第37話 魔女アングザイエティーズ・キス
魔法少女が貞操の危機にさらされていた。
長い黒髪の魔法少女が、目隠しと猿ぐつわまでされている。五人の男たちによって運ばれ、辺鄙な立地の廃工場に残る樹脂製パレットの上に放りだされた。
段ボールが引かれているが、それだけなので黒髪の少女は身体を強かに打って悶絶した。
夕刻ということもあってまだ明るいが、工場の周囲に人気はない。
「まったくっ。さんざん暴れやがって……。このお礼をよぉ、たっぷりとしてやるからなぁ」
顔に蛇のタトゥー。それと一体化するように青あざを右目周りにつけられたリーダー格の青年が、パレットの上に横たわる黒髪の少女の縛られた足を踏みつけた。
目隠しをされていることもあり、なにをされたかわからない少女は、髪を振り乱してなにかを叫ぶ。
「いかにも清楚って顔して、とんでもねぇガキだ」
「おー痛ぇ。木刀一本でよくも暴れやがったよ」
ほかの数名も目立った怪我をしていた。額から出た血がやっと止まった者や、足を引きずっている者もいる。大げさに痛がっているわけではない。それなりの怪我を本当に負っていた。
「何事もなかったらなぁ……見逃してもいいんだが、ここまでされちゃなぁ」
唇を切った男が黒髪の少女の腕を押さえる。恐怖で少女が身を竦めるが、微動だにしない。
「ちっ! 目がいてぇ。おい、おまえらに先にやっちまっとけ」
「へい!」
男たちは群がるようにパレット周辺へあつまり、黒髪の少女のファンシーな服を脱がし始めた。
見た目こそ良い魔法少女の衣装だったが、作りが甘いのか生地が弱かったのか、背の合わせが裂けるように上着が脱がされる。
そんな光景に背を向け、リーダー格のタトゥー男は工場の外に出た。
彼は目を冷やすのが先だと思ったようだ。ワンボックスカーのスライドドアを開けて、後部座席のクーラーボックスから缶ビールを取り出し、それを目に当てて患部を冷やしつつ廃工場内に戻る。
すると、状況は一変していた。
押さえつけられていた黒髪の少女はそのままだが、二人の仲間が虚ろな目をして、襲っている大男を羽交い絞めにしていた。
「おい、なにすんだ、よ?」
羽交い絞めされている大男も、なにが起きているのかわからず、振りほどこうともしない。
黒髪の少女は状況もわからず震えているが、男たちの方が混乱している状況だった。
羽交い絞めにしている二人の男は、口から泡を吹いているので、正気ではないとタトゥーの男は悟った。
「な、なんだぁ? おまえ……クスリでもやってんのか?」
タトゥーの男がそういうと、廃工場の暗がりから第三の存在が姿を現した。
「薬ですか? そう、良いですね。じゃあこの【呪い】は、【ファルマコン】と名付けましょう」
黒い、黒い少女がそこにいた。
少女の身体のラインを損なわないデザイン性の真っ黒なコート。
風もないのになびく黒髪が二つに分かれ、まるで羽を広げたかのように見えた。その目は自信にあふれ、他者を睥睨するかのようで魅力的だが見る者に不安を与える。
横たわり嗚咽する魔法少女とは、何もかもが真逆な少女だった。
「何してる? おい……おい、正気かぁ?」
タトゥーの男は、黒いコートの少女に問いかける。普段ならば威圧するのだが、不気味さが勝った。状況を確認を優先にし、周囲に他の誰かがいないか、会話しながら探りをいれる。
ただそのやり方は拙く、視線があちらこちらへ向けられ、不気味な黒い少女に露見していた。
次に反応したのは、縛られていた少女だった。
「んー! んーっ!」
誰かがこの場に来たとわかり、必死に助けを求める。
急に暴れだしたので、押さえつけていた男が慌てて体勢を直した。
その男に向け、遠くから黒いコートの少女が左手を向けた。そして空中で何かを握る。
「ごっお!?」
縛られていた少女を押さえていた男が、手を離して自分の首を掻きむしった。その様子は首に撒かれた紐を、なんとしても解こうとする姿に見えた。
なにが起きたかわからないタトゥーの男は、懐のナイフに手を伸ばした。しかし、その武器が効かないと直観で察した。
手を解放された黒髪の魔法少女は、逃げようとして縛られたままパレットの上から転がり落ちる。黒いコートの少女は、それを目も向けない。まったく興味がない様子だった。
仲間を助けにきた。という印象は皆無だった。
「……かっはっー! げほ、がほっ!」
見えない紐を振りほどいたように、急に男が呼吸を取り戻した。
「だ、だいじょうぶか? ……おい、なにしやがった」
仲間の男に羽交い絞めにされた男が叫ぶと、黒いコートの少女は薄く嗤った。
「呪い……いえ、魔法を少々」
「ふざけんなよ!」
羽交い絞めにされていた男は、仲間が転倒することも構わず振り払った。いつでも振り払えたが、今までは仲間相手だからと、ためらっていただけだ。
この男は五人の中で、もっとも体格が大きい。その見た目通り
大きな体を生かし、黒いコートの少女に掴みかかろうとして腕を伸ばした。
無防備なコートの襟に、大きなその手で掴んだ──瞬間、コートが黒い霧となって消え去った。
勢いあまって霧の中を突き抜ける大男。そのモヤの中から、全裸の少女がひらりと舞い上がる。
現実離れした光景に、タトゥーの男はナイフを持ったまま呆然とした。霧となったコートに驚き、裸体で宙に浮かぶ美しい少女に見とれる。
黒いブーツに黒いオーバーニーソックスと黒いロンググローブだけで、透き通るような肌の少女が薄暗がりに浮かぶ姿は、四肢がないようで不安を掻き立てる。
裸体の少女は黒い霧にキスをする。
すると黒い霧は急に重さでも得たように、大男ごと床へ潰れて落ちた。
「マジ、か」
タトゥーの男はうろたえた。
黒い彼女の足元では、大男がキスで潰れた黒い霧に締め付けられ、苦しみもがいている。
「……アングザイエティーズ・キス」
不安に駆られ、タトゥーの男はそんなことを呟いた。それは彼の好きな英国ロックバンドの廃盤プレスのタイトルだ。過去に意味を調べていて、それがこの光景に当てはまったため、思わず呟いたのだ。
「あら? 意外と学があるのですね? でもそこはアングザイエティーズ・バジウムかと……いえ、キスのほうがいいですね」
ロックバンドは知らないが、言葉の意味を理解した黒いコートの少女改め裸体の少女は、タトゥーの男の呟きを気に入ったようだ。自分の手を眺め、どこかうっとりとしているようだった。
そこに隙があった。
「おい、逃げるぞ!」
「げほ、がほ! え? なに?」
タトゥーの男は薄情だが優秀である。
仲間を見捨てる判断が早い。大男はもうダメだ。手足がおかしな方向に曲がっているし、苦痛かほかのなにかかが原因で気を失っている。
大男を羽交い絞めにしていた二人の男もダメだ。大男に投げ飛ばされたあと、立ち上がってから虚ろな目で天井を見上げ、直立不動状態だ。まともではないし、今までの行動からして黒いコートの少女に操られていると判断できる。
タトゥーの男は缶ビールを裸体の少女へ向けて投げた。ついで手に持っていたナイフを投げる。
缶ビールが緩い放物線を描いて飛び、そこへナイフが突き刺さる。見事な腕前だ。
大量の泡が噴き出し、黒いコートの少女の眼前で缶が暴れた。目くらましくらいにはなっただろう。
「おい、逃げるって言ってんだよっ! 早くこい!」
残る仲間は呼吸を整えている男だったが、全裸になっている少女に背を向けているため、状況がまったくわかっていない。
タトゥーの男の逃げるぞ、という言葉に即座に反応できれば、その運命は変わっていただろう。
工場の外へ走っていくタトゥーの男の背を呆然と見ていて、背後に迫る全裸に少女に気が付かなかった。
全裸の少女の手が男の後頭部に伸ばされた。
男は首あたりに、冷たい何かが当たった感触を覚えて、それが彼の最後の記憶になった。
全裸の少女の五本の爪が伸びて、男の首と顔を貫通する。
目玉がぐるりと回り、白目を剥くと全身から力抜ける。全裸の少女が爪を引き抜くと、男はその場に倒れた。
確かに貫通したはずだが、男の顔と首にはなんの傷もない。
「……記憶を読む呪い、いえ魔法なのですが、これではもう攻撃手段ですね」
伸ばした爪を元に戻し、手の平の上で【男の記憶】である鏡のような何かを弄び、困りましたねと笑う全裸の少女。
足元で助け求める黒髪の魔法少女と、呆然と立ち尽くす二人の男を無視して、全裸の少女はタトゥーの男を歩いて追いかける。【男の記憶】にも興味はないようで、鏡を足元に投げ捨てた。男の記憶はガラスコップより脆く砕け散る。
黒い霧が無力化した大男から小分けになって離れ、主人を追いかける子犬たちのように群れて裸体の少女に纏いつく。やがてそれらは元の黒いコートへと戻った。
走り去るワンボックスカーを見送りながら、そうして廃工場を後にする。無力化した四人の男たちにも、縛られて放置されているコスプレしただけの魔法少女にも興味はない様子だ。
ただどこか少女は嬉しそうだった。
長い黒髪とコートの裾が広がり、少女の身体が浮かび上がる。そして尋常ならざる速度で、ワンボックスカーを飛んで追いかけた。
「魔法少女……いえ、魔女アングザイエティーズ・キス。そう名乗ることにしましょう。ふふ……命名してくれた彼には、お礼をしないといけませんね」
今日、この時、小桜姫子は魔女アングザイエティーズ・キスとなった。
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