売れっ子作家の一日。たまにはいいじゃない!女神のお腹が空いたんだもの

宗像 緑(むなかた みどり)

第1話

 深夜一時。デスクにはぬるくなって酸化したコーヒーと食べかけのチョコレート。

 部屋は田舎の夜のような真っ暗闇で手元灯に照らされた原稿用紙の束。高級万年筆は手の中には納まらず、無作為に放置されている。それに向き合う一人の姿。


「あ~、だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ……だ! だ~っん!」

 一人の女性がヘアバンドで上げた肩までの乱れた髪をぐしゃぐしゃしては整え、それを何回も繰り返している。

 彼女の名前は、ゆめ かおる。もちろんペンネームだ。彼女は『異世界転生して、サーカス団の団長になったら神とあがめられた』や『ダメダメ哲也君を社長にする方法~わたしは絶対社長夫人になる!~』『胸の大きさでクラブを決めるな』『ギフテッド』等多ジャンルにおいて成功を収めた、いわゆる世間でいう売れっ子作家である。

 今、彼女の作品では『ギフテッド』が佳境に入っていて新作を執筆中、『異世界転生~』はアニメ化が決まっており『ダメダメ哲也君~』は映画化予定で絶賛推敲中のため、超多忙を極めている。


 だが、今日は『ギフテッド』の新しいストーリーが思い浮かばない。

「だ~! もう無理!」

 ふと目に入る古びた置時計。無残にも午前四時を示している。

 窓を見ると、外は深海から上がってきたような明るさになり、鳥も朝の歌を奏で始めている。その歌は香にとっては地獄への誘いにしか聞こえない。


 香は頭を振ったあと、ヘアバンドをビュンと飛ばし、おもむろに糸が綻んだハーフパンツとショーツを一緒に脱ぎ捨てる。首元が伸びきったTシャツは床に叩きつけた。そして御祓みそぎに入る。

 くるくるとカランを廻し、自分の心地よい温度に設定したお湯を頭から一気にかぶる。

 こうしていると嫌なことも水に流されているような気さえするが、それはただの勘違いで、自分の前に立ちはだかる大きな壁が変わることはないと本人が一番理解していた。

 ただ、香にとってはこの行為が閃きの最終手段なのだ。


 しかし、今日に限っては一向に閃きの女神が降臨してくれない。御祓を行い、神への祈りを人生初の一時間続けた結果、いつもの女神ではなく、なにやらが舞い降りた。

 今から書き出して推敲しても四時間はかかる。編集の追立おいたてが来るのが八時。どうやってもじゃないか? わたしの閃きの女神が降臨しないのは、女神が空腹のせいだ。

 彼女は知識・興味に飢えている。

 女神に神饌しんせんを献上しなければっ!


 香は、黒い悪魔に操られたように浴室を後にし、クローゼットからお気に入りのセクシーな赤いワンピースとサングラス、高級バッグを取り出した。




「ブブブブブブ」

「ぷはっ! こういう落ちか、柳君もう少し頑張らないと愛ちゃんを豊君にとられちゃうぞ!」

 御祓みそぎから一時間後、香はマッサージチェアーに鎮座し、安っぽい炭酸の抜けかけたメロンソーダを飲みながら異世界転移をしていた。

「お、こっちも新刊が出ているじゃないか?」

 おすすめが置かれた棚と自分の個室ブースを往復しては、異世界転移を繰り返す。女子高や甲子園のマウンド、魔法世界、二千二百年。

 この漫画喫茶で一番高級な部屋には、どこでも転移可能な特殊魔法陣が描かれた。

 ふと、そんな彼女の異世界転移を阻止する特殊兵器が振動する。時計に目をやるとちょうど八時を指していた。

 やれやれと、重い身体を起こし、電話ブースに移動する。特殊兵器はこの間も振動して香の転移を阻止している。


「はい。なんだね」


『はい、なんだねじゃないですよっ! ゆめかりんはどこにいるんですか? もう八時ですよ!』


「ゆめかりんとはいったい誰のことかね? わたしは、ゆめ かおるだよ」


『……いい加減にして下さいっ! 先生がそう言わないと他に連載回すとか脅したくせに!』


「それはまあいいじゃないか。で、今か? 今は異世界転移特殊魔法陣の上にいるぞ」


『あの、今日締め切りなのわかってますよね?』


「あぁ、だが、今日はだめだ。生まれて初めて黒い悪魔が降臨してしまったんだ。デーモンだぞデーモン!」


『意味わからないこと言わないでください! 僕だって怒られるんですから。早く帰ってきてくださいよ』


 香の脳内にまた黒いあいつがささやく。


「では、追立君や、こうしようじゃないか? わたしは今本当にどんな異世界にも移動できる場所にいるんだ。もちろん媒体は必要だけどな。この情報でわたしを見つけられたら君のために良い仕事をしよう」


『マジで勘弁してくださいよ』


「いや、まじだぞ。質問はメールで十回までだ。まあ、わたしも移動はするがね。そうだな、移動は三ヶ所縛りとしようか。では、検討を祈るっ!」

 そういって転移阻害兵器の通信を遮断した。

 香はせっかく移動したので、ついでにドリンクバーを入れようと思い立ち、無料自動販売機の前で、次は何を飲もうかと腕を組んで思案した後、コーンスープを選んで個室ブースに戻る。

 熟考している間、スタイルの整った身体と赤いワンピースの妖艶さに、他の客はその場でドリンクを立ち飲みしていた。


「さあ、異世界転移を続けようじゃないか」



「くっそ、こんなことは初めてだ。ゆめかりんめ! 絶対見つけてやるっ!」

 追立は独り言を呟きながら上司の言葉が脳裏をよぎる。

『作家は根を詰めすぎると潰れる。だから、監禁はだめだ! 軟禁までだ! ちゃんと作家を見て、作家以上にその作品を愛せ! そうすればおのずと良い作品になる。あとは首を絞めるな!』


(上司の言葉も本当か怪しいところだが、何か歯車がずれてしまったのだろうか? それとも自分が試されているのか? 今や人気作家の真名鶴先生、御角先生、みちの先生とも上手くやれてるのにっ!)

 そう思っていることが余計に漠然とした不安を感じさせるが、考えるのは一旦止めて、香の性格を分析する。


(まず、彼女は方向音痴だ。だからそう遠くには行っていないはず。駅前周辺だろう。異世界転移できる場所。十回の質問で移動は三ヶ所か)


 取りあえず一通目のメールを作成する。


『①ゆめかりんの服装を教えてください。②自宅から今いる場所への移動手段はどうしました?』

 現在、香は後輩への恋と不倫に悩むキャリアウーマンだった。そのときに転移阻害兵器が震える。


 一方、追立の携帯は軽快なリズムを奏でる。

『赤のワンピースにサングラス。前の祝賀会と同じ格好だな。移動は徒歩でも可能だがタクシーを利用したぞ』


(服装は目立つな。ちっ、やはり移動手段は予想通りか。タクシーならコンビニとかではないな。まあ、それなら目と鼻の先にあるし、あの人地図もろくに読めないからなぁ)


 マンションの共用廊下の壁に肘を置き、顎に手を当ながら澄んだ青空に浮かぶ小さな雲に目をやる。


(作家のいう異世界転移特殊魔法陣の上とはなんだ?)


(公園の遊具とか? 鉄棒、滑り台、ブランコ……

 う~ん、なんか違うな)


さっきの電話……


(周りの声は聞こえなかった。車の音のようなものもなかった。静かな場所。外ではなくどこかの屋内か!)


 追立は携帯を取り出し、またゆめかりんにメールを送ることにした。


『③異世界転移の媒体はなんですか?』


 すぐにまた追立の携帯がリズムを奏でる。

『そりゃ媒体は紙面だな。お~っと、これ以上は答えられないな!』


(紙面…… 新聞、雑誌、小説……図書館か! いや、待てよ、図書館は九時頃開館するはずだ……

あと何処だ、他に紙面は何がある? 考えろ!)


「あっ!」

 おもわず声が出てしまった追立は慌てて周囲を見渡した。そこには当然誰もいないので安堵する。


(漫画だっ! 漫画喫茶にいるのか!)


 追立は携帯で周辺の漫画喫茶を検索する。


(ちっ、二店舗あるじゃないか……)


 香のマンションはちょうど、右山うさん駅と中山なかやま駅の間に位置する閑静な住宅街に建っている。その両方の駅前に漫画喫茶があった。


(くそ~、どっちだ? っていうか漫画喫茶って、ただの現実逃避だろ!)


 追立がまさに悩んでいるその時。香は大体の新刊更新ダウンロードを終えており、現実世界に戻ってきていた。


「う~ん、そろそろ女神も腹五分目ぐらいになったかな?」

 香はこのとき徐々に身の危険を感じていた。ドリンクバーを取りに行く度に熱い視線を感じる。   

 さすがにこれ以上長居すれば追立に見つかるよりもナンパか変人扱いされてしまいそうだ。


『わたしは紙の中に生きる女。だいぶお腹も満たされたわっ!』

 意味のわからない固い決意をして、漫画喫茶から離脱することを決める。


 その頃、追立は二つの漫画喫茶のホームページを開いて分析中だった。

『漫画喫茶マンキツ』『漫画喫茶マンキー』

 どちらともなんだか卑猥ひわいに感じる店名だが、それは彼女と別れたばかりだからだろう……


 そんなことを考えながら、相変わらず閑静な住宅街を見下ろしていると、ある事実に気づいた。

(このマンションの全面道路は一方通行だ! おそらく香さん、いや、ゆめかりんはタクシーを呼んで、一番近い漫画喫茶へと依頼したはず。そうなると運転手からすれば『マンキー』の方が近いっ!)


 そう思った瞬間、追立は走り出した。エレベーターを待つ時間さえもったいないから、階段で五階を滑り降りる。

 ここからなら、全力疾走すると五分ぐらいだ。なんとしても作品を今日中には手にいれたい!

 明日はみちの先生と打ち合わせ予定だし、明後日は御角先生と推敲の予定だから、俺には今日しかない!

 自分の最大限の力で足を上げ両腕を交互にふる。閑静な住宅街にネクタイをなびかせて走り抜ける男が一人。行き交う人に冷たい目で見られてもお構いなしだ。


「はあ……はあ……」

 

 マンキーに到着したときには、身体は大洪水で水色の鮮やかなシャツもワントーン落ちたダサい色に成り下がっていた。

(さぁ、ここからはどうする?素直に店員に聞いてみるか……)

 追立は意を決して、自動ドアから受付へ素早く移動する。シャツはびっしょりなため、クーラーのきいた室内が寒さを感じさせて一瞬身震いする。

「あの、すいません」


「はい。今日は何時間御利用ですか? どのブースにされますか?」

 女性店員からは、大根役者並みの棒読みセリフが返ってきた。


「あ、そうじゃなくて。赤いワンピースを着た妖艶な女性が来ていませんか? し、資料作成を依頼している職場の関係者でして」

(くそっ!携帯に連絡できないのがこうも不便すぎるとは)


 店員が、カウンター越しに視線をゆっくり上下に走らせ追立の全身をなめ回すように見る。


「ひっ……」

 店員が後ろに仰け反る。まぁ、そりゃそうだ。こんな晴れた日に雨の中を歩いて来たくらい濡れている姿はどう見ても変人だ。

 追立はあきらめて、胸ポケットから名刺を取り出し店員に手渡す。

「申し訳ありませんっ! わたしはこういう者でして、今先生を探しているんです。一度連絡が取れたときに漫画喫茶にいるということだったので。こちらに赤いワンピースを着てサングラスをかけた女性は来ていませんか?」

今度は丁寧に店員へ話しかけた。


「少々お待ちください」

女性店員は回れ右して奥の部屋に入っていく。


 だいぶ汗も引いてきた。五分ぐらい待たされただろうか。奥の部屋から年配の店長と思しき人が姿を現した。

「その方ならよく覚えています。新刊コーナーでテンイテンイテンイとぶつぶつ仰ってたので。十分ぐらい前に出ていかれてましたよ」


(も~あいつ呼ばわりでいいっ! あいつは一体何をやらかしてるんだ!)


「そうですか……」

「先生がご迷惑をお掛けしたようで申し訳ございません」

 なんでおれが謝らないといけないんだと内心思いながらも深々と頭を下げる。


「いやいや、何を仰いますか。ドリンクバーで悩んでいる姿が何とも妖艶で、その影響で他のお客様の延長が増えましたから、こちらの方が感謝しています。またのお越しをお待ちしております、とお伝えください」


「そう言ってもらえて何よりです」

追立はそう言ってそそくさと店を後にした。





 


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