11. 恋じゃん
「何かがおかしい」
彼方の様子では無い。
彼方の家の様子だ。
模様替えした訳でもないし、誰かがこっそり侵入した形跡がある訳でもない。
でも何か違和感がある。
いつもと何処かが違う気がする。
それが何なのか分からなくてどうにも気持ち悪い。
「何のこと?」
彼方に聞いても可愛く首をかしげるだけだった。
「気のせいなのかなあ」
思い当たることが無いのなら気にするだけ無駄な話。
今はそれよりもやるべきことがあるのでそちらに集中しなければ。
「わから~ん!」
テスト勉強。
夏休み直前の大きな関門。
ここを乗り越えられなければ追試という罰ゲームが待っている。
優斗は決して成績優秀では無い。
平均点に届けばラッキーくらいの成績で赤点に掠りそうな時もある。
しかもここしばらくは色々なことがありすぎてまともに授業を受けられていなかった。
このままでは赤点必死なのである。
高校二年生の夏休みという最も青春を謳歌出来る期間を減らしたくはなかった。
それに彼方を一人で家に置いていくというのも心配でならない。
頑張らざるを得なかったのだ。
だがありがたいことに優斗は一人では無い。
分からなくても教えてくれる仲間がいる。
「ここはこれをこうしてこうでこう」
「なるほど!」
しかも教え方が上手で分かりやすい。
気持ち良いくらい頭の中に内容が染み込んで行く。
「彼方のおかげでなんとかなりそうだよ」
「油断しない」
「は、はい」
ややスパルタだった。
「彼方って頭が良いんだな」
「そうでもないよ」
「でも特に勉強してないのにこんなに分かってるじゃん」
「授業を聞いてたら大体分かるよ?」
「(天才肌だったか……)」
授業を一度聞いただけですべて理解して覚えられる天才。
優斗はそう思ったが直ぐに思い直す。
それにしては成績上位者の名前で見たことが無いなと。
「彼方っていつも成績どのくらいなんだ?」
「平均より少し上くらいだよ」
「あれ、もっと高いのかと思ってた」
「応用とか授業でやってない範囲とかが苦手だから……」
「ああ、なるほど」
彼方が分かるのはあくまでも授業で聞いた範囲に限られているようだ。
本気で勉強すればもっと上を目指せるのかもしれない。
「(でもそうか、授業を聞いてたのか……)」
優斗は私生活のことでいっぱいいっぱいで先生の言葉が全く頭に入らなかった。
一方で彼方は心ここに在らずといった感じなのにしっかり聞いて覚えているという。
「(根が真面目で優等生なんだろうな)」
だからこそ無意識でも当たり前に勉強をしてしまっていたのかもしれない。
あるいは勉強をすることで嫌な現実から目を逸らしていたのか。
真実は分からないが、特に確認する必要も無いだろう。
「集中出来ない?」
「え、ああ、勉強はあまり好きじゃないからな。やらなきゃマズいのは分かってるんだが……」
最低限赤点を回避出来れば良いかな、くらいの低い志であるがゆえ集中力が持続しない。
勉強が苦手な者にとってモチベーションを高めるのは至難の業なのである。
「それじゃあ頑張ったらご褒美をあげる」
「え?」
特別に手の込んだ料理か、それとも何かを買ってくれるのだろうか。
優斗はその程度のことしか予想していなかった。
今の彼方ならばいつ爆弾を放り投げて来てもおかしくないと分かっていたはずなのに忘れていた。
「平均点を越えたら何でも言う事を聞いてあげる」
今だって優斗の言う事を聞いてくれてるじゃないか。
ご褒美にならないだろう。
「な、何でもって、おい!」
それなのに優斗は慌ててしまった。
全ては『何でも言う事を聞いてあげる』という台詞に魔性のニュアンスが篭められているがゆえ。
そのニュアンスに強く反応してしまい、優斗はチラリと視線を下にやる。
「えっちなことでも良いよ」
「!?!?!?!?」
彼方のセンシティブな部分を見てしまった優斗の視線に気づいたのか、直接的な表現で『許可』を出す。
彼方が今の状態になってからは優斗への接触が減りベッドに強引に引き込むようなことも無くなった。
それは性的なことを意識しているがゆえの変化だと優斗は思っていた。
実際、ここしばらくの優斗は彼方に性的な意味で振り回されることは無くなっていたのだ。
しかしここに来てそれが唐突に解禁された。
しかも彼方は相変わらず感情が薄く、照れているようには見えない。
「ちょっと待って彼方。そんなこと言って恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいよ」
なんと彼方は『恥ずかしい』という感情を抱いていたようだ。
感情が表に出ていないから分からなかったけれど、彼方は照れという感情を確かに抱いていた。
ということはこれまでの言葉は……
「恥ずかしいけれど、本当はもっと傍に居たいし触れ合いたい。だから篠ヶ瀬君が望むなら…………いいよ?」
いいよ。
いいよ。
いいよ。
脳内で彼方の言葉がリフレインする。
勘違いしようがない。
彼方は表には出さないが『恥じらい』を感じていて『えっちなこと』を『いいよ』と言った。
そして過去の『好きな人』発言の裏にもその『恥じらい』があったとしたら。
彼方は優斗の事を。
「痛っ!」
「彼方?」
突然彼方が頭を両手で抑えて顔を
「おい、大丈夫か?」
「…………う、うん」
どうやら頭痛に悩まされている様子だ。
「(前にもこんなことがあったな)」
二人が出会ってから起きたことを彼方に説明した時の事。
あの時も彼方は頭痛に苦しんでいた。
「(どうする。やっぱり病院か?)」
再発したら強引にでも病院に連れて行く。
そう思っていたが、彼方が錯乱すると思うと決断出来ない。
「大丈夫。本当に大丈夫だから」
「彼方、そうは言っても」
「なんかね、何かを思い出そうとすると頭が痛くなるの。だから多分これも心の問題」
「心の問題……」
「私にとって一番のお薬は篠ヶ瀬君が傍に居てくれることだよ」
「彼方」
「だからお願い。信じて」
彼方は分かっているはずだ。
ここで無理をして何かあったら優斗が何を思うか。
他ならぬ自分がそれを体験中なのだから。
心優しい彼方であれば、優斗のことを考えて何とかして病院に行こうと考えるのが自然だろう。
その彼方が大丈夫と言っているのだ。
「分かった。でもその記憶とかと関係なく痛んだらちゃんと言うんだぞ」
「うん、ありがとう」
さてどうするか。
緊急では無かったとはいえ、今の彼方をこのままにしておくわけにはいかない。
「部屋に戻って休むか?」
頭痛が治まるまでベッドで横になるのが良いだろう。
「ううん」
しかし彼方は断った。
「本当に大丈夫か? 心配だよ」
痛みが治まっても、痛んだことによる不安や疲れが溜まっているはずだ。
仮眠でもして心と体を休ませてもらいたかった。
「もう大丈夫だから」
確かにそう言う彼方の雰囲気はもう元に戻っていた。
しかし本心を隠しているのかもしれない。
「いや、やっぱり休もう。部屋に行こう」
「ダメ」
「彼方、自分を労わってくれよ」
「ダメ」
「どうして?」
彼方が珍しくここまで頑なな理由。
それは優斗の気持ちを大きく変えるものだった。
「夏休みも篠ヶ瀬君と一緒が良い」
だからちゃんと勉強して赤点を回避して欲しいと。
そのために勉強を教えたいと。
そう少し照れた様子で言ったのだ。
これまで全く見せてこなかったその『照れ』が優斗にクリティカルヒットだった。
バッチーン! と強烈に勉強やる気スイッチが入る。
あまりにも強烈過ぎて壁ごとスイッチを破壊しそうな程の勢いだ。
優斗はこれまでの人生で最も集中してテスト勉強に勤しむのであった。
――――――
「彼方が俺のことを……」
その日の勉強を終えて彼方が風呂に入っている間のこと。
優斗は部屋をうろつきながら彼方の『いいよ』を思い出して悶々としていた。
彼方が優斗に寄せていた『好意』の正体。
感情表現に乏しいからこそ分からなかった想いの正体。
「いや、でも恩を感じているだけで別に異性として好きってわけじゃ……」
なんて言い訳をしようと思うけれども、全く説得力が無いことに気付いている。
「俺は……」
彼方のことをどう想っているのだろうか。
異性として好きだと想っているのだろうか。
『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にいつかきっと会えるわ』
『その人と一緒に幸せになってね』
また母親の言葉が脳裏に蘇る。
「うっ……」
ぼぅっとしてしまったからか、よろめいて壁に手を突いた。
その手に壁の硬さとは違う感触が伝わって来る。
「これは……あれ?」
その場所は落書きを隠すために彼方の写真を沢山貼った場所だった。
あの時は彼方に無言で怒られたけれども直すのを忘れていた。
しかし優斗が触れた写真はまったく見覚えが無いものだった。
いつの間にか違う物に貼り替えられていたのだ。
「まさかこれって……」
そこに映っていたのは優斗だった。
「おいおい、マジかよ。いつの間に」
改めて壁を確認してみると、無表情な彼方の写真はほとんど無くなっていた。
その代わりに優斗の写真や彼方とのツーショットの写真が貼られている。
「こんなのいつ撮ったんだよ!」
優斗が寝ている姿や勉強している姿、肩を寄せ合い二人でソファーに座っている写真なんかもあった。
隠し撮り写真満載だ。
写真で隠されているとはいえこの裏にはおぞましいものが隠されている。
それゆえ優斗は無意識にここから目を逸らしていた。
これまで変化に気付かなかったのはそれが理由だった。
部屋に違和感を覚えていたのもこれが原因である。
「は、はは……」
自宅の壁にどうでも良い相手の写真なんて貼るわけが無い。
貼るとしたら家族か、親友か、あるいは恋人か。
心許す相手、一緒に居たいと思える相手に決まっている。
これもまた彼方の優斗への想いの一つ。
感情が薄く見えても、しっかりとこうして表現していた。
「これはあの時の」
駄菓子屋で撮ったツーショットの自撮り写真を見つけた。
彼方が強引に顔をくっつけようとするから、優斗は真っ赤になってしまっている。
対照的に彼方は柔らかく微笑んでいる。
「ああ、俺はなんて馬鹿だったんだ」
しかしその微笑みを良く観察してみると、僅かに照れているのが見て取れた。
写真だからこそ、じっくりと見ているからこそ気付けた微かな表現。
優斗はもうその表情の意味を知っている。
「恋じゃん」
ついに優斗は彼方の想いを認めた。
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