第15話

 世界のいたる所に神代の遺跡が残っている。材質も建築方法も分からない遺跡だが、どれも「快適」に日常生活を送ることができる――外気温に影響されない一定に保たれる室温。暗くなれば自然に灯され、明るくなるにつれて自動的に光量が落ちる照明。全てではないが、動く廊下などというものもある。

 扉の開け閉めの他、許可を出していないものを、建物に立ち入れないようにすることも可能。

 人には作ることができない、多大な恩恵を与えてくれる神代の遺跡だが、幾つか問題がある――その一つは動かせる人間とそうではない者がいるということ。


 トリスタンが通されたこの離れは遺跡の一つ――バースクレイズ王国の首都が置かれ、ここが貴族の住む場所だと決められ、遺跡を含む敷地を入手してから本邸が建てられた。


 カサンドラの兄バルナバス離れの入退室を制御することができる。


「姫さまが嫌なら、俺を弾き飛ばすことくらい、できるでしょう?」


 トリスタンが目を細める。そこには挑発的なものはなく、純粋に「できますよね」と――つままれていた手は、肩から下ろした。


「弾き飛ばしていいの?」


 神代の遺跡を動かせるのは、神代の一族の血を引いている者。


「姫さまにできるかな?」


 遺跡への命令は、同じ場にいたときは、血が濃い者のほうが実行権限を持つ。


「お前の血の濃さは、異常だものね」


 カサンドラに異常と言われたトリスタンは、嬉しそうに顔を近づけ――カサンドラの額に、自らの額を押し付ける。


「姫さまにも、そう見える?」

「見えるわ。……で、弾き飛ばしていいのかしら?」


 カサンドラは近すぎるトリスタンの瞳をのぞき込む。


「止めておいたほうがいいよ、姫さま。俺の抵抗は、攻撃的だから、この離れの一室が吹き飛ぶ」

「あら、そんなに凄いの。見てみたいものね。だから弾くわ【――――】」


 カサンドラはそう言うと共に、ソファーからずるりと体を下ろして床に手をつき、トリスタンを排除しろと命じた。

 カサンドラに覆い被さっていたトリスタンの上体が、見えざる何かに掴まれたように不自然に起き上がる。カーテンを掛けていない、星空が映し出されている窓が歪み、口を開け――


「さすが姫さま【――――】」


 トリスタンは常人には決してできない歪みに手をかけ「崩れろ」と口にする。水面が撓むような歪みが、一瞬にして凍りつき、そして砕け散った。


「……壊れたわね」


 二人の軽いやり取りの結果、部屋の壁が一面が、外側へと吹き飛んだ。


「姫さま、初めて見たのか?」

「ええ。いままでわたくしに、抗った相手はいなかったから」

「そうか」

「ところでお前、壁を内側へと吹き飛ばすことも出来たのではないの?」

「できる。でも内側に飛ばして、証拠品に傷を付けたらいけないからさ」

「そうね……ところでお前は、忍び込んだり、盗み観たりすることは出来るのかしら?」


 神代の遺跡は快適だが、能力が勝る者の侵入を拒めない。

 だから神代の遺跡を住居として使う者は、警備に人を割く。

 バースクレイズ王国は快適な生活が約束されている神代の遺跡の一つを、王宮として使っているので、王宮の警備にあたっている者よりも、神代の血が濃ければ、王宮へ易々と侵入できる。

 それを嫌い神代の遺跡ではない、正体不明の材質を一切使わず建てた王宮を使用している国もある――バースクレイズ王国に食糧支援をしてくれた、オルフロンデッタ王国はそうだった。


 帝国はその流れから分かるように、神代の遺跡を王宮としている。


「できる」

「そう。では王宮の北棟に忍び込んで、エーリヒの逢瀬を盗み見てきなさい」


 カサンドラは自分の婚約者が何者かと浮気をしているから、それを見てくるといいと言い――ソファーから立ち上がり、壁が落ちた床の際へ。

 外に砕け散った破片は、青白い光を放つ半透明な物質で、建物の外壁や内壁だったときとはまるで違う姿を見せていた。


「わたくしは本邸に帰るわ。お前はこの離れに泊まっていきなさい。たぶん、客間が用意されている筈だから」


 カサンドラは消えた壁から外へ出るようなことはせず、玄関へと向かう。


「エーリヒ・バースクレイズの浮気を見たら、いいことあるのかな?」

「さあ?」


 足を止め小首を傾げたカサンドラは、心底エーリヒのことなどどうでもいいのだと――緩やかに波打つ朽葉色の髪が揺れ、闇夜に映える銀色の一房の髪が輝いた。


 トリスタンが玄関ドアに手をかけて、開かないようにする。


「俺は浮気しないが」

「当たり前よ。エーリヒがおかしいだけよ」

「それもそうか」

「まあ、でもいいのよ。だってあの男と寝ることはないのだから。好きにすればいいわ」

「わあ、姫さま酷い」

「何を言っているの、お前。下手に王家と名乗る者の血を入れたら、すぐに自分のものと勘違いして権利を主張してくるわ。だからわたくしと、エーリヒの間に子どもは生まれないの。ゼータ家を継ぐのは、お兄さまの子よ。その子の実母はわたくしで、お腹の子の父親はわたくしが選ぶの。それが一族の総意よ」


 カサンドラの兄バルナバスは一族の女と結婚しているが、それは表向きだけ――


「ふーん。俺の子が次のゼータ家の当主になる可能性もあるんだ」

「ないわね」

「ショックなんですが。俺、姫さまに嫌われてる?」

「お前は名実ともに夫になりたがるタイプでしょ。違って? さあ、開けなさい」


 カサンドラにそのように言われ、少しばかり面食らったトリスタンだが――言われてみれば、自分はそういう性格だったなと妙に納得した。


「ごもっとも。では本邸まで、御案内しますね」

「わたくしのほうが、詳しいのだけれど」


 カサンドラの手を引いて、本邸へと連れていき、護衛のフォルランへと引き渡した。


「朝はこちらへいらっしゃい。朝食を一緒に」

「喜んで」


 トリスタンは踵を返して離れへと引き返し、フォルランに離れの状況を尋ねられた。


「カサンドラさま。離れの一角が壊れているように見えるのですが」

「ハンス・シュミットが壊したの。わたくしが仕掛けたのだけれども、ああいう壊し方をするのは、初めて見たわ」

「壊せるものなのですね」

「そうみたい。まあ完全破壊はしなかったみたいだから、一ヶ月くらいで自然修復するでしょう」


 カサンドラは離れ視線を向け――部屋へと戻った。


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