第22話 桜の姫
姫子は部室棟で、ある扉を前にして立ち止まった。
電子計算機同好会。ひらたく言えばパソコン同好会である。
なぜかこの付近一帯に、近づく者はいない。放課後の部室棟内でありながら、不自然なほど静まり返っている。
姫子は電子計算機同好会の扉を開いた。
狭い部屋の大部分を、六つの机が占領している。その机の上には1,2台のデスクトップパソコンが据えられている。
デジタル化が激しい今だが、生徒のIT教育はタブレット端末で行われていることが多い。
そのためデスクトップパソコンが目立つ電子計算機同好会の部屋は、あまり中学生にはなじみのない光景だった。
実は電力の問題で、これらのパソコンが同時に起動することはない。
その中では持ち込みのノートパソコンと、スマートフォンやタブレットの十台に囲まれた一人の男子生徒がいた。
太り気味で眼鏡をかけた大柄な少年だ。
彼は誰かが入室してきて顔を上げ、それが姫子だと知って肉食獣に見つかった小動物のように身を竦めた。
「あ……姫……」
「こんにちは。どう?
萎縮する少年清水を気にかけることなく、姫子は親し気に声をかけた。
清水という少年は、姫子という少女には釣り合わない。清水はそれを自覚しているが、姫子はそう思っていないようである。
「し、調べは終わってるよ。み、見て」
清水は手元のノートパソコンを、姫子の方へと向けた。
画面にはいろいろな角度から撮られたスコラリス・クレスキトの顔が、何枚も並んでいる。
そして、画面の中央には岸 小夏の顔画像があった。
「結果を言えばどう?」
姫子は椅子ではなく、わざと隣の机の上に座った。
姿勢が悪い清水からだと、ちょうど視線の先がスカートの中となる。
清水の視線は釘付けとなり、ノートパソコンの画面と彼の顔が並ぶ形になる。姫子は気にせず画面を見ている。
「か、顔認証システムで……AIと市販のとオープンソースのだけど、それで照らし合わせても……別人って出るよ」
「そう。機械もAIも騙せるのね」
「う、うん。で、でも……本当に岸さんがクレスなの?」
「どうでしょう? でも、そうだと私は思っていますよ」
姫子はスコラリス・クレスキトの正体に気が付いていた。ミンチルの説明と違い、彼女は小夏をクレスキトだと考えていた。
ただ証拠はない。
「あなたはそう思いませんか? 私が彼女はスコラリス・クレスキトですよ、って言っても?」
「ご、ごめん。信じたいけど……そう思えないんだ」
「そうですか……」
謝っている清水だが、視線は未だ姫子のスカートの裾に向けられている。あからさまな視線を感じながら、姫子は特になんとも思っていないようだ。
それどころかわざと足をゆっくりと組み換え、少し清水に身体を近づけた。
「ちょっとお願いがあります」
「は、はい!」
清水が顔を寄せた時、その頭を無造作に掴んで上を向けさせた。
「ネットで清水くんも独自に情報集めてるでしょ? 魔法少女とタイダルテールという組織の。その情報の出所とか、調べてもらえますか?」
「で、でも……姫……その、今回のはヤバくて、その……これ絶対、公的なのも動いてて……」
清水は姫子の顔を正面から見ることができない。せっかく姫子の可愛らしい顔が目の前にあるのに、目が泳いでしまっている。
「公的?」
さすがの姫子も、それは意外だったという顔で清水の頭を解放した。
すぐに清水は小さくなってうなだれる。その視線の先はまた姫子のスカートの裾である。
「う、うん。当たり障りのないアカウントが一斉に……怪人の……身元を推測してて……。たぶん日本の組織だとは思うけど……」
「清水くんでも、わからないのですか?」
もっとはっきり言ってください。という意味なのだろうか。姫子は大げさに足を拡げて見せた。
萎縮していた清水の身体が跳ねる。
「たた、たぶん警視庁か、公安……いえ警察庁ですっ!」
「ああ、父のところですか」
姫子は父の仕事と所属を理解していた。
納得した顔で、ここまでです。と、姫子は顔を赤らめながら足を組んだ。
「う、うん。そ、そ、そうなんだ。それで、たぶん、クレスキトとタイダルテールの情報を調べようとしてる相手を……調べようとしてる感じが……。だから……」
「……だから? できないですか?」
「ぼ、ぼくはいいんだけど……」
普段、視線を向けられない清水だが、この時ばかりは姫子の瞳を見た。すぐに逸らしたが、一度だけしっかりと見た。保身もあるが、彼は彼なりに気を使っているのだ。
今回下手に動けば姫子の行動が、彼女の父親にバレる可能性がある。清水は性的に不純だが、彼なりに彼女を気遣っている。
「私も大丈夫ですよ。ですから……やってくれませんか?」
褒美だろうか。組んでいた足を解いて開いて見せる。
丁寧にスカートの裾までめくっている。だが、清水の反応は今までと違った。
目を硬く閉じ、顔を背けて手を振りかざす。
「だ、だだ、だめだよ。こここ、今回は……危ない。それに君の、お、お、お父さんに気が付かれたら!」
「……そうですか。仕方ありませんね」
姫子は足を閉じて机から降りた。
わかってくれてよかった。少し残念だが助かった。と清水は息を吐く。そこへ姫子はしだれかかった。
首へ回される両手に捕まり、姫子の控えめだが、しっかりとある胸の感触が押し付けられる。清水の心臓が早鐘を打つ。
天にも昇る瞬間から──。
「やりなさい」
一気に叩き落される。
「ぐぎゃっあああっ!」
清水の首と背中に、放電するスタンガンが当てられたような衝撃が走った。
太った体が跳ね上がるが、姫子の小さな身体によって抑えつけられている。あまりにも異常な光景だ。
とんでもない悲鳴が轟いたにも関わらず、校庭も教室も、廊下でも反応がない。
周囲に生徒と教師が存在していても、この部屋の出来事に気がつかないからだ。
ふしだらなご褒美と苛烈な罰を、ためらうことなく与える姫子。
とても清楚な優等生とは思えない姿だった。
「ががが……や、やります……やらせてください……やりまず、やりまずから……やめて!」
ひいひいと、涙目になりながら清水は何度も首を縦に振った。
やるというと、姫子は簡単に清水を解放した。痛みから逃げる清水は、椅子から転げ落ちて後ずさる。
西日の入る窓を背にした姫子の顔は、清水からよく見せない。愛らしく微笑む姫子の唇しか見えず、それが清水をさらに怯えさせた。
「や、やります、すぐやります!」
鈍重な身体で素早く床から立ち上がり、倒れた椅子を起こしてノートパソコンの前へ座る。すぐにさまざまなツールを起動して、スマートフォンやタブレットも情報収集用に使い始めた。
早速、目の前で作業を始めた清水を、姫子は満足そうに眺めている。
その視線に耐えられず、清水は作業の手を緩めずに尋ねた。
「あ、あの……クレキストのこと、調べて……岸さんが、クレスキトだったら……ど、ど、どうするの?」
「ふふっ。どうしましょうか?」
「そ、それって……状況次第で、ど、ど、どうにでもするってこと?」
「清水くん」
「は、はい!」
耳元に口を寄せる。
また電撃がくる! と清水が身構えた時、
「察しのいい子は好きですよ」
と、姫子は優しくささやいた。
たった一言で、清水はとろけてしまった。
そしてキーボードを叩く速度も速くなった。顔こそだらしなくなっているが、俄然とやる気がでているのである。
「そういうわけですから、そのようにしてくださいね。よくできたら、ご褒美……そうですね。あなたをイジメていた女の子たちを、私の奴隷にして清水くんにあげましょうか?」
「ひ……あ、ありがとうございます……」
提案が怖すぎて、断ろうと思った清水だったが、とても言える雰囲気でも立場でもなかった。
ただひたすら、姫子の要求に答えようとネットの世界をめぐる。
「期待してますよ」
そう言い残して、姫子は電子計算機同好会の部室を後にした。
廊下を歩きだした姫子の目が光る。
途端に周囲が音を取り戻し、生徒たちの騒々しい声が戻ってきた。部室へと向かう生徒も、急に現れたかのように姫子を追い越していく。
日常が戻った世界で、姫子という非日常が魔法少女とタイダルテールに迫っていた。
小桜姫子は本物の
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