また
外東葉久
また
自転車を漕ぐと、ついこの前と気候が変わったことに、ふと気づく。運動会を思わせる、強い日差しと涼しい風。
屋根もないだだっ広い駐輪場に自転車を停め、こじんまりした駅舎に入った。見慣れた駅員のおじいさんから切符を買う。階段を五段登ると、そこはもうホームだ。一本逃すと途方もなく待たされることになる、田舎の鉄道。ホームから見える田んぼの様子も、涼しい風のせいで一気に変わったように見える。
いきなり、目の端から赤っぽいオレンジの車両が現れた。
一両編成の車両に乗り込み、友人の姿を探す。通勤通学の時間帯ではあるが、まだ席は空いていて、目当ての人物はすぐに見つかった。
手を振って近づき、友人の向かい側に腰を下ろす。友人は〈やあ〉と返す。
友人とは毎日、電車の中でたわいもない話で談笑する。自分にとって、毎日の楽しみである。
友人は、自分より先に電車を降りる。電車が止まるたびに、窓から駅名を見、残り時間が少なくなっていくのを感じながら、でも、しょうもない話をしているのが楽しい。
電車がスピードを落とし始めた。会話のスピードは僅かに上がる。友人の冗談に静かに爆笑する。自分の息が、口から豪快に出るのを感じる。吐いた息を吸うのと同時に、電車は駅に止まった。
友人は立ち上がり、ドアの方へと向かう。
降りる直前、友人は振り返って、人差し指と中指を横にとび出させる。
〈また〉
自分も同じことをいい、手を振る。別れの挨拶を好むのはおかしいかもしれないが、僕は友人の〈また〉が大好きだ。
友人との間で、この〈また〉が破られたことはない。
他の友人や知り合いには、「また」と言いながら、長い間会っていない者も多い。自分自身もまた、社交辞令でつい使ってしまうことがある。この場合の「また」は、必ずしも「また会おう」という意味を持っているとは限らない。
けれど、友人の〈また〉はその言葉通りの意味を持っている。ネガティブな意味はなく、もう一度会う、と、未来に約束しているのだ。そのため、〈また〉には、それだけの重みがある。その重みが心地よくもあり、簡単にいってはいけないという緊張感も持たせるのだ。
帰りの電車で、友人に会うことはない。仕事はたいてい遅くまであるらしい。朝の〈また〉は、明日に向けての〈また〉である。
座席にひとりで座って、今日の出来事を振り返ったり、ぼんやりと景色を眺めたりして、明日友人に話す話題を考える。
西日が差してまぶしい。
友人に出会う前は、仕事の行き帰りの憂うつな時間でしかなかったが、友人のおかげで有意義に過ごせるようになった。
電車がスピードを落とし始めた。
友人に話す話題も見つかった。今日もまた、支えられている。自分も返さなきゃなあと思う。友人に笑ってもらえるよう、なるべく楽しい話題を見つけるようにしているが、結局自分が楽しんでしまったりする。
電車が駅に止まった。考え事を振り切るため、ちょっと跳びはねるように、ホームに降りる。他に降りる人はいない。
西日が首筋を灼く。あたたかさが、じんじんと広がっていく。
赤とんぼがすいーっと通り過ぎた。
どこまでもしずかな世界。
さあ、帰ろう。
また、会うために。
また 外東葉久 @arc0
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