10. トラウマを乗り越えろ
「なんだ、久しぶりに会ったのに挨拶もねーのかよ」
男は彼方に近づこうと歩いて来るが、当然優斗がそれを許すわけが無い。
「ふん、てめぇが篠ヶ瀬優斗か。邪魔だ、どけ」
「…………」
当然退くわけが無く、厳しい目で男を睨みつける。
「おお怖い怖い。流石王子様。ヒュー! 格好良い!」
だが男はそんな優斗の視線などどこ吹く風で軽く茶化して流してしまう。
「だが残念ながらお前の出る幕じゃねーんだよ。さっさと消えろ」
「?」
男は優斗の事を知っているようだが、それなら優斗が彼方の恋人であることも気付いているはずだ。
それなのに優斗をまるで無関係な人物であるかのように扱う男の態度が不思議だった。
「いいか、お前は恋人だろうがなんだろうが単なる『他人』なんだよ。勝手に人の家に入り込んだ『他人』なんだよ。彼方の
「な!」
親族。
この男はそう言った。
彼方の方をチラりと見ると、激しく震えて座り込んだまま否定しようとはしない。
部屋を荒らし彼方のトラウマを刺激する人物が親族だったことに優斗は驚きつつも納得していた。
「(やっぱりそういうことだったのか)」
『祝死』の落書きこそが最大のヒントだったのだ。
あの文字は部屋を荒らした者が彼方の両親が亡くなったことを知っているという証拠である。
彼方の両親の死を知り、家の中に入っても不思議ではない人物といえば親族くらいしか思いつかなかった。
しかも彼方はこれまで親族に関する話題を一切出さなかった。
だから優斗は親族の中に彼方を苦しめる人物がいるのではと睨んでいた。
そして目の前の人物こそがそいつだったのだ。
「てめぇが彼方を!」
「おいおい、聞いて無かったのかよ。出てけって言っただろうが、これだから王子様気取りのガキは」
優斗が怒っても男は飄々としている。
今すぐにでもぶん殴ってしまいたいが、それを優しい彼方が望んでいるとは思えず優斗は必死に耐える。
「全く余計な事ばかりしやがって。この部屋だってせっかく俺
「(俺ら、だと?)」
彼方を苦しめる人物はこの男以外にもいるのだろうか。
優斗は自分の境遇を思い出す。
父と母を見下し侮辱するクソ親族共を。
もしも彼方の両親が自分と同じで親族全員から疎まれていたとしたならば。
そしてその親族総出で彼方を傷つけようとしているのならば。
「(そんなの狂っちまうに決まってるだろうが!)」
優斗の場合は幸いにも無関心という対応だったからそれほど被害は大きく無かった。
だが彼方はこうして直接的に危害を加えられている。
もし本当に親族全員が敵だとするのならば、両親の死の直後に集団リンチをくらったようなものだ。
あれほどまでに彼方の心が壊れてしまった理由としては申し分ない。
「(クズ共が!)」
もう我慢出来ない。
目の前の男をぶん殴らなければ気が済まない。
優斗はあまりの怒りで我を忘れそうになったが、男はあくまでも冷静だった。
「おお怖。でも良いのか、手を出したら『警察』が来るぜ」
「っ!」
もし警察騒ぎになったら彼方を苦しませることになってしまう。
優斗がどれだけこの男を憎もうが、決して手を出すことは出来なかった。
そのことを知っているからこそ、男は余裕だったのだろう。
「さて、彼方。いつまでも座ってないで立て」
「…………」
彼方はこれまでに無いくらいに歯をカチカチと鳴らして震えている。
決して立てるような状態では無い。
むしろ今にも倒れてしまいそうな雰囲気だ。
だが。
「聞こえなかったか。立て」
「…………」
「か、彼方」
足をガクガクとさせながらも、彼方は優斗を支えにしてどうにか立ち上がった。
彼方が男の命令を聞いてしまったことに優斗は愕然とする。
「ひゅー! 相変わらず良い体してんなぁ。こりゃあ楽しみがいがあるってもんだ」
「てめぇ!」
「おっとだから怒るなって。あひゃひゃひゃ!」
この男もまた彼方の体が目的だった。
「(どうしてどいつもこいつも!)」
彼方の拉致を主導した同級生も、父の会社の男達も彼方の体が目当てだった。
確かに彼方はとてつもない美少女だが、こんなにも連続して体が狙われることなどあるのだろうか。
「さぁ彼方、こっちに来るんだ」
「ダメだ、彼方」
彼方は優斗の服を掴んで辛うじて立てている状態だ。
歩けるようには見えない。
だがもしまともに歩けるならば男の元へ歩いてしまうのだろうか。
「こっちに来いって言ってるだろ。俺の命令が聞けないのか?」
「ダメだ、聞くんじゃない、彼方」
やはり彼方は動かない。
あるいは動けないのか。
どちらかは分からないがその場に留まってくれていることに優斗は少しだけ安心した。
「安心しろよ。優しくしてやるからよ」
「彼方、耳を塞ぐんだ」
「俺達がたっぷり仕込んで気持ち良い事しか考えられないように壊してやるからよ。あひゃひゃひゃ!」
「この下衆が!」
「王子様にお褒め頂き光栄だな。そうそう、てめぇにも役に立ってもらうとするか」
「なんだと?」
「愛しの王子様に見られながら犯されればより壊れたくもなるってもんだ! こういうのネトラレって言うんだろ? 最高だな! あひゃひゃひゃ!」
「…………」
この男の戯言を彼方にこれ以上聞かせたくない。
だが彼方はあまりの震えで歩くことすらままならず部屋から逃げ出せない。
もう彼方は限界だと思った優斗は、警察のお世話になった方がマシであり男を殴るべきではないかと思い始めた。
「さて、茶番はここまでだ。彼方、こっちに来るんだ。さもないと伯母さんからアレを借りてぶっ壊してやる」
「!?」
「(アレって何だ? どういうことだ?)」
これまで俯いて苦しんでいるだけだった彼方が、男の言葉に反応した。
ゆっくりとだが、フラフラと歩き出したのだ。
「ダメだ彼方」
思わず手を広げて行く手を遮ろうとしたが、彼方はその腕にそっと触れて優斗を見つめる。
「(彼方……)」
そしてその腕をくぐるようにして男の元へと向かってしまったのだ。
「あひゃひゃひゃ! そうだ、それで良い! お前は俺達のオモチャとしてぶっ壊れるまで遊ばれれば良いんだよ!」
人を人とも思わない台詞に優斗は拳を強く握る。
今すぐにでも彼方を止めたい。
だがそれは出来なかった。
「さぁ、彼方。お前の部屋に行こうか。そこでたっぷりと可愛がってやるぜ。もちろん愛しの王子様も一緒に来るんだ」
男はそう言うと彼方の肩を抱こうとする。
優斗のポジションに入ろうとする。
彼方の全てが奪われようとしている。
パァン!
「あ?」
乾いた音が部屋の中に鳴り響いた。
男も優斗も何が起きたのか直ぐには理解出来なかった。
「ここから出て行って下さい」
そんな男に向かって彼方は冷たい言葉を投げつける。
そしてそのまま踵を返して優斗の胸に飛び込んだ。
「優斗君! 優斗君! 優斗君! 優斗君!」
「おかえり、彼方。頑張ったな」
「~~~~っ!」
優斗が彼方を止めなかった理由は、彼方がそれを望んでいたからだった。
男の指示に従いたいのではなく、男に立ち向かうという意思を目で伝えて来たから。
「(私を信じて)」
優斗はその想いを受け取り、彼方を信じたのだ。
「あ?」
優斗が優しく彼方を抱き締める一方で、男はまだ呆然としていた。
いつの間にか左手が
彼方と優斗が抱き合う様子を見て、ようやく男は正気に返る。
「このくそアマ! ふざけんなああああ!」
彼方に全力で叩かれた左頬はかなり真っ赤になっている。
手加減無しの一撃だったのか、相当な痛みに顔が歪んでしまっている。
「ぜってぇ許さねぇ! 泣いて許しを請うまで徹底的に嬲ってやるから覚悟しろ! もちろんどれだけ泣こうが喚こうが許さねえがな!」
これまでの落ち着いた様子はなんだったのか、男は激昂して今にも二人に掴みかかろうとする勢いだ。
優斗は彼方を抱き締めたまま、男から少し距離を取った。
「ハン、どうせお前は俺の言う事を聞くしか無いんだよ。アレがある限りな!」
腕の中の彼方がその言葉にびくりと震える。
『アレ』が彼方の心を大きく縛っているようだ。
彼方は顔をあげて優斗を見る。
未だに大きく震えているが、その目は恐怖に打ち勝とうとする強い意思を感じられた。
後一押し。
優斗が傍に居て、こうして抱き締めるだけでは足りない最後の一押し。
それがあれば彼方はこの状況を乗り越えられるかもしれない。
乗り越えたいと優斗に訴えかけている。
その強い願いを受け取った優斗は、彼方と唇を重ねた。
「な!」
驚いたのは男だ。
まさかこの状況でキスをするなどとは思わないだろう。
抱かれることを拒否されたことについてのあてつけだとでも思ったのか、男は怒りを更に増さんとする。
だがその怒りはすぐに行き場を無くしてしまった。
「ん……ちゅく……ちゅ……」
「はむ……ちゅっ……くちゅ……」
二人が濃厚な大人のキスを始め、唖然としてしまったからである。
優斗達の初めての大人のキス。
舌を積極的に絡め合い、貪るように相手の唇や咥内を味わい尽くす。
その激しい出し入れに、時折外からでも絡めた舌が見えてしまう
「ん……じゅるっ……かなは……ちゅくっ……すきだ……」
「ゆふとくん……じゅっ……しゅきっ……ちゅる……」
唾液が漏れるのも構わず、ひたすらに愛を伝え合う。
強く、激しく、情熱的に、お互いを求めあう。
愛の無い凌辱など許さないと言わんばかりに、激しく愛を主張し合う。
そのあまりの濃密さに男は怒るのも忘れ現実感の無さに呆然としていた。
そうして何分、何十分経ったのか。
ふたりはようやく顔を離す。
とろんとした目つきは恋に溺れているようにも見えるが、今の二人はやるべきことを忘れてなどいなかった。
「て、て、て、てめぇら。おまえ、何を」
状況が飲み込めない男に向かって彼方が告げる。
「ここから出て行ってください」
先程と同じセリフだ。
ここから出て行けと。
家族の想い出の家であり、優斗との愛の巣でもあるこの場所から出て行けと。
冷静に、冷たく言い放った。
「アレがどうなっても……!」
「ここから出て行ってください」
「な!」
彼方はもうほとんど震えていない。
『アレ』の脅しにも屈しない。
堂々とその場に立ち、力強く宣言する。
「これで三度目です。ここから出て行かないのなら『警察』を呼びます」
「なん……だと……!?」
ついに彼方が自分から『警察』という言葉を口にした。
しかも呼ぶとまで言い切ったのだ。
その瞳や態度はあまりにも堂々としており、虚勢だと疑う事すらさせなかった。
男はそんな彼方の様子を見て今度は青褪める。
「やべぇ……やべぇやべぇやべぇやべぇ!」
そして慌てて彼方の家から逃げ去ったのである。
それもそのはず、男は優斗の事を知っているのだ。
彼方が『アレ』や『警察』を乗り越えたのだとしたら、待っているのは人脈チートの力による蹂躙なのだから。
彼方を巡る事件は、最終局面を迎えようとしていた。
「優斗君!」
「彼方!」
「ん……くちゅ……ぴちゃ」
「はむ……むちゅ……じゅる」
そんな重大な場面だと言うのに、二人はまた盛り出してしまったのだが。
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