第19話

「では夜の十時半に百貨店の正面入り口で」


 フンメル邸を後にしてから、しばらく時間があるのでカサンドラは一度二人と別れ、自宅へと戻り――


「……お前は誘っていないわ」


 夜間の移動なので、箱型馬車に乗って、待ち合わせの時間少し前に、マクスウェル百貨店の正面入り口に到着すると、トリスタンとメリザンドに、


「お恵みをいただきたいのだが、闇の女王」

「先代皇帝、沖天のカエターン……で、良いのかしら?」

「そう呼ばれていますな」


 老人らしい深い皺が刻まれた顔と、不釣り合いな若々しさを感じさせる輝く金髪と、その金髪と同じかそれ以上にぎらつく瞳を持った老人・カエターンが待っていた。

 他に正面入り口に居たのは、カサンドラの叔父で百貨店のオーナーのクルトと、従業員が十名ほどで出迎えていた。


「仕方ないわね、付いてきなさい」


 カサンドラは三人を伴い――敢えて照明を落とし、僅かな明かりだけで幻想的な雰囲気を醸し出している百貨店内を進み、月窓に到着した。


「狂う月か」


 床に映し出された、本来の月齢よりも二つ先の月影を、膝を折ったカエターンが指でなぞる。


「お前たちが破壊したものよ」


 カサンドラはそう言いって、椅子に腰を下ろし――


「お前ではない。わたしが壊したのだ」


 月をなぞっていたカエターンが顔を上げて、カサンドラのほうへと向く。


「…………そうなの。それは知らなかったわ」

「若くモノを知らなかった頃のはなしだ」


 カエターンは楽しげに笑いながら、カサンドラと同じ席につく。クルトがメニューを紹介した。


「復刻という形を取るのね」

「はい」


 月曜日に髪を結いにきたジゼルの希望を、カサンドラは叔父のクルトに伝えていた。ジゼルの望みを叶えたいというよりは、ジゼルとノーラには接点がありそうだと考えて。


「今日のように深夜につれてきたいのだけれど」

「もちろん、準備しておきます」


 夜に期間限定メニューを特別に復刻するという形を取り――月窓の人気はますます上がったが、カサンドラにとっては、それは興味のないことだった。

 復刻メニューを堪能したトリスタンと、メリザンドは月窓を見上げる。


「こんな素敵な遺跡ものを、壊してしまうなんて」

「若い頃のカエターンは、今とは正反対ですね」

「若いときは、失敗するものだ。お前たちも今のうちに失敗しておくがいい」


 カサンドラはカエターンのことを良く知らなかったのだが――トリスタンとメリザンドが語るには、帝国を文化面の下地を作ったのが、先ほど床に映し出された狂う月を指でなぞっていたカエターンで、遺跡の保護に力を入れたのも彼なのだと。

 そんなカエターンが若い頃は、遺跡を破壊して力を誇示していた――


「遺跡を破壊しすぎると、良くないことが起こることに気付いてからは、保護するようにしてきた」


 カサンドラの実家であるゼータ家のように、神代から続いている家柄には、遺跡の意味や用法などは伝わっているが、帝国はそこを無視して領土拡大を行った結果、不都合が起こるようになり――ゼータ家が治めるトラブゾン領にまで、助言を求めにやってくるようになった。


「そうなの。まあ、どうでもいいわ。ところで、そこのハンス・シュミットとアナ・ホフマンは何者なのかしら?」


 カサンドラはまだ彼らとは接触していないが、彼らがカサンドラを求めているのは知っている。

 帝国はもともと、強さを求めていたので、もっとも戦いに適した神の末裔の血を重点的に集めて掛け合わせた。


アナ・ホフマンメリザンドは”早暁のブリッツ”で、ハンス・シュミットトリスタンは”黎明のオフターディンゲン”と呼ばれている」


 帝国では大隊以上となれば、二つ名を以て呼ばれる。その名は血筋を表していて――帝国の神兵は、神代の頃も、もっとも強かったとされる太陽の王家の血が濃い。

 この太陽の王家の血が濃く、黒髪だった場合は「夜明け」を表す言葉がつけられる。カエターンのように日差しを思わせる金髪の場合は「日が昇る」ことを表す言葉が用いられる。


(この二人が太陽の王家の末裔なのは当然よね。アナ・ホフマンのブリッツは稲妻だと分かるけれど、ハンス・シュミットのオフターディンゲンって、なんのことかしら?)


 カサンドラがトリスタンを見ると「分からないでしょう」とばかりに笑い――その綺麗な笑顔がなんとなく腹立たしかったので、オフターディンゲンについて聞かないことにした。


「その呼び方をされるのは、大隊以上と聞いたけれど」

「この二人は師団だ」

「……わたくし、その階級は詳しくないので、分からないのだけれど」

「無位としては最高格。ここに役職がつくと、もう少し上がるが、強さを表すものではないので、帝国では重要視されない。役職付は逆に苦労するから、成りたがるものがあまりいない。あれたちのようなのを、まとめねばならないからな」

「大変だったの?」


 ついこの間まで皇帝の座についていたカエターンに問うと、


「わたしは能力で神兵のいただきに君臨していたゆえ、誰もが傅いた。だから苦労はしなかった」


 そういうものなのだよ――と、先ほどのトリスタンと似たような表情で言われたが、カエターンに関してカサンドラは腹立たしさを感じなかった。


「そうそう、闇の女王にこちらを渡しておこう」


 カエターンはそう言いながら、クルトから箱を受け取り、皿が下げられたテーブルに乗せた。


「なにかしら?」

「わたしが皇帝の座に就いていたころ、闇の女王の外祖父殿(母方の祖父のこと)に、少しばかりお知恵を拝借してね。それをまとめたものだ」


 田舎で自分史を書き、悠々自適に過ごしている祖父が話題に出され――カサンドラは箱をクルトに開けさせた。中には本の体裁をとったモノが納められていた。

 祖父の手紙をそのまま製本したもので、折れているページや、紙の大きさが揃っていなかったりと、非常に読みづらそうなものだが、


「少しはお役に立てると思う」


 カエターンに押し付けられ――


「送り狼にならんように」

「姫さま、復刻メニューありがとうございます」


 夜も遅いので護衛にと、先ほどの箱を持ったトリスタンも馬車に同乗し、


「ホテルに帰るの?」

「姫さまの離れに泊まりたいな」 

「好きにしていいわよ」


 トリスタンにオフターディンゲンについて聞こうかと思ったが、やはり何となく癪なので触れず――


「お前、この手紙の綴り読んだことある?」

「ない」


 翌朝、祖父の手紙の綴りを二人で読むことにした。


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