果心居士さま、来い来い来い……」と、ずっと祈っていた。例えは悪いが、ソシャゲのガチャで好きなキャラが出るように祈る感じだ。描けば出るというジンクスもあるくらいだ。


 絵には魂が宿る。よく言われる話だ。

 客観的に見れば、俺の絵は、下手くそ極まりないもの(美術の成績は3)だが、そんなものでも俺が魂を込めて描いたものだ。果心居士にだって届くはずだ。

 一応、完成した絵を前に、祈ったり踊ったりすること、数時間。


 俺の描いた下手くそな絵が、下手くそなタッチのまま、動き出した。

「え? は? 嘘、だろ……?」

 雑な舟に一人の老人が乗っていた。平面だった顔が、段々と、リアルな顔に変わっていった。

 驚いて、口をぽかんと開けている俺をよそに、老人は舟から、ひょいと降りて来た。

「…………もしかして、果心居士、さん?」

「いかにも。お前が呼びだしたのじゃろうが」

 顔も俺の想像図よりも、いくらかイケオジ風になっている。

「ほ、本当に来てくれたんですか⁉」

「こんな馬鹿げたことを本気でやる奴の顔を見てやろうと思うてな」

「師匠! よろしくお願いします!」

「お前の師匠になるかどうかは知らんが、まあ久方ぶりの現世じゃ。楽しむとしようぞ」



 こうして、俺と果心居士の愉快な日々が始まったのであった。





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