浦島太郎とあばらぼね
華川とうふ
公園で亀を助けたら人生が変わった
小学生のころだったと思う。
あの亀を助けたのは。
学校からの帰り道、近所の池のある公園で同じ学校の男の子たちが亀をいじめているのを見てしまったんだ。
彼らの側にはまともな大人は一人もいなかった。
いるのは亀と僕とそして夏なのに茶色い薄汚いコートを着込んだ公園で寝ているおじさんだけだった。
別に特別、生き物が好きというわけじゃないし。
正義感があるような子供じゃなかった。
だけれど、亀がいじめられているときどうしても放っておけなかったんだ。
優しさとかではない。
ただ、幼稚園の頃の劇で浦島太郎の亀の役をやったことは関係していると思う。
幼稚園の劇なんて、先生が勝手に配役を決める。
そうすると、セリフがきちんと喋れそうとか、親が配役についてうるさいとかで当然出番の多い役がきまっていく。
僕は、どちらかというとのんびりとした子供だったけれど、僕の母は口うるさく今でいうとモンスターペアレントに近かったかもしれない。魚や海藻みたいな適当な役を与えたら僕の母はきっと騒ぎ出したことだろう。
だけれど、僕は浦島太郎をできるほど闊達な子供ではなかった。
困った先生は僕に亀の役を与えた。
当時、比較的からだも大きく、のんびりした僕にはぴったりな役なように思えたのだろう。
きちんと重要な役だし。
登場シーンも多い。セリフこそ最初の方にすこしあるだけだけど、ずっと舞台に上がっているのだ。
でも、亀の役は最悪だった。
浦島太郎の最初のシーンを思い出して欲しい。
浦島太郎はいじめられている亀を助け出す。
つまり僕は劇の練習中何度も、何度もいじめられたのだ。
お芝居なのだからまねごとだろって思う人もいるかもしれない。
だけれど、僕たちは小さな子供なのだ。
時々は夢と現実の区別もつかなくなって両親を困らせるなんて子供にはよくある話だ。
お芝居をしているうちに、それが本当になってしまう。
叩く真似、棒で突く真似、蹴っ飛ばす真似。それらをあざ笑う声。
いつの間にか本物になって僕の心を傷つけた。
そして、もっとひどいのは浦島太郎に助けられたあとだった。
僕は亀なので浦島太郎を背中に乗せて竜宮城まで連れて行かなければならなかった。
本当に背中に乗せて。
いくら僕が空組(僕の幼稚園の年長のときのクラス)の中で一番体格が良いといっても、背中に男の子を乗せて四つん這いになって運ばなければいけないのを何度も繰り返すのはつらかった。
手と膝は赤くなる。
手にはときどき、他の園児達が遊びの時間につけてきて教室に持ち込まれてしまった砂粒が刺さった。
いじめられて、たたかれて、四つん這いで人を背中に乗せて移動しなければならない。
どれだけの人が幼稚園児にして、こんな屈辱的な目にあったことがあるのだろう。
公園でいじめられていたアレが亀じゃなくて別な生き物だったら。
もっと別な虫とか、ネズミとか、いや人間だっていい……そしたら、僕はあそこで助けることなく見なかったことにしたのに。
だけれど、アレは確かに亀だった。
池のすぐ側でひっくり返されて、無様に腹をさらして手足をばたつかせているは亀だった。
「やっ……やめろよ」
僕は声を上げた。
だけれど、その声は誰にも届かなかった。
当然だ。元から大人しかった僕はあの劇以来、もっと声が小さくなってしまったから。
どんな小さな音も拾える子供の耳でも僕の言葉は響かないほど小さかった。
亀はいじめられ続ける。
バタバタと動かしていた手足がしだいにだらんと力なく垂れ下がり始める。
ああ、もうダメだ。
僕は声もでないし、いじめっ子に立ち向かうこともできない。
目の前の亀と自分が重なる。
何も悪いことなんてしていないのに、いじめられ、奪われる。
その姿が自分に重なった。
その次の瞬間だった、僕の声なんかと比べものにならない大きな音がその空間を支配したのは。
防犯ブザーの音だった。
僕はとっさに、自分のランドセルからぶら下げていた防犯ブザーを引っこ抜いて亀のほうに投げたのだ。
いじめっ子たちは不安そうに当たりを見回す。
それが、自分たちの罪を大人に見つかってしまう罪悪感から来る行動さなのか、ただ不審者が周りに現れた可能性があるという不安から来る物なのかは分からない。
だけれど、彼らは帰っていった。
亀は逆さのまま。
僕は仕方なく彼らが去ったのを確認して、亀をひっくりかえした。
何度も言うけれど、優しさなんかじゃない。
ただ、自分が亀としていじめられたときそうして欲しかったから。
そうしただけ。
別に見返りなんて期待していなかった。
だけれど、亀を助けた日から僕の人生は大きく変わった。
亀を助けた夜から僕は毎日、同じ夢をみるようになったのだ。
水の底にある学校の夢。
そこは現実に僕が通っている学校と違って、とても楽しい場所だった。誰も僕のことをいじめない。
それどころか、僕のどんなに小さな声でもきちんと来てくれて、みんなが賛成してくれる。
僕の意見はすべて正しくて、それによって学校はより良い物になっていった。
美味しい給食に分かりやすい授業に楽しい友だち。
僕は次第に自信を取り戻していった。
そして、その素晴らしい夢は現実まで変え始めた。
それまでおとなしくて、いいや、はっきりいって根暗でぐずだった僕は、闊達な子供になっていた。
教室では積極的に発言した。
最初は、まわりは何が起きたんだと奇妙なものを見るような顔をしていたが、毎日続くとそれが日常になり当然になった。
僕が積極的でクラスをひっぱっていくのはごく普通のことになったのだ。
寝ても覚めても毎日が楽しかった。
僕は現実の陸の学校も、夢の水底の学校もどちらも楽しかった。
だけれど、そんな夢みたいな楽しい生活にも終わりが来る。
浦島太郎の竜宮城での暮らしがそうであったように。
暑い夏の日のことだったと思う。
外は馬鹿みたいに太陽が照り付けているというのに、僕は骨のまわりがギシギシと寒くて、着たくもない茶色の上着はおった。
その茶色の上着は、汗がじっとり染みていやなにおいがしてますます具合が悪くなりそうだった。
その日、僕は夢の中で学校に行かなかった。
というかなぜかいけなかったのだ。
学校がなかった。
そして、現実の学校にも行かなかった。
学校に行かなかった僕はあの公園を歩く。
あの亀に再び会えないだろうかと。
公園の池の周りをゆっくりと這っていた。
湿った土、頭痛がするくらい照り続ける太陽、どこからか聞こえる笑い声。
ふと、池の中を覗き込むとそこには年老いた僕自身の姿があった。
ああ、きっと向こうで亀がいじめられている……僕はもう、亀なんか助けない。
浦島太郎とあばらぼね 華川とうふ @hayakawa5
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