第37話

 ジョスランとしては、周囲の警戒を怠ったつもりはなかったが、結果として甘かった。


「宰相の顔を立てて、卒業パーティーの最中にお前を連れ出し、内密に終わらせようとしたのだが、無駄になったな」

「なぜ、そうしなか……った……」

「おかしな騒ぎを起こしたからだ。こんな騒ぎが起こったら、パーティーが中断され解散になる可能性が高い。そして、その後にお前が何をするか分からないからな。逃げられでもしたら困る」


 ノーラを殺害した後の工作からも分かるとおり、ジョスランは突発的なアクシデントに弱い。


 だがもう一人はジョスランよりも、動くことはできた。


「……んっ! あ…………」


 張り詰めた空気の会場に、奇妙な声が響いた。声を発したのはハルトヴィンで、ナディアを力強く抱きしめていた。

 この状況で何をしているのだろう……と思った者が大半だったが、事態を把握している者もいた。

 ハルトヴィンは目を見開き、ナディアを強く抱きしめていた腕から力が抜け、膝を折る。

 折った膝が床を強く叩き、大きな音が上がる。

 ハルトヴィンの腕から解放された形のナディアが一歩引くと、ハルトヴィンは自身の脇腹を両手で包み込んでいた。


「あ……お……」


 前のめりになり、力のない奇声を上げ――指の間から何かが垂れた。それが血だと誰かが気付き、


「血だ!」

「殿下が負傷なされた!」


 会場は騒ぎに包まれた。


「バカな男よね。あの女、バースクレイズ王朝を滅ぼそうと近づいたのだから、殺害に走るのは、分かっていたことじゃない」


 ハルトヴィンの脇腹には、不自然なものが突き立てられていた――小型のナイフだった。


「真実の愛? だと、さきほど愚か者が言っていたな」

「そう。お前、衆目を集めなさい」


 王子が襲撃され、要人たちが騒いでいる中、命じられたトリスタンは、腰に下げていた儀礼用のザハルの柄を持ち、会場の高い天井すれすれのくうを切った。

 その異音に誰もが動きを止め、会場は再び静まる。


「ハルトヴィンのせいで、祝いが台無しになったわ」


 カサンドラが軽く手を叩いて、話し始めた。


「あなたも、一役買ったと思うけれど、カサンドラ」


 卒業生の一人オデットが、悔しくなさそうに答える。


「わたくしは、なにもしていないわ」

「よく言うわ」

「でもわたくしは優しいから」

「本当によく言うわ。それで?」

「わたくしの叔父クルトが経営しているホテルがあるでしょう? そちらで代わりのパーティーを開くから、みな、いらっしゃい」

「あら、用意がいいのね」

「何を言っているのオデット。用意なんてしていないわよ。これから用意させるのよ」

「わたしも参加してよいかな」

「好きになさい、カエターン」


 そんな話をしながら会場を去り――卒業生と在校生、そして政治の中枢とは関係のない父兄も会場を出ていった。


 急遽開かれたパーティーだが、型どおりの卒業パーティーとは違い、マジックや大道芸などさまざまな余興が行われ大盛況で、翌年から卒業パーティーはマクスウェル資本に任されることになった。


「疲れてしまったので、先に失礼させていただく。とても楽しかったよ、闇の女王」


 カエターンが挨拶をして会場を後にする。

 

「お前たちの皇帝って、嘘をつくの下手なのね」


 グラスを片手にカサンドラの両脇に立っていたトリスタンとメリザンドは、


「なんと言うか」

「まあ」


 カエターンに「付いて来る必要はない」と言われていたので、会場に残って見送った。


「お前たちでも、言葉を濁すのね。ところで、お前たちなら分かるでしょうけれど、ハルトヴィンの傷の具合はどの程度?」

「命に関わることはないですね」


 メリザンドからの答えに、カサンドラは少しだけ肩をすぼめた。


「そう。

「そんなことより姫さま、休みはトラブゾン領に帰るの?」

「帰るわよ。なに、お前たちも付いて来るつもりなの?」


 カサンドラの問いにメリザンド


「残念ながら仕事があるので」


 一緒に行けないと答えた。


「残念でもなんでもないのだけれど。お前たちって下らなくて面白いこと言うのね」

「姫さまの、そういうところ好き」

「俺も好き」


 パーティーが終わってこの二人が離れたあと、ロザリアに「いつからあなた、猛獣使いになったの」と聞かれ――


「神代の時代からよ」


*************


 ナディア・ラモワンに右腹を刺されたハルトヴィンは、人気のなくなった卒業パーティーの会場へと駆けつけた医師たちによって手当がなされた。その手当の最中に意識を失ったものの、傷は、内臓には達しておらず、若く体力もあるので、傷口を清潔にして安静にしていれば、十日ほどで回復する程度のものだった。


「……っ!」


 カサンドラが急遽、生徒と無害な家族を招いて開いたパーティーの後片付けが終わった頃、ハルトヴィンは腹部の傷の痛みで目を覚ました。

 最初は意識が朦朧としていたが、覚醒するにつれ自分が自室のベッドに寝ていることを理解し、呼び出しベルに繋がっている枕元の紐を引っ張った。


「遅い……」


 普段であれば、すぐに侍女がやってくるのだが、今日は随分と遅く――


「遅いぞ! わたしは大怪我を負っているのだぞ!」


 ドアが開くと同時に、怒鳴りつける。


「大怪我……か」


 間接照明の柔らかい明かりに照らされた、ハルトヴィンの寝室に現れたのは護衛と側近、計十名ほど伴ったハルトヴィンの伯父オルフロンデッタ国王。


「伯父上! 傷が痛むので薬を! 医者を!」


 ベッドの側まで近づいてきたオルフロンデッタ王は、大声で叫ぶ甥のハルトヴィンを見下ろしながら、


「ハルトヴィンが死んでしまった以上、バースクレイズからは手を引いたほうが良いであろうな」


 ハルトヴィンが死んだと宣言し、


「はい、陛下」


 側近も追従する。


「伯父上、変な冗談を言わないでください。わたしは、怪我を負っていますが、この通りです!」


 痛む体を捻り、体を起こすが、オルフロンデッタ王はハルトヴィンを


「甥の卒業を祝いにきたのに、まさか甥の葬儀に参列することになるとは」

「世の中はまま成りませんな」


 先ほど追随した側近とは、また別の側近が答える。やはり彼もハルトヴィンを見ているのだが、無視しをしている。


「伯父上!」


 大声で叫んだことで腹部に力が入り、痛みに顔を歪ませる。それと同じタイミングでドアが開き、六名の男性が棺を担いで入室した。


「お、伯父上! どういうつもりですか!」


 痛みを堪えながら叫ぶが誰も答えず、棺は部屋の中央に置かれ、オルフロンデッタ王が伴った護衛二名が、シーツを剥がしてハルトヴィンの両腕を掴み、ベッドから引きずり降ろす。


「伯父上! なんを! なあ! なんのつもりだあああ!」


 ハルトヴィンは”じわり”と、腹部の傷から血が滲み出すのを感じた。

 寝室は広いが、広大ではない。すぐに棺が置かれたところまで連れていかれ、蓋が開けられた棺の中放り込まれる。


「っ!」


 傷の他に体を打ちつけられた痛みで声をあげ――事態をまったく把握できてはいないが、急いで棺から脱出しなければと底に手をつくと、掌にぬるりとした感触。そして手が滑り体勢が崩れ体勢を崩す。


「寂しくないように、いれておいた」


 オルフロンデッタ王の言葉と共に、ハルトヴィンが放り込まれた棺にランタンが近づけられ、自分が今居るところが照らし出される。

 ハルトヴィンの手は赤黒い液体に染まり――自分の腹部からかと思ったが、違うことがすぐに分かった。


「ひっ!」


 棺の中には目を見開いたまま、事切れているナディアがいた。光を失って濁った瞳、鼻と口から流れている血液。そし鎖骨から腎臓に掛けて大きく斬られた体、そして流れ出した血液。

 驚きの声をあげていると、ぎぃぃという音とともに、ハルトヴィンの視界が仄暗くなる。

 ハルトヴィンは急いで手を伸ばしたが、棺の蓋は当然のように指を潰して閉じられ、棺には速やかに釘が打たれた。


「――――――」


 鉄の棺の内側から、叩く音と声にならない叫びが少しの間聞こえてきたが、じきに収まり、オルフロンデッタ王はハルトヴィンの寝室を出た。


(欲をかきすぎたか)


 ハルトヴィンはオルフロンデッタ王と妾の間にできた息子だった。


**********


「お前は先王の子だ」


 叔父のティミショアラ公爵に”そう”言われたフレデリカは、言葉を失った。

 パーティー会場での騒ぎのあと、フレデリカはティミショアラ公爵によって公爵邸へと連れ戻され、執務室の床にたたき付けられるように放り投げられてから、告げられた。


「トーマスはフランチェスカと共に地方で身を隠し、エーリヒを身籠もった。そんなトーマス王とフランチェスカの一族が捕らえられたあと、王都に戻ってきてから、アグネス王妃と子どもを作ったとして、二人の一才程度の年齢差で収まると思っているのか?」


 ティミショアラは淡々と語った。

 花害による食糧支援を受けるためには、オルフロンデッタ王家との婚姻が絶対条件。それを完遂すべく、先代王はオルフロンデッタ王に「彼の子」を、アグネス王妃の子として育てることを持ちかける。


 オルフロンデッタ王はこの提案に乗り――ハルトヴィンはトーマスとアグネスの子として王家に迎えられた。


 バースクレイズ王家の血をまったく引いていないハルトヴィン、なのでハルトヴィンの妻はバースクレイズ王家の血を引いている必要がある。

 ティミショアラ公爵家は王家の傍系だが、できるならばもっと血が近いほうがいい。そこでティミショアラ公爵家は、フレデリカの母親を一族の男と結婚させてから、密かに先代王へと差し出した。

 フレデリカの母親は先代王の子を妊娠し、運良くハルトヴィンと同い年の女児が誕生した。

 この一連の行動は、王家に対する忠誠心もあるが、


は身持ちが悪い女だった」


 ティミショアラ公が吐き捨てるように言った通り、フレデリカの母親の身持ちの悪さも一因だった。そして蔑みの眼差しをフレデリカに向ける。


「一線を越えていなければ良いと、婚約者以外の異性と口づけをし、胸を揉ませ、しゃぶるような女だった。生まれてすぐに、あの女から引き離して教育したが、お前はあれの血を強く引いたようだな」


 フレデリカの母親は公爵令嬢なので婚約者はいたが、家の使用人との度を超した触れあいを婚約者とその供たちに目撃され、婚約は破棄となった。

 破棄後に詳しく調査したところ、相手はこの一人だけではなく、片手では足りないほどだった。


「北の棟でエーリヒに易々と体を許している姿は、お前の母親にそっくりだった」

「ご、ごぞ……んじ……で……」


 いままで誰にも知られていない、二人だけの秘め事だと信じていたフレデリカは、歯の根が合わず震える。


「エーリヒが隔離されたのは遺跡の中でも、使い道が分からない箇所が多い場所だ。そしてエーリヒの婚約者を含む一族は、神代から続いている一族。お前たちの行動など、最初から筒抜けだった」


 目を見開き涙を流すフレデリカだが、王妃になるために教育を施されていたのに、そこまで考えが及ばないフレデリカのほうが、どうかしているとしか言えない。


 ティミショアラ公は倒れたままのフレデリカに、膝を折って目線を合わせ――顎を乱暴に掴む。


「お前の身持ちが悪くなければ、わたしも手を尽くしてやったが、この先のお前の未来はお前自身が招いたことだ」


 フレデリカは叔父の言動から、この先自分がどうなるのか? その不安に押しつぶされ、意識を失った。


 その後のフレデリカだが、元宰相のギヌメール侯と結婚し王妃となった

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