第17話

 カサンドラとトリスタンが離れを壊してから二週間後の、フンメル公爵邸に関係者が集められた。

 一週明いたのはカサンドラが、フンメル夫人デボラにあるお願いを、引き受けてもらうまでに、少し時間はかかったためだった。


 フンメル公爵邸――


 ホルスト公爵の妹デボラが嫁いだ家に、ノーラの調査依頼をしたホルスト卿、ホルスト卿の息子で現ホルスト公のジロー。ホルスト卿の愛人でノーラの母親コジマに、アルノワ家のメイド。

 カサンドラが指定した全員が、邸に集まった。


「ハンス・シュミットの説明は要らないわね」


 彼らにコンタクトを取ったのが、ハンス・シュミット。

 

 フンメル公爵はあからさまな偽名に目眩を覚えたが、当人がそう名乗っているので、それ以上深く追求はしなかった。

 またアナ・ホフマンも同じく――


「さあ、始めるわ。入ってきて」


 カサンドラは挨拶もそこそこに、手を叩く。合図で、この邸の女主人フンメル夫人が、彼らが集まった応接室に入ってきた。

 その姿に部屋にいた者、全てが驚いた。


「お……デボラ、どうした」

「ライヒシュタイン令嬢に、どうしてもと頼まれたので」


 フンメル夫人は髪を結わずに彼らの前に現れた。貴族夫人の鏡ともいえるフンメル夫人らしからぬ行動に身内は驚く。


「ありがとう、フンメル夫人」


 依頼したカサンドラは感謝を述べる。


「これで宜しいの?」

「ええ、座ってください」


 引き受けたフンメル夫人も、意図は聞かされていなかった。夫人はそのまま兄のホルスト公の隣に腰を下ろす。


「デボラを呼ぶ必要が?」

「ええ。説明が分かり易くなるので。アルノワ、髪を結わないあなたの娘ノーラは、先ほどのフンメル夫人のような髪だったと聞いたけれど、それで間違いはない?」


 カサンドラはいつもと変わらず淡々と――気にせずににノーラの母親コジマに、確認を取る。


「はい」


 声を掛けられるとは思っていなかったコジマは、いきなりのことにびくりと体を震わせる。

 カサンドラは実際にノーラを見たことはなく――アナ・ホフマンことメリザンドの似顔絵と、


(ホルスト家の父息子が禿頭とくとうなのは、あの癖が強すぎて広がる髪を持て余してのことだったなんて……たしかに傷口の周りに髪が生えてきているわね)


 兄からホルスト家の人々は、髪の癖が強く――短髪の男性のほうがまとまりが悪いので、禿頭とくとうにしているのだと教えられた。


 ならば行方不明になったノーラ・アルノワも絵に描かれたとおり、人目をひく髪の毛だったのだろうと――そこで一つ思いつき、こうしてデボラに髪を下ろして人前に出てもらうことにした。


「ところで、アルノワのメイド、ノーラの髪を触ったことはあって?」

「あります」

「ではフンメル夫人、そのメイドに髪を触らせてやってください。ノーラと同じ髪質であることを、確認してもらいたいので」

「あなたが一体なにを考えているのか分からないわ」

「すぐに分かります。これは話を分かり易くするための、下準備であり、フンメル夫人にしかできないことなので」

「仕方ありませんね」


 デボラの髪を触ったメイドは、最初は怖々と、次に確認するようにしっかりと。この行為にどんな意味があるのか、メイドは分からなかったが、


「もう一年以上触っておりませんので、確約はできませんがノーラお嬢さまとよく似ております……ノーラお嬢さまのほうが、もう少し腰が強かった気もいたしますが」


 ”似ている”とはっきり答えた。


「下がっていいわ。フンメル夫人もどうも。それでノーラは週末、帰宅する途中に行方不明になった。これに間違いはないのよね」


 カサンドラの言葉に、大人たちは「なぜ、今更そんなことを聞くのだろう?」そう訝しみながらも頷く。


「ノーラは制服を着用し、外出用のレースアップブーツを履き、洗濯物を入れた大きめの袋を肩にかけて学園をあとにした。その日は雨が降っていたので、傘を差していた。とくに変わった様子はなかった……門衛がそのように証言した。これに間違いはない……ようだけれど、そうなるとおかしいのよね」

「おかしい?」

「お前、バレッタを並べなさい」


 カサンドラに言われトリスタンはノーラが寮へ持参したバレッタを、全種類・・・並べた。


 まだ全員、カサンドラが何を言おうとしているのか分からなかった。


「寮に持ち込んだバレッタは、これで全て。間違いないわね? メイド」


 カサンドラに問われたメイドは、テーブルに並べられた七つのバレッタの意味に気付き、呻くような声を上げた。


「そんな……全部あるなんて……」


 ノーラが寮へと持ち込む品の準備に携わっていたメイドだからこそ、分かること。


「気付かなくても仕方ないわ。だってこれ、着衣以外はホルスト卿が所有していたのだから」


 怯えたメイドとカサンドラのやり取りを聞いていた母親のコジマも、残された品が「多すぎる」ことにやっと気付き、小さな悲鳴を上げ口元を手で押さえる。


「この七つが持ち込んだ全て……」


 メイドが証言した通り、ノーラと同じ髪質のフンメル夫人は、カサンドラの意図を理解し――公爵令嬢にして公爵夫人たるフンメル夫人は、悲鳴を上げることも、顔色を変えることもなかったが。


「まったく理解できない俺に、教えてくれないか? 姫さま」

「そうね。お前とそこの似顔絵師メリザンドはテシュロン学園の校則なんて知らないでしょうからね。学園では女子生徒は学内での髪型は、基本はハーフアップにするというものがあるの。ハーフアップとは、これよ」


 カサンドラはそう言い、ハンス・シュミットに背を向ける。

 アレンジは一切なく、学校に通う際に使うタイプのバレッタを使用したシンプルなハーフアップ。


「可愛い髪型だとは思うが……なんで?」

「知らないわ。校則ってそういうものなのよ。授業によっては、一本にまとめたり、おさげにすることが許されたりするけれど、基本はハーフアップ。とくに制服を着用したまま学校の敷地の外に出るときは、絶対にハーフアップなのよ」

「なんで?」

「だから知らないって言ったでしょう。わたくし、試しにおさげにして、外出しようとしたのだけれど、寮監督に呼び止められ、直すように言われたわ。このわたくしですら注意されるのだから、ノーラが髪をハーフアップにしていなかったことは、考えられないわ」


 貴族のカサンドラですら見咎められるのだから、平民で目立つ髪質のノーラが見過ごされたとは――室内にいる誰もが考えなかった。


「ノーラの同級生たちに聞いたのだけれど、ノーラはハーフアップにするとき、絶対にこの特注のバレッタを付けていたって。髪が剛毛で多くて、纏まらないから、特注品のバレッタは手放せないと言っていた……で、いなくなったノーラの部屋に残されていたバレッタの数が問題になるの」


 裕福ならば毛量や髪質に合ったバレッタを作る――ノーラは裕福で、髪質がかなり厄介で、毛量は目を見張るほど……ということで、特別製のバレッタで校則に則ったハーフアップにしていた。


「そう言えば、持ち込んだバレッタは七個……全部揃っているのか」


 聞き取り調査をしたトリスタンは、女性の髪型について詳しくなければ、学園の校則についても興味がないので調べておらず、持ち込んだバレッタが七つ全て揃っていることを不思議に思わなかった。


「借りることができるのならともかく、ノーラにそれは無理なのよ」


 専用のバレッタでもない限り、髪をまとめられないデボラは同意する。


「メイドが言っているのが本当なら、市販の品では無理。ここに並べられている二つは、父が手配したものでしょう」

「同じ髪質のフンメル夫人が仰るのだから、信用できる証言でしょう。だからノーラは失踪当時、髪をハーフアップにしていなかったということになるのよ」

「紐だけでも結えるだろう? それは駄目なのか?」

「お前は本当に疑い深い男ね。いいわ――フンメル夫人、そこのアルノワのメイドに髪を結わせてもいい?」


 カサンドラの頼みにデボラは頷き――メイドが手早くハーフアップにしたものの、膨らみが凄く、結っていないように見える。


「一目でハーフアップだとはわからないでしょ?」

「そうだな」

「一目で分からないと、呼び出されることもあるそうよ。それを避けるための、バレッタなのよ」

「なるほどなあ」

「納得した?」

「ありがとうございます、姫さま」

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