7. 楽しく悲しもう

「お父さんは普通のサラリーマンだったの」


 錯乱の状態異常が回復して落ち着いた後、彼方は父親について話してくれた。


 亡くなった父親の事を思い出すのは心に負担がかかるのではと思い優斗は反射的に止めようとしたけれど、彼方が聞いて欲しそうに見ていたので素直に耳を傾ける。


「夜遅くまで働いて帰って来ないことも多かったけれど、たまの休みには何処かに連れて行ってくれる。学校での話を嬉しそうに聞いてくれて、悪い事をしたら叱ってくれる。そんな優しい人」


 家族のために一生懸命働いて、娘である彼方へ惜しみない愛情を注いでいる。

 彼方の視点ではそんな理想の父親に見えていたのだろう。


「でも最近は仕事が忙しいのかほとんど家に帰って来なくて、いつも疲れたような顔をしていた。やっぱり無理してたのかな」


 残念ながらそこは優斗には分からないところだ。

 彼方の父親を見たことが無いし人となりも知らない。

 無責任に慰めることも出来ない。


 それでも彼方は決して不満になど思わない。

 聞いてもらえるだけで良かったのだろう。


「でももしあれが本当なら二千万なんて大金、何に使ってたんだろう」


 何故突然父親の話を始めたのか。

 それはこの疑問を聞いてもらうためだったのだろう。


 父親について話をして優斗に情報を与えることで、弁護士に話をせずにどうにかならないかと相談したいのかもしれない。


 もちろんこれは優斗が勝手に思いこんだだけで、本当にただ聞いてもらいたかっただけかもしれない。


 しかしたとえ勘違いでも構わないと、優斗は彼方のために必死に頭を巡らせた。


「まずはあれが本物かどうか調べてから考えようよ」

「そう……だね」


 そもそもまだあの督促状が本物と決まったわけではないし、詐欺の可能性の方が高い。

 そんな偽物かもしれないものを相手に本気で悩む必要なんて無い。


「お父さんは何かを残してなかったのかな?」

「何か?」

「うん、例えば借用書とかが残されていると思うんだ」


 送られてきたのは督促状だ。

 となると最初にお金を借りた時の借用書があるに違いない。


 大事なものだからきっと大切にしまってあるはずだ。


「(あ、やばい、ミスった)」


 大切にしまうのならば、リビングなどに放置しているとは考えられない。

 一番可能性がある場所は両親の部屋。


 しかしそこは未だに彼方が足を踏み入れようとしない禁足地だった。


 彼方の心の傷を抉るような提案だったかもしれない。


 優斗は顔面蒼白になるが、借用書を探すというのは至極真っ当な意見でありどう訂正して良いか分からない。


 焦る優斗とは対称に彼方はとても冷静だった。


「うん、そうだね」


 力強く頷いて立ち上がった。

 そしてそのまま閉ざされた部屋へと向かう。


「彼方。無理しなくて良いんだぞ」


 その背に優斗は優しく声をかける。


「ありがとう。でも篠ヶ瀬君のおかげで向き合う勇気が出来たからきっと大丈夫だよ」

「彼方……」


 彼方は優斗に向けて優しく切ない笑みを浮かべて軽く深呼吸した。

 そしてゆっくりとその部屋の扉を開ける。


「(ああ、そうだったな。こんな感じだった)」


 優斗もまたこの部屋には入らないようにしていた。

 必要無かったというのもあるが、彼方がこの部屋の事を意識しないようにと意図的に存在を無視していたのだ。


 だから入ったのは彼方と出会ってすぐの頃だけ。


 相変わらず部屋の中は荒れていて、衣服がぶちまけられている。


「(改めて見ると服の数が少なくないか?)」


 二人分の洋服を入れるクローゼットはそれなりに大きいが、床に散らばっている衣服を全部戻してもスカスカになりそうだ。

 それにシャツや下着などの安っぽい衣服ばかりが散らばっていて、コートのような上着が一切見つからない。


「(なんだこの違和感は)」


 優斗はその不思議な状況に気をとられてしまい、彼方から目を逸らし続けてしまっていた。


「(しまった。彼方!)」


 慌てて彼方に視線を戻すと、彼方はある方向を見て硬直していた。


「(あれは俺が置いた……)」


 ベッドの上に置かれた遺影。


 優斗がリビングから移動したもの。


 両親の死を直接的に表現するもの。


「お父さん……お母さん……」


 彼方は棒立ちのまま両親を呼ぶ。


「おどうざん……おがあざん……」


 これまで何度流れたか分からない涙がまたしても零れ落ちる。


「なんで死んじゃったの……会いたいよ……う゛っ……う゛う゛っ」


 歯を食いしばり涙でぐしゃぐしゃになる顔を隠そうともせず、彼方は静かに泣き続ける。


 悲しみ、絶望し、心を壊し、死のうとすら思ってしまった彼方。

 しかしそれらはあまりにも辛い現実から逃げるための行動だった。

 様々な負の感情からどうにか耐えるための防衛反応だった。


 だが逃げるばかりでは、あるいは耐えるばかりでは心が疲弊し続けるだけだ。

 実際、耐えきれずに全てを捨て去ろうとしてしまったのだから。


 彼方がやらなければならないこと。

 それは両親の死を受け入れること。


 逃げるのではなく、耐えるのではなく、受け入れる。

 その最も難しいフェーズがやってきた。

 優斗がそこまで導いてくれた。


「おどうざん……おがあざん……」


 この時彼方は両親の死を受け入れる第一歩を踏み出した。


 優斗はその姿を見守り続ける。


――――――――


 結局両親の部屋からは借用書は出てこなかった。

 そのため督促状についての話は一旦打ち切りとなった。


 というか、それどころでは無くなった。


 彼方が新たな日課を始めたからだ。

 両親の部屋に入って一時間泣き続けるという日課が。


 優斗はその間リビングのソファーに座って待っている。


「(このままで良いのかな)」


 彼方が日課をこなしている間、優斗は今後の方針を考える。


 家族の死を受け入れることは難しいと優斗は知っている。

 それこそ何年経っても受け入れられないことだって普通のことだ。


 でもだからと言って、いつまでも暗い気持ちのままというのは何かが違う気がする。

 楽しく生きながら正しく悲しむ。

 それが大切な事なのではないかと優斗は思った。


「(普段の彼方はいつも通りだからそんなに気にする必要は無いのかもしれないけれど)」


 気持ちにメリハリをつけているのか、彼方が悲しむのは日課の間だけでそれ以外に変わりは無かった。


 ただ悲しむのではなく、現実を受け入れようと努力しているのだろう。


 それはおそらく良い傾向。


 放っておけば案外早く立ち直れるかもしれない。


 しかし優斗はそれだけでは満足出来なかった。


「(もっと楽にしてあげたいな)」


 優斗は彼方の負担をもっと減らしたかった。

 もっと楽に現実を受け入れる方法は無いのだろうかと。


「(悲しむだけが受け入れる方法じゃないよな)」


 そして一つの妙案を思いついた。




「これとこれと、お、こんなのも良いじゃん」


 ホームセンターに行って素材を仕入れる。


「彼方のため~にトントントンっと。俺って案外やれば出来るんじゃね?」


 そして工具を使ってあるものを作る。

 彼方にバレないようにこっそりと自宅で。


「お風呂に入ったな。よし、今だ!」


 急いで自宅に戻り出来上がったブツを取って来て、彼方の家のある場所に設置する。


「これで準備完了だ!」


 嫌な予感がする人は正解だと言っておこう。


 優斗の悪だくみ、ではなく思いやりの結果は翌日に明らかになる。


 それは彼方が日課をするために両親の部屋に入った直後のこと。


「ナニコレ!?!?!?!?」


 今の彼方には珍しい大声が部屋の中から響いて来た。

 それを合図に優斗は中に突入する。


「どう? 俺の力作!」


 彼方は口を開けて金魚のように口をパクパクとさせて驚き固まっている。

 ここまで明確に感情を露わにしたのは弁護士発言で錯乱した時以来。

 つまりそれほどの衝撃を受けているという事だ。


「辛気臭い黒よりもこっちの方が明るくて良いだろ?」


 察しの良い方ならばもう分かっただろう。


 優斗は遺影が必要以上に『死』を連想してしまい必要以上に悲しみを想起させてしまうのではと考えたのだ。


 遺影を明るくすれば悲しみを和らげられるはずだ。

 その方が彼方の心の負担になりにくいに違いないと。




「名付けて『ゲーミング遺影』。これ流行るんじゃね? 俺天才かも!」




 額縁と上部に垂れ下がるリボンはいずれも青や紫を中心とした色で作られていてとてもカラフル。

 さらには電飾をまとわせて額縁全体が光り輝いている。


「これ夜中でも光るんだぜ。超格好良いだろ!」


 どうやら蛍光塗料まで塗ってあるらしい。

 これで停電しても大丈夫だね!


「…………」


 さて、彼方の反応はいかがだろうか。


 ゲーミング好きな優斗と言えども、これはやりすぎかなと思わなくもなかった。

 不謹慎だと本気で怒られるかもとも思った。


 でも完成品を見たらこれしかないと思って迷わず行動した。


 ゲーミング料理を作らせてもらえないことで密かに抱えていたストレスをこんなところで爆発させてしまったのだ。


「…………」


 彼方は錆びついたロボットのようにギギギと音がしそうな感じで優斗に首だけを向けた。


「馬鹿じゃないの?」


 お気に召さなかったのか。

 お叱りの言葉を受けてしまうのか。


 優斗は一瞬背筋が凍る思いをした。


 しかしその後に続く言葉が優斗の恐怖を打ち払った。


「ふ……ふふ……あははは、ほんっと馬鹿みたい。あ~おっかしい。何よコレ、お父さんとお母さんが光って……ふ……ふふ……あははは」


 彼方は笑ったのだ。

 しかも静かに微笑むのではなく、楽しそうにえくぼを浮かべて声を出して笑ったのだ。


 優斗のゲーミングシリーズがまたしても彼方の感情の殻を破った。


「ああ……もう……だめ。笑い過ぎて涙が出ちゃう」


 彼方は涙を拭いながら笑い続け、優斗は楽しく悲しむ狙い通りの姿を見られたことに安心した。

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