生きる気力を無くした同級生を幸せにして『生きてて良かった』と言わせたい

マノイ

第一章 邂逅編

1. ズブ濡れの少女

『お母さん!お母さん!』

『泣かないで、優斗』

『優斗が幸せにしてあげたいと思える人にいつかきっと会えるわ』

『その人と一緒に幸せになってね』


――――――――


「…………なんだよ、まだ日が変わったばかりじゃないか」


 篠ヶ瀬ささがせ 優斗ゆうとがスマホで時間を確認すると、深夜の一時になるかどうかといった時間帯だった。


 高校から帰ってからの記憶がほとんど無く、どうやらベッドに横になっていたらこの時間まで眠ってしまったらしい。


「ふわぁあ、腹減りまくりんぐ」


 欠伸が出たものの、しっかりと目が覚めてしまっている。

 意識と共に体も覚醒したのか、夕飯を与えられなかった育ち盛りの体が空腹感を訴える。

 洗面所に向かい顔を洗い流すと、今度はキッチンに向かい冷蔵庫の中を確認した。


「何もナッシング、と」


 見事なまでに空であり、部屋の中にも小腹を満たせるものが無かった。

 食べるものが無いことが分かると、急激に空腹感が強くなるから人体とは不思議なものだ。


「しゃーない、背徳の深夜のコンビニ飯だ。ぐへへへ」


 おにぎり、お弁当、カップ麺、総菜、お菓子、パン。


 どのカロリー爆弾を口に流し込んでやろうかと考えると涎が止まらない。

 しかしそのワクワクは直ぐに萎むことになってしまう。


「うげげ、雨かよ」


 叩きつける様な強い雨が降っていたからだ。

 いっそのことこのまま眠ってしまおうかとも考えたが、空腹感がそれを許してくれない。


「めんどめんど」


 濡れても良いようにとジャージに着替え、傘を手にマンションの玄関から外に出た。


「うひょ~傘が破けそうだぜ」


 まるで滝に打たれているかのような激しい圧力を受けて思わず両手持ちに切り替える。

 幸いにも風が無かったため、足元以外は大きく濡れてはいない。


「長靴でも履いてくれば良かったかな」


 道路の至る所に深い水たまりが出来ており、暗い夜道で豪雨の中ともなればそれが見えずに足を踏み入れてしまう。

 その結果、足首よりも下は酷いことになっていた。


 この状況でコンビニに入れてくれるだろうかと不安に思ったものの、ここで引き返して履き替えるのはあまりにも面倒臭い。

 その結果、なんとかなるだろの精神でこのまま進むことにした。


 目指すコンビニは少し先に見える踏切を越えればすぐそこだ。

 そう思ったのも束の間、優斗の行く手は大きな警報音により遮られた。

 まだ踏切の手前まで到達していないにも関わらず、優斗の足は止まっている。


 カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン


 警報音は激しい雨音に打ち消されること無く鳴り響き、優斗の心をざわめき立てる。

 猛烈に不安を増長させるその響きが、思い出したくもない感情を強引に揺さぶり起こす。


 カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン


 ぐらりと眩暈がして手に持っていた傘を落としてしまう。

 大量の雨が優斗の体を打ち付けるがそれどころではない。


 カァンカァンカァンカァンカァンカァンカァンカァン


 雨に濡れてぼやける視界に暗闇の中で交互に点滅する赤い光が虚ろに見える。

 まるで周囲の時間が遅くなったかのような感覚に陥り、意識が夢現へと切り替わろうとしている。


 カァァァンカァァァンカァァァンカァァァンカァァァンカァァァンカァァァンカァァァン




 お母さん!お母さん!

 死んじゃ嫌だよ!一人にしないで!


「あれ、ここって、病院?」


 まさか先程までが夢であり、こちらが現実だったのか。

 気が付けば優斗は見覚えのある病院の中に居た。


「ここは……」


 そしてある病室の扉の前に立っていた。


 その扉を開けてはならない。


 心がそう警鐘を鳴らしているにもかかわらず、体が勝手にそれを開けようとしてしまう。


「いやだ、いやだ……!」


 ゆっくりと扉が開けられ、目を閉じることも背けることも許されなかった。


 病室内にはベッドに横になる女性と縋りつく一人の少年が……




「っ!?」


 突然、視界が強烈に白く染まった。

 その衝撃故か、意識が現実に引き戻される。


「あ、あれ?」


 そこは深夜の踏切の近く。

 豪雨に打たれながら優斗は立っていた。


 雨音と警報音に混じってゴロゴロと何かが振動するような音が聞こえてくる。

 雷が近くに落ちたのかもしれない。


「ふぅ」


 不思議なことにあれほど嫌だった警報音が今はもうなんともない。

 

「つーか、なんでこんな時間に踏み切りが鳴るんだよ」


 優斗は不安を煽る音が苦手であった。


 踏切の警報音、パトカーや救急車のサイレン、緊急地震速報。


 それゆえ、この踏切を通る時は電車が通らないタイミングを狙っていた。

 すでに日が変わり終電が終わっていると思っていたが、運が悪かった。


「なんだ、貨物列車か」


 それなら時刻表を見ても分からないはずだ。

 警報が鳴ってから大分時間が経ったように感じたが、まだ貨物列車ははるか遠くに見えるため先程の異常事態は一瞬の事だったのかもしれない。


「流石に帰るか……あれ?」


 全身ぐしょぬれでは流石にコンビニに入れないだろうと思い引き返そうと思った時、踏切の中に誰かが立っているのが目に入った。

 大雨で良く見えないけれど、確かにそこには人が居た。


「女の子?」


 暗闇の中で良く見えないけれど、うっすらと女子用の制服を着用しているのが分かった。


「何やってんだよ!」


 その人物は踏切内で立ち尽くしたまま動こうとしない。

 まるでこのまま電車に轢かれることを望んでいるかのように。


「っざけんな!」


 優斗は迷わず駆け出した。


 まだ貨物列車は遠くだから間に合うはずだ。

 いや、きっと間に合わせてみせる。

 決して死なせはしない。


 水を大量に吸った運動靴が重い。

 深い水たまりに足を取られる。


 だがそんな障害など全く気にならない。

 今の優斗には女の子を救う事しか頭に無かった。


「おい! こっちだ!」


 遮断機をくぐり、女の子の手を強引に引いた。

 ここで女の子がなんとしても死にたいと願い、その場から離れようとしなかったのならば危なかったかもしれない。


 だが女の子は全く抵抗することなく素直に手を引かれた。

 いや、むしろ抵抗しなさすぎだったことが問題だった。


 全身に全く力が入っていないようで、よろけるように足をもつれさせ転倒してしまったのだ。

 幸運にも線路の外に出てからだったため事なきを得たが。


「はぁっ、はぁっ、あっぶね~!」


 かなり余裕をもって救出したが、間一髪のような錯覚を覚えた。

 豪雨で視界が悪く、不安を煽る警報により焦っていたからだろうか。


 ほんの僅かな距離を走っただけだというのに、優斗の息はあがっていた。


「おい、大丈夫か?」


 女の子は顔から地面にダイブした状態のまま、ピクリともしない。

 優斗としては怒鳴りつけて叱りたい気分だったが、死のうとしていたと思われる人間に大声をあげるのは憚られた。

 それが原因で再び死のうと思われても困るからだ。


「そのままじゃ風邪ひくぞ」


 それゆえ、優しく声をかけて体を起こしてあげた。

 そこでようやく優斗はその女の子の顔を見た。


「!?」


 雨に濡れ、地面に伏せたことで顔は盛大に汚れている。

 せっかくの可愛い顔が台無しだ、なんて台詞は思い浮かびもしない。

 何故ならその女の子の目が何も映っていないかのように虚ろだったから。


「あ……ああ……」


 優斗はその目の意味を知っている。

 何度も何度も繰り返し見たものとそっくりだったからだ。


 その空虚な瞳が意味するもの。


 それを人は『絶望』と呼ぶ。

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