番外編:アリアのバレンタインデー:前編

 アリアは、就寝前のベッドの中であることを思いついた。


 (そういえば、もうすぐ2月14日か)


 アリアは転生前の男の時の記憶を思い出した。

 もしかしたらと無駄にソワソワした学生時代。結局、1つも貰えず毎年終わった悲しい学生時代。同僚から貰った義理のチョコのお返しを悩んだ会社員時代。甘さが控えめで少々苦みがあるバレンタインデーが脳裏に蘇った。

 アリアは、苦々しく笑った。そして、部屋中を気晴らしに見回した時に、鏡に映った自分の姿を見た。

 そこには、苦笑を浮かべた銀色の髪をした赤と青のオッドアイの少女が映っていた。

 それを見た瞬間に、アリアの脳裏にあることが閃いた。


 (そうか!!バレンタインデーか!!)


 少女になったアリアは、それを生かそうとした。


 (バレンタインデーは大切な人にチョコを送るイベント)


 アリアは今の自身の印象をもっと良くするために使えると考えた。それと同時に、アリアの脳裏に昔読んだ本の内容が唐突に浮かび上がってきた。


 (野郎を掴まえるなら、胃袋だったか)


 これは使えると考えたアリアは、明日シオンに相談してバレンタインデーのチョコレートを作る決心をした。

 ニヤリと笑みを浮かべてアリアが、叫んだ。


 「待ってろよ!ハッピーエンド!お前を必ず捕まえてやるからな!!」


 アリアは、明日相談する内容を思案しながら目を閉じていった。

 眠る前に、自分にとって大切な存在を頭に浮かべた。


 「シオン」


 そう呟き、アリアは夢の世界へと旅立っていった。




 ここには、もう1人バレンタインデーに思いを馳せる人物がいた。

 タスキは、カレンダーを見て心が浮き立った。


 「もうすぐバレンタインデー!」


 静かな声で、隣に怒られないように叫んだ。

 タスキは異世界に転移しても、毎年もしかしたらとこの時期は、妙に心がウキウキした。

 タスキは、今年こそと女神様に祈った。それはもう尋常でないくらいの集中力で持てる力の全てを注ぎ込んで祈りを捧げた。


 「女神様!!今年こそ僕にチョコレートをお恵み下さい!」


 10分近く目を瞑り、ひたすらに祈った。


 (届け!届け!僕の願いよ、届いてくれ!)


 戦闘物のアニメや漫画でピンチに陥った主人公が言うセリフだからこそかっこいいのだが、残念ながら己の欲望のために唱えたセリフだったために、全くかっこよくなかった。

 祈りを終えたタスキは、一つ息を吐いた。


 (これで、今年こそはチョコレートをゲットできる気がしてきたよ)


 根拠のない自信であったが、タスキは満足そうに頷いた。その自信のおかげか、タスキの脳裏に、以前とは違う優しくてお淑やかなアリアの姿が不意に思い浮かんだ。

 タスキは、祈りは多い方が効果的だと考え、アリアを思い浮かべて目を瞑り祈った。

 そんなタスキの祈りがアリアに届き、折角寝付けたアリアがベッドの中で妙な悪寒を感じて飛び起きた事をタスキは知らなかった。

 祈りを終えるとやり切った達成感を表情に浮かべて、ベッドに潜り目を閉じた。


 (果報は寝て待て)


 そう呟くとタスキは、眠りに落ちていった。






 朝になり、シオンが部屋のドアを静かに叩き、アリアの部屋に入って来た。

 静かに足音を忍ばせ一切の音を立てずに、アリアのベッド横まで進んでいった。

 シオンはアリアのベッド横に立つと、まだ寝息を立てて眠っているアリアを愛おしそうに眺めた。


 「本当に、御変わりになりましたね」


 シオンが手を伸ばし、アリアの髪に触れようとした。だが、途中で一旦止めた。それから、少し逡巡すると恐る恐る手を伸ばしていった。シオンの手は、無事にアリアの髪に触れた。

 シオンは、柔らかに髪を撫でていった。その顔には、優しい笑みが浮かんでいた。

 シオンがもう一度アリアに向かって呟いた。


 「本当に、御変わりになってしまったのですね」


 寂しさを少しだけ含んだ声で、そっと漏らしていた。

 シオンの脳裏に、以前のアリアの姿が呼び起された。

 以前のアリアであったならば、どんなに足音を殺しても、部屋に入り歩いた瞬間に目を覚ましていた。そして、すぐに起き上がり、冷酷な瞳で見つめてきた。

 常日頃から、張り詰めた緊張感がアリアからは漂っていた。隙を一切見せず、誰に対しても冷たく、アリアと他者の間には分厚い壁が存在しているようであった。だが、唯一その壁を越えられたのが、セレナ様であったとシオンは思い出していた。

 シオンの目の前で、無邪気に眠る今のアリアには、その張り詰めた緊張感が全くなかった。いや、感じられなかった。

 アリアが無防備に寝顔を晒すなどシオンの記憶には、昔まで遡らなければなかった。

 シオンは少し昔の思いに浸った後時計を見て、アリアの起床時間になったことを確認した。

 アリアに声を掛けて起こすと、ぼうっとしているアリアをベッドから出して、椅子に座らせた。

 まだ寝ぼけ眼のアリアの髪を解き降ろすと、化粧台からブラシを取ってきた。

 シオンがアリアに恭しく声を掛けた。


 「アリアお嬢様、失礼いたします」


 シオンは、アリアの髪をブラシで梳いていった。

 夜の内に付いた髪の癖をブラシで何度も梳き直していった。

 その間、まだ完全に起きていないアリアが、椅子に座ったまま船を漕ぎだした。

 シオンは苦笑しながら髪を梳かし、アリアの髪を綺麗に梳かし終えた。

 終わったことをアリアに伝えた。


 「お嬢様、終わりましたよ」


 サイドテーブルから持ってきていた手鏡を渡して、髪形を確認してもらった。


 「如何でございますか」

 「う・・ん。良い・・・感じだ・・と思い・・ます。ありが・・とう、・・・シオン」


 寝ぼけながらアリアが答えた。

 それを確認したシオンは、笑顔で次の支度に移っていった。

 クローゼットから本日のアリアの服を選び取り出すと、アリアの下まで戻った。

 アリアは、また船を漕いで眠っていた。

 シオンは、柔らかな笑みを浮かべて見つめた。

 もう少しだけ寝かせていてあげたい気持ちが、シオンの中に芽生えたが、そこは心を鬼にして、アリアに強めに声を掛けた。


 「お嬢様、いつまでもお休みにならずに、起きてください!」


 そして、アリアの身体をゆすり完全に起こそうとした。

 それによって、半覚醒まで起きたアリアがシオンを見つめた。


 「あ、おはよう、シオン!」


 さっきから会っているのに、また挨拶をしたアリアにシオンが思わず笑いを零した。


 「ふふ。おはようございます、お嬢様」


 アリアは、シオンが持っている本日の着替えを確認すると椅子から立ち上がった。


 「今日は、茶色の、ワンピースな、のね?」


 まだ若干怪しい呂律で、アリアが訊いた。


 「ふふ、そうですよ。さ、お嬢様着替えますよ」

 「うん」


 シオンは、ぼうっと立っているアリアの寝間着の薄ピンクのワンピースを脱がした。

 その後、シオンは先ほどアリアの髪を梳かしている時に気付いたしっとりと湿った肌を思い出して、アリアの下着も交換しようと思い立った。

 アリアに一言駆けて、茶色のワンピースをアリアの前の衣装掛けに掛けると、急いでクローゼットに戻りアリアの下着を取り出した。

 その間、アリアは目の前の茶色のワンピースをぼんやりと見つめていた。

 シオンが下着を選び終わり戻ってくると、アリアの下着をすべて脱がしてショーツを穿かせていった。

 次にキャミソールを着せようとした時、アリアの目がはっきりと覚めた。

 アリアは、目の前の茶色のワンピースを見るとシオンに問いかけた。


 「ねぇ、シオン?バレンタインデーって知っているかしら?」

 「バレンタインデーですか?申し訳ございません。シオンは、お聞きしたことがございません」

 「そうなの!」

 「はい。初めて聞いた言葉です」


 アリアは、それを聞いて顔を顰めた。


 (不味い。迂闊だった。この世界には、バレンタインデーが無いのか)


 アリアの顔が青くなる。


 (ヤバいぞ。このままでは偽物とバレて、お屋敷追放バッドエンドになっちゃうよ!!)


 アリアは、こちらを怪訝な表情で見ているシオンに気づき、更に焦りが募っていく。


 (何かないか!このピンチを切り抜ける策は!)


 必死に思考を巡らして、良案を浮かべようとした。


 (畜生!!浮かばない!どうする!この頭ではこれ以上考えても、浮かびそうにないぞ!こうなったら覚悟を決めて、でっちあげを言って切り抜けるしかない!)


 覚悟を決めたアリアがやけくそ気味に、シオンに口を開いた。


 「シオンが知らないのも無理はないですね。わたくしもついこの間、読書をしていた時に初めて見たものでした」

 「どの様な物なのでしょうか、お嬢様?」


 興味を惹かれたシオンが、アリアを見つめて訊いた。

 アリアは答えようとした時に、致命的なミスをしたことに気付いた。


 (しまった。俺、まだこっちの世界の文字が読めないんだった。どうする!ああ!どうすれば良い!・・・。もうこうなったら徹頭徹尾、シオンを騙しきってやるぜ。悪役令嬢は度胸よ!!)


 アリアは軽く笑うと、シオンに教えを授ける様に口を開いた。


 「ふふ!まだまだですね、シオン。いいですか、バレンタインデーとは、大切に思っている御方にチョコレートを差し上げるイベントですよ」


 アリアは微笑みを浮かべてシオンを見た。

 しかし、シオンはそれを聞いた時、困惑した。


 (大切な御方にチョコを上げるイベントだと!!ということは、お嬢様にはそのような御方がいると!!誰だ!私のお嬢様を唆した不届き者は!!タスキか!奴か!あの野郎か!いや、奴でないとすると、お嬢様と親しいのはジェームズか!いや、違うか。まさか、あの料理長か!いや、待てシオン!他にも野郎はいるぞ!誰だ!私の女神を唆した愚か者は)


 難しい顔で突然黙り込んだシオンをアリアが心配して、慌てて声を掛けた。


 「シオン、どうしたのですか?どこか具合が悪いのですか?それとも、カカオアレルギーでもあるのですか?」


 アリアは、シオンの胸に飛びつき必死で声を掛け続けた。

 しばらくすると、ようやくアリアの声に気づいたシオンが、現実に戻ってきた。


 「シオン、ごめんなさい。どうか、わたくしの下に戻ってきてください」


 アリアの必死な声に気づき、胸元を見た。そこには、瞳に涙を浮かべたアリアがいて、必死に声を上げてシオンに声を掛け続けていた。

 それを見た瞬間、シオンは頭を殴られたような衝撃を感じた。それと同時に、ここまでアリアを心配させてしまった自分自身に、憤りを感じた。しかし、アリアはそんな憤った自分を好いてはくれないと、すぐに怒りを収めた。

 シオンは、柔らかに顔を緩めると、アリアに声を掛けた。


 「ありがとうございます、アリアお嬢様。お嬢様のおかげでシオンは、ここに返ってくることが出来ました」

 「え!シオン!本当に、戻ってこられたのね?」

 「はい、お嬢様」

 「良かった」


 アリアがシオンをひしと抱きしめた。それから、むくれた表情でシオンを見上げた。


 「もうわたくしをこのように、心配させないようにしてくださいね。いいですか、シオン!!」


 可愛らしく怒るアリアが愛おしく思えて、シオンは思いっきり抱き締めて答えた。


 「畏まりました、アリアお嬢様」


 シオンはアリアの頭を優しく撫でていった。アリアはそれが気持ち良くて、目を細めていた。






 アリアは、内心でほっと息を付いた。


 (よかった!突然黙り込んだから、もしかして偽物とバレて、どうお屋敷から追い出すか考えているのかと思ったよ)


 内心で安堵したアリアは、シオンに微笑みを向けるとすっとシオンの胸から離れた。

 シオンはいつもの様にそれを寂しそうに見つめた。

 アリアは、気を取り直してシオンに向き直った。


 「わたくしは、バレンタインデーをやりたいのです。チョコレートを作り大切に思う人にあげたいのですよ」


 アリアの話を聞いたシオンが躊躇いながら口を開いた。


 「お嬢様、その。大切な御方とは、どのような方なのでしょうか」


 シオンは、もしもの時を想定して、いつでも消しに行ける気構えをしていた。

 シオンの話を聞き、意味を理解したアリアは、顔を赤く染めた。


 「ななな、何を言っているの、シオン!前々から言っていますが、わたくしにはそのような方はいませんからね。大切に思う人とは、わたくしに仕えてくださっているお屋敷の皆ですよ!決して殿方ではありませんからね!!」


 アリアが早口で捲し立てた。


 (冗談じゃないわよ!!野郎になんてあげたくないわ!俺は、印象を上げるためにあげるんだからね。野郎なんかに好意は、一切湧かないからね)


 そして、心中でも慌てて弁明した。

 それを聞いてやっと安心できたシオンは、清々しく爽やかな表情でアリアに口を開いた。


 「分かりました。このシオンにお任せください」


 シオンがアリアに深く頭を下げた。

 それを受けて、アリアは善は急げと部屋を出て行こうとした。


 「さ、行きますよ、シオン!早く言ってシェフに声を掛けておきますよ!」

 「あ、お待ちください、お嬢様。まだ、お着替えがお済になっていませ」


 るんるんと気持ちが弾んだアリアがシオンの言葉を聞かずに、ドアノブを捻り扉を開けた。

 廊下には、アリアを見て驚愕したタスキがいた。


 「え!?」


 タスキの驚いた声を聴いて、アリアは首を捻った。


 「ん?」


 しかし、窓に映るショーツ以外身に着けていない自分の姿を見ると、ゆっくりとドア閉めた。

 アリアは、シオンに飛びついた。


 「どうしましょう、シオン!わたくし、見られてしまいました!」


 アリアは、シオンの胸に深く顔を埋めた。


 (やばい、やばい、やばい!!露出狂の変態お嬢様アリアには、お仕えできないと皆が辞めちゃう。それに、これを弱みにタスキにしたくないことを要求されるかも。どうするどうする!廃人バッドエンドになっちゃうよ!)


 シオンは、飛びついたアリアを優しく抱しめると声を掛けた。


 「心配はありませんよ」


 アリアが不安そうに、シオンを見上げる。


 「ホントですか、シオン」

 「もちろんですよ、アリアお嬢様。それでは、少々失礼いたしますね」


 シオンはアリアをもう一度優しく抱しめると、背を向けて一切の感情を消し真顔になると廊下に消えていった。

 廊下から何かを殴る音が聞こえた。その後に、大きなものをずるずる引きずっていく音が聞こえ、それはどんどんと遠ざかっていった。

 アリアは、次は失敗しないようにキャミソールを着て、茶色のワンピースのワンピースを着て、しっかりと朝の支度を終えるとベッドに腰をかけた。そして、ドアを見つめながらシオンが帰ってくるのを待った。

 シオンが帰ってくるとアリアは、食堂に向かって廊下を歩いていった。

 廊下で出会う使用人に朝の挨拶をしながら廊下を進み、とうとう食堂に着いた。

 食堂のドアを開け、中に入った。

 アリアは、食堂の中を見渡して誰かいないか探した。すると、いつの間にかアリアの傍にジェームズが控えていた。


 「アリアお嬢様、如何なさいましたか。まだ、朝食の時間には、お早い気が致します」


 アリアは、微笑みを浮かべると、ジェームズに声を掛けた。


 「ごめんなさい。迷惑だったかしら?」

 「いえいえ、とんでもございません」

 「そう、よかったわ。ジェームズ、お願いがあるのです。シェフを呼んで来てくださらない。少しお願いしたいことがあります」

 「畏まりました。少々お待ちください、アリアお嬢様」


 執事長のジェームズがアリアに慇懃に礼をすると、厨房の中に消えていった。

 それを見届けた後、シオンが声を掛けてきた。


 「お嬢様、こちらでお立ちになっているとお疲れになると思いますので、あちらの席で椅子に座りお待ちになっているのが得策かと具申します」


 アリアは、提案してくれたシオンに顔を向けると、頷いた。


 「そうね。それもいいですね」


 シオンと共にいつもの食事の席に向かい、引いてくれた椅子に座ってジェームズが帰ってくるのを待った。

 しばらくすると、ジェームズがシェフを連れて帰ってきた。


 「アリアお嬢様、お待たせいたしました」


 ジェームズが、そう言い深々と頭を下げるとアリアの後ろに控えた。

 アリアは、クスっと一度笑うとジェームズにお礼を言った。


 「ありがとう、ジェームズ」

 「大変、有難きお言葉です」


 そこまで、畏まらなくてもいいのにとアリアは思い、フフっと笑うと目の前のシェフに顔を向けた。


 「どうしたんだい、お嬢。何か、俺に用があると聞いたんだが」


 真剣な表情でアリアに問いかける。

 アリアが表情を和らげ、ゆっくりと話す内容を考えながら口を開いていった。


 「ええ、少しシェフにお願いしたい事とお尋ねしたいことがあります」

 「何だい、言ってみてくれ」

 「はい!実は、バレンタインデーというイベントをしたいと思っているのですが、それには、チョコを使ったお菓子を作る必要があるのです。そこで、シェフにはお菓子を作る場所を貸していただけないかとお願いに来たのです」


 アリアは、不安そうにシェフの顔を窺った。


 (また、怒られないよね。厨房は、遊び場じゃねぇとかお嬢に貸す場所なんてないとか言われないかな)


 ドキドキと胸を鳴らして、シェフの答えを待った。

 しかし、アリアの予想とは異なり、シェフは相好を崩すと嬉しそうにアリアに答えを返した。


 「何だ、そんなことか。いいぜ!いくらでも貸してやるよ」

 「本当ですか!?」

 「ああ、もちろんだ!」

 「ありがとうございます!」


 アリアが顔を綻ばせた。


 「それともう1つお願いというか、お尋ねしたいことがあります。今更になってしまいますがチョコレートってありますか?」

 「ああ、あるぜ。それで、どれくらい用意すればいいんだい、お嬢様」

 「そうですね、では・・・」


 アリアとシェフはお菓子作りに必要な道具と材料について話し合っていった。

 バレンタインデーのお菓子作りの材料と機材の話し合いが纏まった後、アリアはもう1つ大事なお願いするかどうか逡巡した。

 ここまで来て、それを言っていいのかどうか迷い、アリアはお願いすることを躊躇ってしまった。だが、言わなければ何もできないと、アリアは迷った末にお願いしようと決めた。

 シェフに言うと怒られそうで怖いのでシオンに訊こうと、シオンの顔と自分の手元の間で何度か顔を往復させた後、アリアが意を決して口を開いた。


 「シオン、あのね。わたくし、お菓子を作ったことがないの。だからね、教えてくれると嬉しいのだけれど」


 顔を赤く染めて恥じ入るように話すアリアに、シオンが抱き着いた。


 「可愛い過ぎますよ、お嬢様!!」

 「ちょ、ちょっとシオン!わたくしは真面目にお願いしているのです。止めてください」


 ぎゅっと抱しめてくるシオンに、アリアが苦言を呈した。


 「はっ!そうでした。申し訳ございません」


 落ち込んだシオンが、アリアを離してとぼとぼと後ろに下がっていった。そして、元の位置に戻ると項垂れた。

 アリアは、仕方がないなと席を立ちシオンに抱き着いた。


 「落ち込まないで、シオン!わたくしは、明るいシオンが好きですよ」


 胸元から顔を上げてにっこり微笑んで、シオンに言葉を掛けた。

 シオンは、そんなアリアの気遣いに心を満たされ、瞳に涙を浮かべるとアリアを抱きしめ返した。


 「シオンもそんなお優しいお嬢様が大好きです!」


 はは、と苦笑をアリアが浮かべると、シオンにもう一度訊いてみた。


 「それで、シオン?お菓子の作り方を教えてくれますか」

 「もちろんですよ、お嬢様!シオンにお任せ下さい!」


 シオンがアリアを抱きしめながら答えた。その胸の中でアリアは、ほっと安堵した。

 しかし、シオンの次の言葉で安堵が飛び去って行った。


 「大丈夫お嬢様。お菓子なんて気合と根性でどうにかなります。シオンは作ったことはございませんが、出来る気はします!!」


 唖然としてアリアが、シオンを見つめる。シオンはアリアに見られて嬉しいのか、笑顔を返してくれた。


 (シオン!!何言ってるの!!脳筋なの、シオン!?)


 アリアは、シオンに抱き着かれたまま、シェフに助けを求めた。

 シェフは、はぁと一つ息を吐くとシオンをアリアから引き剥がした。その際、シオンが不満そうにシェフを睨んでいたが、無視して引き剝がしていった。

 アリアは、シェフをおっかなびっくり見つめながら、口を開いた。


 「わたくしにお菓子の作り方を教えてくれますか?」

 「はは、いいぜ!そこの駄メイドよりはできるぜ!」


 シェフが勝ち誇った表情でシオンを見た。


 「く!」


 歯嚙みして悔しそうにシェフを睨んでいた。


 「よろしくお願いします、料理長!」


 シオンを無視て、アリアが顔を綻ばせてお願いした。


 「おう、任せておけ!」


 シェフは快く承諾した。

 その後、再び2人はバレンタインデーについて話し合いを進めていった。シオンは、それを羨ましそうに眺めていた。



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