第90話 温泉に人だかりってくると、推理ものが読みたくなりますよね

 そんなこんなありはしたが、シオンの明日以外は概ね良い方面に進んだ後、準備が出来たとのことで、大浴場に向かって行った、アリア達。

 その途中ローズが、


 「最後に風呂の時、髪を洗わせてくれねえかな」


 とお願いしてきたので、横で自分もと主張しているシオンを無視し、快く了解の返事をした。

 けれども、その言葉に引っ張られて、ローズが本当に帰ってしまうことも理解できた。


 (そうだよな。仕事人として最後に自分の仕事の出来具合を確かめたいよな)


 そう本心に嘯くと、一抹の寂しさを胸に抱きつつも、しっかりとローズの顔を見上げたのだった。

 しばらくの間、ローズとの別れを惜しみつつ、アリア、シオン、ローズの3人で廊下を進み、まもなく、1日の締めはこれに限る、もうアルコールに依存しない、純粋な楽しみの大浴場に差し掛かろうとした。その時、アリアは廊下の先に人だかりが出来ていることに気付いた。

 皆誰かを待つようにソワソワと落ち着きのない様子を見せている。


 (何か温泉、人だかりって来ると、横溝正史とか松本清張って出てくるんだけど?)


 ポッと思いついた推理小説家の大家の名前を内心で呟きつつ、目の前の風景に触発され、内心落ち着かなくなってしまう。

 そのまま足早に、その皆がいる場所に近づいた瞬間、侍女達が一斉にアリア達に振り向き、声高々にお出迎えの言葉を発した。


『アリアお嬢様、お疲れ様です!!』


 言葉を発してすぐ、バッと同じタイミングで侍女達が恭しく頭を下げた。

 その後、1人の乱れなくサッと頭を上げると、続いてさぁーと海が眼前で割けていくかの如く、人垣が一斉に割け、一本の道が作られたのだ。

 温泉殺人でもない、侍女達の行動に困惑しつつ、出来上がった道を見つめる。

 すると、そんなアリアの横から例のごとくシオンが実に誇らし気に前に出ると、居並ぶ侍女達全員に向かい言葉を掛けた。


 「貴女達、見事です!誰一人遅れずにお嬢様をお迎え出来たことは、貴女達の忠誠心が紛れ物ではないこと!立派な部下達を持てて、私は誇らしい気持ちです!」


 その称賛にすぐさま侍女達が口をそろえて返す。


 『いえ、当然の事ですメイド長!私達はチェイサー家、殊更にアリアお嬢様に身命を賭していく所存。このようなこと、造作もございません!!』


 当然であると胸を反らすように、一様に侍女達が毅然とそう主張する。

 シオンと侍女達が目の前で謎の連帯感を確固たるものにしていく。

 その光景を前に呆れ半分、けれども奇妙な嬉しさ半分で佇むアリアの下に、満足げなシオンが戻ってくると、その背を軽く押し優しく声を掛けた。


 「さぁお嬢様、彼女達の出迎えの中、お風呂に向かいましょう。今日も皆と楽しくお風呂に入りましょうね、アリアお嬢様」


 シオンのその声が耳に入ると、アリアは自然と彼女達にお礼を済ませ、彼女達が作ってくれている道を軽やかに進んでいった。

 アリア達が通り過ぎる毎に道が閉じ、その道を作っていた侍女達がアリア達の後ろに付き、最後には全員がアリア達の後ろに続き大所帯となって、静かになった大浴場前の廊下を後にしていった。

 姦しく楽しげに、ひっそりと揺れる青の暖簾の前を通り過ぎ赤の暖簾を潜ると、ようこそ桃源郷へとの挨拶を空耳に聞き、アリアは目の前に広がる脱衣所と奥の大浴場に心が躍っていくようであった。

 そして、そのまま、入浴の準備に取り掛かっていくアリア達と、雰囲気に飲まれたプラス一名であった。






 ここ最近は自分的には余り運気が良くない。

 そう感じていたタスキは、仕事が早く終わり1日の疲れを癒す為に風呂に向かっていた。


 (この頃僕、よく記憶が飛ぶんだけど、疲れているのかな?)


 今日も今朝の記憶が思い出せないとため息が零れる。

 けれども、思い出せないながらも、断片的には何か良い物を見たような気がするタスキ。

 仕事疲れも相俟って考えれば考える程、疲れを感じていく。


 「はぁ~」


 また自然と零れたため息に、これではダメだと気持ちを切り替える。

 タスキは悩み事から唯一のこの世界に来て良かったと感じている旅館以上の大浴場に思いを馳せていった。

 並々と湯が張られた大きな湯船。そこに注ぎ込む温泉。泉質は極めて柔らかく、浸かった瞬間から疲れが解けていく。それと恐らく肌にも良いのか、この世界に転移する前よりも肌のハリが良くなり、滑らかに指が肌の上を走って行く感じを覚える。

 もう気分は極楽の湯に浸かっている自身の姿に浸り込んでいたタスキの前に、物々しく整列した女性使用人達が現れたのだった。

 まもなく大浴場に着く前の廊下で、乱れなく正確に立ち並ぶ彼女達を見たタスキは、はてと疑問を浮かべる。


 (コ●ン君?いや、●田一少年の事件簿?)


 温泉、旅館、そして、人だかりと来れば、タスキの脳が自ずと弾き出した答えである。

 慌てて駆け寄っていくタスキ。

 そして、大浴場前の廊下を占拠、いや、思いやりを持って占める彼女達の前に到着したタスキは、見た限り不在のメイド長とスイ様に代わり、自分が話しかけやすい3人組に何かあったのかと尋ねていった。


 「あの、何かあったので」


 『あんた何してんの!?早く後ろに並びなさい!!』


 そう厳しく咎められると、訳も分からずに3人組に、女性使用人のみで構成される軍団の最後尾、つまり、奥の男女別の大浴場に続く廊下のそばに連行されていった。

 両腕をナルとグリムにギュッと痛い程取られ、メルに加減一切なしで背中をグイグイ押されて連行されていくタスキ。

 そして、女性使用人のみが集まる集団の中で、気まずさで肩身の狭い思いをして、今日は最後までついてないなと、ため息が零れた。

 そうして、身体を縮込めて自身の運の悪さを悲しんでいると、突然、一瞬前までソワソワとしてザワついていた女性達がぴたりと静まり返った。

 突然の変化に何事かと、一応周りの女性達に倣い姿勢を正し、急激に緊張感が高まった雰囲気の中、彼女達が見つめる先に視線を向けた。

 すると、こちらに向かってくるアリアお嬢様が見えたので、瞬時に今の状況を理解し、タスキは真剣に姿勢を正し直した。

 自分の周りで女性達が完璧にシンクロした声で、


 『アリアお嬢様、お疲れ様です!!』


 と轟くような声を発した。

 タスキもワンテンポ遅れて彼女達に倣っていった。

 その後、心の奥から慕う、主に今度は周りと同じタイミングで敬意を込めた礼を行なったり、まるでモーゼの様な場面を自分も担ったり、その周りの雰囲気に飲まれ切って、同じ行動を取ったりしていった。

 そして遂には、仕事疲れも悩みも多く残る鈍い思考力で朝のランニング気分で彼女達に最後まで一緒についていき、男子禁制の女湯の赤い暖簾を潜っていった。そのまま、脱衣所で周りに倣い服に手を掛けた瞬間まで、普通に同じ行動を取っていた。

 そこで自分の状況に急に気付いたタスキは慌てて周りを窺ってしまった。

 周りには歴代のラノベ系主人公達が体験してきた光景が広がっていた。本当に女性達の楽園が広がっていたのだった。但し注意があるとすれば、ここはラノベではなく現実である。

 タスキの顔からみるみる血の気が引いていく。

 そして、助けを求めるが如く無意識に隣に顔を向けた時、タスキの目に先程自分の背を押していたメルの育ちの良い禁断の果実が映ったのであった。

 タスキが挙動不審を起こすまで、朝のランニングの弊害か、全く気にならなかったメル達女性陣。そこで初めてタスキの存在に違和感を持ち、そこから、急速に現実を認識していった。

 女性達はここで悲鳴を上げる選択ではなく、自分達の大切で愛おしい主、アリアを守る為の行動、すなわちタスキの排除を冷静に選択していった。

 すう~と女性達の間に流れる温度が下がっていく。

 目が自然と据わっていき、ただ、排除すべき対象のみを映し出す。

 各々、衣服より曝け出された身体を隠すなど、究極の時間の無駄であると意識から除外し、敵排除の臨戦態勢を一瞬で整え終えた。

 タスキもその気配を敏感に察知する。

 静かにアリアに悟られることがないよう、タスキの隣のメルが動き出すのに合わせて、残りの女性達も一斉に動き出す。

 その動きを視界に捉えたタスキは反射とでも言える反応で、脱衣所の出口に向けて走り出した。

 死に物狂いで逃走を試みるタスキを、静かに暗殺を行う刺客のように一切の足音を殺して追いかける、恐怖の女性陣。

 タスキが背後に感じる尋常ならざる殺気から必死に逃げ、脱衣所の出口から脱出に成功した瞬間、丁度アリアとの入浴を楽しみにやってきたフウとセツにぶつかった。


 「あたっ!!」


 「きゃあ!!」


 「セッちゃん!?」


 セツがその衝撃で尻もちをつき、タスキもその衝撃で尻から床に落ち、強かに尻を打った。

 タスキが尻を打った痛みに耐えながら素早く立ち上がり、ぶつかってしまった瞬間に見えた誰か2人に謝ろうと顔を上げた瞬間、セツの心配をして寄り添うフウと丁度視線が交わった。

 フウの一切の感情が抜け落ちた無機質な目に射竦められた途端、タスキの背筋が吹雪に吹かれた様に震え上がった。

 そして、いつの間にか瞳の色が変わったフウを最後に見上げた瞬間から、タスキの意識は途切れていた。

 その後、ヴァダン達が男湯の前で寝ていたタスキを起こすまで、この世のものとは思えない綺麗な川の畔で必死に命の様に大切な支給品の執事服を何故か奪おうとする老婆から逃げていたのだった。


 「ちょっと待って下さい!これ失くしたらまた始末書提出になっちゃうんで!!始末書になっちゃうんで~~!!」


 そう懸命に訴えながら・・・。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る