第21話

 フォス王国を滅ぼしてバースクレイズ王国が興った――バースクレイズ王国史に興味のないカサンドラでも、一般教養の範囲のことなので知っている。

 同じくカサンドラにとって興味のないいことだが、かつてったフォス王国についても、に知っている。

 このだが、バースクレイズ王国に残るフォス王国の文献よりも、精度が高い――ゼータ家は文献だけではなく、文化や芸術品、さらには民芸品や日常品などの品も保存するので、その知識量は膨大。


 帝国が興った大陸にも、ゼータ家と同じような神代から続く古家はあったが、帝国の前身の王国が滅ぼし、保存されていた貴重な品々が散逸して久しい。


 その品々の半分以上は、品々の価値を知っている地中海を挟んだ対岸のゼータ家が回収したのだが――



「――侯爵家が神花の王家の血を入れて……ってのが、ポイントなのでは?」

「捨て身の作戦ということ?」

「そうなるんじゃないか?」

「……言われてみれば、関係者が何人かいるわね。ふーん、そういうこと」


 カサンドラは入寮してすぐの頃の出来事を思い出し――あの時は「そういうこともあるだろう」と軽く流したのだが、トリスタンの指摘を受けて少し考え直した。


「え、なに姫さま、思い当たる節とかあるの? 教えて! 教えて!」

「耳元で騒がない。そして知りたいのなら、お前もなにかわたくしに、有意義なことを教えなさい」


 耳元で騒ぐのでカサンドラは体を少し捩り、離れようとするが、トリスタンに腰をがっちりと押さえられてしまい降りることができなかった。


「お役に立つかどうかは分からないが――」


 離れようとするカサンドラを押さえ、耳元へと口を近づけ、トリスタンは「イーサンという男が、ジョスラン・ギヌメールに殺されかかった」ことを教えた。


「イーサンが放り込まれた穴には、既に先客がいた。若い娘だった」

「本当に死んでいたの?」


 イーサンが少々の怪我で済んだのだから、同じくジョスラン・ギヌメールの仕業ならば、若い娘でも生きているのではないかとカサンドラは思ったのだが、トリスタンが否定する。


「イーサンは念のために脈を取ったが、脈を取る必要もないくらい体は硬直し、間違いなく死んでいたそうだ。俯せだったから顔までは確認しなかったが、若い娘は全裸だった」

「なんで全裸って分かるの?」


 穴から這い出して逃げるというときに、随分と余裕ね……と。それに対する答えは、


「遺体の確認に来られたら困るから、墓地から男性の遺体を拝借して埋めに戻った。その時穴を掘り返して、全裸なのが分かった……と言っていた」


 逃げてそのままではなく、偽装工作のために引き返したと聞かされ――イーサンはジョスラン・ギヌメールよりも、よほど用意周到だった。


「宰相の養子がそんなことをしたの。荒事なんて出来なさそう…………あら、嫌だ。お前の元皇帝が言いたいことが、分かってきたわ。あの男爵の娘はそういうこと」

「えー姫さま、教えてくれないの」

「教えてあげるわ。だからお前も、イーサンという男がジョスラン・ギヌメールに殺されかけたこと、そこから逃げだし墓地を荒らして死体を盗んだこと、穴に身代わりとして埋めたことに関して、詳しく教えなさい」


(あの宰相の養子って、見た目貧弱だなと思っていたけれど、本当に貧弱だったのね)


 トリスタンがイーサンから聞いた話では、ジョスラン・ギヌメールはイーサンを殺害するつもりで、先に穴を掘ったらしいのだが、穴は人を埋めるのには浅すぎ、掛けられた土も申し訳程度。


「テシュロン学園を出入りするより、墓地を掘り起こして死体を盗んで墓穴を埋める方が、よほど大変だったと言っていた」

「そう……で、その若い娘は、ノーラ・アルノワなのかしら?」

「イーサンは本物のジョスラン・ギヌメールこと、ジョスラン・ブラスローを探しに故郷に向かっているから、詳しいことは分からないんだ。帰ってきたら、すぐにでも姫さまに引き合わせる」

「そう。まあ、待ってあげるわ。ありがたく思いなさい」


 カサンドラはそう言い、トリスタンの膝から降りようとするが、今度は上半身を両手で抱きしめるように押さえつけられ――トリスタンが飽きるまで、降りるのを諦めた。


「でも宰相の養子とノーラの間に、何かあったとは考え辛いわ」


 時期的に考えて、イーサンが生き埋めにされかけた穴の先客の若い娘が、ノーラの可能性は高い……と言いたいところだが、根本的なところに問題があった。


 第二王子で王太子でもあるハルトヴィンの側近ジョスランと、出自が知られていない平民のノーラの間に「殺害」という最悪の結果が生まれる理由が、全く思い浮かばない。

 また隠れて二人の間に何らかの関係が……も、秘密理にされている腹違いの妹という事情はあれど、捜査機関の長官ホルスト公自ら指揮を執り、ジョスランの名前が捜査線上に浮かんでこないことから、接触があったことは考え辛い。


「そもそも貴族が庶民を殺害して、死体を隠すということ自体がおかしいわ」


 純然たる「身分」というものが存在する社会において、庶民として入学しているノーラを殺害したとして――宰相の跡取りとして迎えられているジョスランが、死体をわざわざ学園内に、自分で隠すのは不自然だった。


「荒事もできないし、土をかける動きもぎこちなかったって言ってたな。あまりにもぎこちなくて、腰を壊しそうで、思わず手伝いたくなったってイーサンが言っていたな」

「勉強もできて、頭も悪くない男という評判よ。そんな男が、自分が苦手とすることを、わざわざと思う?」


 トリスタンは片手で自分の膝に乗せているカサンドラの腰を抱き、肩に顔を埋めながら――カサンドラは首筋に掛かる吐息の、表現し辛いかゆさに不満げな表情を浮かべながらも、もう逃げる真似はしなかった。


「よほどの事情があった場合に限りかな。殺害を養父である宰相に知られたくない……は、理由として弱いかな?」

「養父の宰相が真っ当な人間ということだけは、推察できるけれど、それだけだわ」

「そうだな……死体を隠す意味か」

「その死体が庶民と思われているノーラではなく、貴族というのならば別だけれども……その頃に行方不明になった若い貴族の女がいるかどうか、調べなさい」

「え? 俺が」

「そうよ」


 当たり前でしょう? というカサンドラの口調にトリスタンは「はい」と頷き――ホルスト公ジローに協力を要請し、調査してみたが、ノーラが行方不明になった前後に、同じように行方不明になった貴族令嬢はいなかった。

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